滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第5話 鳴きまね名人②
鳥の鳴きまねが上手な笑田さん。
定年後、アメリカへやってきた事情とは?
でも、どうしていいのかわからないで過ごした3年が過ぎると、笑田さんは、これではいけないと自分を?咤(しった)した。笑田さんの前にはまだ20年、30年の余生が残されている。これからは、ひとりでも、地に足を付けて、しっかりと生きていかなければならない、と笑田さんは思ったのだ。
笑田さんは、そろそろと立ち上がって、生きがいになるものを探し始めた。そこで考えついたのが、「英語を学ぶ」という大義名分だった。これで、毎日することもできるし、海外に行くことにも意味が出てくる。笑田さんは、前を向いていける目標を取りあえずは見つけた。「ぼくは間違ったときに間違った場所に生まれた」と嘆いて、一向に腰を上げようとしない他力本願のサムに、笑田さんの爪の垢(あか)を煎じてのませたいほどである。
そして、笑田さんは、英語を学ぶために、アメリカの、ニューヨークくんだりまでやって来た。英語やダンスや音楽や演技を学びに来る若い人はたくさんいるけれど、ニューヨークに学びに来るのは、なにも若い人だけの特権ではないのだ。
笑田さんは、本当によく勉強していた。発音が苦手なようで、授業中にマクドナルドの話をしたとき、何度「マクドナルド」と言っても、先生にはわかってもらえずに、とうとう「アメリカにそんなものはない」と言われたそうだった。それでも、英語の勉強歴半世紀を励みに(なのかどうか)、ノートにぎっしりボキャブラリーを書き連ね、熱心に学校に通った。
「ユニオン・スクエアの市場で売られているものを書いてきなさい」という宿題が出たときは、ただの「ブドウ」とか「アボカド」とだけ書けばすむものを、「最高品質のあまくてジューシーなブドウ(premium quality sweet & juicy grapes)」とか、 「クリーミーでおいしい、特大のアボカド(creamy & delicious extra-large avocados)」とか、札に書いてある通りせっせと綴(つづ)る、生マジメな笑田さんであった。
日本にいるときも、笑田さんは、朝、まだ暗いうちに起きてNHKで英語の勉強をしているらしい。英語の勉強に飽きると、買い物に出かけて、こまめにごはんを作り、洗濯をし、近所のゴミ当番を買って出て、午後はほとんど毎日のようにカラオケに出かける。
使いきれないほどの年金は入るし、退職金はそっくりそのまま残っているし、ローンを払い終えた家も貯金も相続した財産もあるし、悠々自適だ、そう笑田さん自身が言った。でも、笑田さんには、悲しいかな、倹約の精神が宿っているから、フランス料理のフルコースのディナーや箱根の高級温泉なんていう贅沢(ぜいたく)はしない、というか、できない。英語学校の下調べにアメリカに飛ぶことはできても、たとえば、食事に出かけて松竹梅のチョイスがあれば、必ずや「梅」を頼む節約の精神を持った人なのである。第一、ちょっと奮発して、「梅」を「竹」に、「並」を「上」に格上げしたって、潤沢な財産を使いきれるものでもない。