滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 特別編(小説) 三郎さんのトリロジー③

滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 特別編(小説) 三郎さんのトリロジー③

みんながくたびれた感じで仕事をする高柳商店で、
三郎さんだけが、いそいそと動き回っている。

 みんなくたびれた感じで仕事をしている高柳商店でいそいそと動き回っていたのは、庶務担当の三郎さんだけだった。庶務担当といえば聞こえはいいけれど、ここでも三郎さんは、用務員さんで、やっぱり教会でしていたことと同じようなこと──窓を拭いたり床を掃いたり電球を取り換えたり、といろんな雑用をしていた。倉庫にある在庫の出し入れをしたり、自転車に乗って近場の配達をしたりすることもあった。

 そして、ここでもやっぱり三郎さんは庭にいることが多かった。今考えてみると、庭以外に居場所がなかったのだろうと思う。庭といっても、教会の庭のような、庭らしい庭ではなく、大きな桜の木が車庫と倉庫に覆いかぶさるようにして枝を広げているほかは、銀子さんが「水たまり」と呼んでいる大きな陶器製の睡蓮鉢とコンクリで固められた花壇があるだけだった。桜の木の下にはベンチがあって、昼になると、三郎さんはベンチに座って、ブック型の弁当箱を広げた。午前と午後1回ずつタバコでいっぷくするときも、やっぱり桜の木の下だった。三郎さんは、無我の境地でタバコをふかし、空に向かってほうっと煙を吐いた。

 三郎さんと話す機会はずっとなかったけれど、あるときご近所からたくさんブドウをもらったので、お昼の時間、窓を開けて、

「三郎さぁん」

 と、声をかけてみた。三郎さんは、驚いて、弁当を食べる手を止め、周りを見回した。

「三郎さん、ここ、ここよ」

 太陽が目に入ってまぶしいのか、こちらを見て目を細めた。

「三郎さん、ご近所からブドウをたくさんいただいたから、これ、おすそ分け。どうぞ」

 窓越しにブドウの入った紙袋を差し出すと、三郎さんはのっそり立ち上がってやって来た。

「これ、ブドウなの。小粒だけどあまいのよ」

 三郎さんは受け取ると、深々と頭を下げた。前歯のすき間から息が抜けて、しゅっしゅっという音を立てるのが聞こえた。

 とそのとき、

「三郎さぁん」

 銀子さんの声が聞こえた。銀子さんは、大きなシュロチクの鉢植えを抱えて、ふらふらと裏口から入ってきた。

 よっこらしょと鉢植えを地面に下ろすと、

「ね、三郎さん、ちょっと頼んじゃっていいかな」

 ハンカチを取り出して額の汗を拭きながら言った。

「お昼の時間に、これ、衝動買いしたんだけれど、思いのほか重かったのよ。悪いんだけど、今日、仕事のあとで、うちまで運ぶの、ちょっと手伝ってくれないかなあ」

 三郎さんは、ブドウ入りの紙袋をいったん弁当箱の脇に置いてくると、黙って鉢植えを持ち上げた。どうやら、裏にある倉庫の方へと運んでいくらしかった。

「そうよねえ、こんなとこに置いとくのは、ちょっとまずいよねぇ」

 銀子さんは、三郎さんの後ろ姿に言った。

 それからわたしに向かって、

「三郎さんてほんとに役に立ってくれるのよね。助かってるのよ」

 三郎さんに聞こえるような声で言った。

 その日、仕事が終わると、三郎さんは、銀子さんのあとを、シュロチクの鉢を抱えてついていった。
 

(つづく)
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桐江キミコ(きりえ・きみこ)

米国ニューヨーク在住。上智大学卒業後、イエール大学・コロンビア大学の各大学院で学ぶ。著書に、小説集『お月さん』(小学館文庫)、エッセイ集『おしりのまつげ』(リトルモア)などがある。現在は、百年前に北米に移民した親戚と出会ったことから、日系人の本を執筆中。

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