私の本 第2回 福岡伸一さん ▶︎▷02

 大好評の連載「私の本」は、あらゆるジャンルでご活躍されている方々に、「この本のおかげで、いまの私がある」をテーマにお話をうかがいます。

「動的平衡」にいたるまでの道のりにつづき、生物学者の福岡伸一さんのお話は、「本のなかにしか存在しないもの」や「幼い頃の図書館探検」へとひろがります。

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生きた教養を学ぶには読書しかない

 科学を勉強するのに最も有効なのは、科学史を学ぶことだと思います。

 科学がどうやって発展してきたかというその筋道を知れば、無味乾燥に感じられがちな科学の知識も、立体的に見えてくるからです。

 現在は時間軸というものが漂白されてしまって、単に知識の羅列としてしか、科学を捉えていませんよね。でも科学を発見の歴史、気づきの歴史として見ると、そこに時間軸があることがわかります。

 たとえば私の「動的平衡」もそうです。シュレーディンガーの仮説からDNAが発見されて、シェーンハイマーが人間の身体はどんどんつくり変えられていると明らかにして、そのうえに私が唱えた「動的平衡」というコンセプトが生まれたんだ、というように。

 インターネット時代のいまは、グーグルに聞けば、もうあらゆる知識が手に入りますよね。でもそれは、クイズ博士のような知識に過ぎません。

 単なる物知り博士による科学の知識と、教養としての科学は明らかに違うんです。では、どうしたらいいか。科学史を自家薬籠中のものにするためには、やはり本を読まなければなりません。

 科学だけに限らず、世界がなにかを知るためには、時間軸がとても大切になります。その時間軸というのはネットのなかにはなくて、本のなかにしか存在しないんです。

 本には1ページ目と最終ページまでのなかに著者の時間軸、それから文化の時間軸が整理されて、ひとつのパッケージとして提出されているからです。

 この時間軸という考えを、私はとても大事にしています。シュレーディンガーの『生命とは何か』を何度も読み返していますが、それはこの時間軸を感じるためでもあるのです。

図書館で見つけた「知の寄り道」

 幼い頃の私は、今思い返すと、完全にオタクでした。あの頃は、オタクという言葉がなかったので、そうだとは自分でもわからなかったんですけれど(笑)。

 オタクというのは何かひとつのことを知ると、その源流を辿りたくなります。顕微鏡で虫を見ることに夢中だった私は、そのうち顕微鏡の歴史を知りたいと願うようになりました。

 いったい誰が、顕微鏡というものをつくったのか。小学生の頃はまだインターネットもグーグルもなかったので、本で調べるしか方法はありませんでした。

 近所の図書館でうろうろしていたら、ある日、図書館司書の人が、そういう専門の本は書庫にありますよ、と教えてくれた。

 受付カウンターの後ろに狭い通路があって、本が焼けないようにするため暗く、棚が何層にもわかれていました。そこに足を踏み入れると、まるで迷宮のなかに入ったような感覚に襲われた。

 それでいろいろ探検してみると、図書館の書物は日本十進分類法という仕組みで分類されていることがわかったんです。

 私が調べたい自然科学や昆虫の本は400番台、なかでも460番から480番にあって、書庫のなかでも、そんな奥まで誰も行きません。

 だから書庫そのものが、まるで自分の書斎のような状態になっていました。

 そうやって昆虫に興味を持ち、今度はファーブルのことを知りたいと思うと、伝記は200番台にあるとわかります。

 さらには、その目的の書物のところに行くまでに、いろんな本の背表紙が呼んでくるわけです。いわば道草ですね。インターネットで本を買うのは確かに便利だけれど、それだと目的の本としか出逢えません。

 本来は、必要な本がどこにあるか調べに行く途中で偶然知る、その道草がとても大事なのです。つまりは、知の寄り道ということですね。

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顕微鏡を自作した、「微生物の父」と書物で出逢う

 そんな日々のなかで知ったのが『微生物の狩人』です。微生物学の進歩に寄与した偉人について、列伝のように綴ってある一冊でした。

 その第1章に、顕微鏡で微生物を発見した17世紀のオランダ人、レーウェンフックについて書かれていたのです。

 レーウェンフックはどのような職業に就いていたかは正式にはわかっていませんが、 もの好きなアマチュアで、レンズを磨き、さらには何台もの顕微鏡を自作しました。それは最高で300倍近い倍率を持つものでした。

 彼はその自作の顕微鏡を使って、ありとあらゆるものを観察していきます。

 科学の勉強をしていないからか、その仮説もまた破天荒でした。

 生きた鰻の尻尾を見て、その血流のなかに赤血球があることを発見します。

 そして、胡椒がぴりぴりするのはトゲがあるからではないかと思い、胡椒の粒を水に浸して砕き、観察しました。

 それを数週間後に再び見ると、そこに無数の小さな生き物たちが蠢いていたんです。

 そうして人類史上初めて微生物を観察し、「微生物の父」と称されるようになりました。

 彼は自分の精液も観察して、精子の発見者にもなります。ある人の精子を見ると虫がうようよしていたので大変な病気にかかっているのではと心配した。でも、それは腐っているからかもしれない、もっと新鮮なもので調べようと試みるんです。

 それで自分の新鮮な精液を見ても、やはり虫がいるというので、これは病気ではなく、いつでも精子が実在しているのだと安心した。カトリックの教義ではマスターベーションは禁じられているので、正しい夫婦の営みによりその新鮮な精液を採取したと、彼は主張していますけれど(笑)。

 そうやっていろんな生物の精液を見た結果、それが生物の種になっているに違いないと確信したわけです。

 卵子は母体の奥深くにありますから、当時はまだ卵子の存在がわからず、多くの人は精子が生命の源で、女性の身体はその揺りかごと思われていました。

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福岡伸一(ふくおか・しんいち)

1959年、東京都生まれ。京都大学卒業後、ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授・ロックフェラー大学客員教授。研究に取り組む一方、「生命とは何か」について平易に解説した書籍や、絵画についての解説書、エッセイなどさまざまなジャンルの著作を発表している。主な著書に『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)や、『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命科学の静かなる革命』(インターナショナル新書)などがある。最新刊は『ツチハンミョウのギャンブル』(文藝春秋)。『動的平衡』は現在3巻まで刊行されている。また、対談集『動的平衡ダイアローグ』が出版されている(いずれも木楽舎刊)。

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