文学作品に学ぶ、“人ならざる者”への恋の作法【文学恋愛講座#9】

人間は時に、“人ならざる者”をも恋の対象にするもの。そこで、古今東西の文学作品の中から、人ならざる者に恋をした人物が登場する小説を紹介するとともに、現実世界では決して叶わない恋の行方について考えます。

数年前の4月、奇妙なニュースが巷を賑わせたことがあります。

ポーランド南部のクラクフに住む30代の男性が、10年前に購入したある絵画の中の女性に“一目惚れ”し、そのモデルとなった女性を探し求めているというのです。彼は10年間の捜索の末モデルに会うことを諦め、なんと、絵の中の女性本人と結婚すると発表して世界の人々の度肝を抜きました。

その男性は「ポーランドの法律で結婚が許されないなら別の国に移住する」と話していたとアメリカのニュースサイト「ODDITYCENTRAL」で報道されていますが、彼がその後どのような形で恋を成就させたのか(あるいは諦めたのか)は知りえません。

そう、人間は時に、“人ならざる者”をも恋の対象にするのです。今回は古今東西の文学作品の中から、人ならざる者に恋をした人物が登場する小説をご紹介しつつ、現実世界では決して叶わない恋の行方について考えます。

 

【ケース1】“30年前に死んだ女優”への恋──『活動寫眞しゃしんの女』

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浅田次郎『活動寫眞の女』は、昭和40年代の京都の撮影所を舞台に繰り広げられる大学生の恋愛模様を描いた長編小説です。

主人公の薫は京都大学に入学したばかりの大学1年生。道に迷い偶然入った映画館で、端正な顔立ちの2年生、清家忠昭に出会います。

(中略)恥じ入るように俯いた横顔は美しかった。ふと、僕は映画館の中でフィルムに飽きてまどろみ、夢でも見ているのではないかと思った。愁いを含んだ清家忠昭の表情は、古い松竹映画の佐田啓二に似ていた。やわらかな髪をポマードでなでつけ、伏し目がちの瞼を長い睫毛が覆っていた。

映画マニアである清家は、映画の中の人物のようにどこかミステリアスに描かれます。薫は清家と次第に仲良くなっていきますが、ある日、撮影スタジオで見かけた美しい女優に清家が恋をしたところから物語は急転します。清家が恋した女性はなんと、30年前に自殺した大部屋女優である伏見夕霞だったのです。

伏見夕霞は幽霊でありながら肉体を持ち、次第に清家に惹かれていきます。薫は清家と伏見夕霞の恋愛を親友として見守りながら、自らも早苗という大学生に恋をします。

すでに斜陽産業となりつつあった映画に情熱を傾け続け、それぞれの恋愛を謳歌する薫と清家。しかし薫はやがて、学生紛争や撮影所でのアルバイトといった自分を取り囲む環境が、ひとときの“幻想”として消費されているような危機感を覚え始めます。薫はモラトリアムを抜けて新たな進路に進む決心をし、“僕らの時代を幻想としてはならない”という思いから、早苗と別れる道を選ぶのです。

しかしながら、その“幻想”から抜け出せなかった清家は、映画という幻の中に吸い込まれるように姿を消してしまいます。幻想を捨て、現実の世界を生きることを選んだ薫と、幻想の世界に身を投じ、(おそらく)この世の人間ではなくなってしまった清家。どちらの生きざまが真に幸福なのかは、我々読者の判断に委ねられています。

 

【ケース2】変わった“石”への熱烈な恋──『石を愛して』

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中国の清代に代々伝わる怪異譚を、蒲松齢ほしょうれいという人物が書き綴った怪奇短編集聊斎志異りょうさいしい。芥川龍之介や澁澤龍彦といった作家らにも大きな影響を与えたというこの短編集の中から選び抜いた19話を、森敦が翻訳した作品集が『私家版 聊斎志異』です。

『聊斎志異』には、狐や幽霊といった“人ならざる者”に時には真面目に恋をし、時にはたぶらかされる男たちが多数登場します。中でも最も奇妙なのが、“石”に夢中になり、生涯をかけた恋をする男を描いた『石を愛して』でしょう。

刑雲飛けいうんひという人物は、生粋の石マニア。ある日、郊外の湖畔で見つけた空洞の多い“石”に一目惚れをし、それを持ち帰って宝物のように扱うようになります。

ある時、刑雲飛が家を訪れた怪しげな老人を客間に通すと、彼は自分こそが本来の石の持ち主であると主張します。愛する石をどうしても失いたくなかった刑雲飛は、自分の寿命3年分と引き換えに、その石を手にし続けるという契約を老人と結ぶのです。

刑雲飛の石への愛情の強さに驚いた老人は、彼にこんな言葉をかけます。

「天下の宝はそれを愛する人に与えられるべきものだ」

他人から見れば美しいわけでも、高価な値段で売れるわけでもない変わった“石”。それを一途に愛し続けた刑雲飛は、老人が予言したとおりの寿命で生涯を終えます。しかし、物語は次のような描写で結ばれています。

彼亡きあとも刑雲飛の息子の夢にはたびたび“石”と清遊する刑雲飛が現れた

他人には価値の分からないものを一途に愛し続けることの幸福について、深く考えさせられる物語です。

 

【ケース3】“絵の中の人物”への恋──『押絵と旅する男』

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『押絵と旅する男』は、明智小五郎シリーズといった探偵小説や本格推理小説で人気を確立しつつあった小説家・江戸川乱歩が1929年に発表した、幻想的な短編小説です。

この作品は、自身の作品を簡単には評価しなかった乱歩も珍しく気に入っていたと言われており、後年にはドラマ化や映像化も盛んに行われています。2018年7月20日からは、青森県立美術館、静岡県立美術館、島根県立石見美術館による合同開催美術展「めがねと旅する美術展」でも短編アニメ「押絵ト旅スル男」の公開が発表されており、梶裕貴といった豪華な声優陣の出演も相まって話題を呼んでいます。

乱歩作の『押絵と旅する男』は、まさに“押絵の中の人物”に恋をしたひとりの男性を巡る物語です。主人公はある日の帰り道、汽車の中で、奇妙な額縁のようなものを風呂敷に包んだ老人に出会います。老人に「これが御覧になりたいのでございましょう」と言われた主人公はその言葉のままに、風呂敷の中身をこっそりと見せてもらうのです。

額には歌舞伎芝居の御殿の背景みたいに、幾つもの部屋を打抜いて、極度の遠近法で、青畳と格子天井が遙か向うの方まで続いている様な光景が、藍を主とした泥絵具で毒々しく塗りつけてあった。(中略)
その背景の中に、一尺位の丈の二人の人物が浮き出していた。浮き出していたと云うのは、その人物丈けが、押絵細工で出来ていたからである。黒天鵞絨くろびろうどの古風な洋服を着た白髪の老人が、窮屈そうに坐っていると、(不思議なことには、その容貌が、髪の色を除くと、額の持主の老人にそのままなばかりか、着ている洋服の仕立方までそっくりであった)緋鹿の子の振袖に、黒繻子の帯の映りのよい十七八の、水のたれる様な結綿ゆいわたの美少女が、何とも云えぬ嬌羞を含んで、その老人の洋服の膝にしなだれかかっている、謂わば芝居の濡れ場に類する画面であった。

風呂敷の中身は、目の前の老人にそっくりな男と美しい少女が寄り添う様子を描いた絵画でした。老人は主人公に、その絵に描かれている男は自分の兄であるという不思議な話をします。男はかつて絵の中の少女に思いを寄せ、絵の置かれた出店に通い続けた結果、ある日、老人の目の前で絵の中に溶け込んでしまったというのです。

絵の中の人物に恋い焦がれ、しまいにはその中に入り込んでしまった男。男の弟である老人はさぞかし悲しい思いをしているかと思いきや、彼はこんな風に語ります。

私は悲しいとは思いませんで、そうして本望を達した、兄の仕合しあわせが、涙の出る程嬉しかったものですよ。

この話が本当であるとするならば、三次元から二次元に住む世界を移すことのできた男は確かに幸せ者であったと言えるでしょう。しかし、この物語の最後には、もともと絵であった美少女の姿はいくつ歳をとっても変わらないのに、男だけが絵の中でひとり老いてゆくさまが描かれます。男は歳を重ねるにつれ苦しそうな顔をするようになった、と老人は語るのです。

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一方、アイルランド出身の小説家であるオスカー・ワイルドには、絵の中で年老いてゆく男を主人公にした『ドリアン・グレイの肖像』という著作があります。『押絵と旅する男』はこの作品を下敷きにしたとも言われており、絵の中の人物が歳をとっていくという設定は確かに両者に共通しています。

しかし、『ドリアン・グレイの肖像』が『押絵と旅する男』と異なるのは、作中に登場する肖像画のモデルとなった主人公ドリアン・グレイが、現実世界では若い姿のまま生き続けているという点です。

稀代の美青年であるドリアン・グレイは、自らの若さと美しさが一瞬のものであることを自覚しており、自分の肖像画を前にしてこう祈るのです。

「悲しいことだ! やがてぼくは年をとって醜悪な姿になる。ところが、この絵はいつまでも若さを失わない。(中略)ああ、もしこれが反対だったなら! いつまでも若さを失わずにいるのがぼく自身で、老いこんでいくのがこの絵だったなら!
そうなるものなら─そうなるものなら─ぼくはどんな代償も惜しまない。この世にあるどんなものだって惜しくない。そのためなら、魂だってくれてやる!」

その結果、ドリアンはいつしか老いなくなり、反対に肖像画の中のドリアンだけが歳をとってゆくことになります。現実世界のドリアンは奔放な生活を続け、ある日ようやく、醜く老いた肖像画の自分の姿こそが自分の“良心”であったと気づくのです。

生きている限り、人は常に死に向かっています。しかし、『押絵と旅する男』の絵の中の少女やドリアンの恋した若き日の自分が歳をとらなかったように、恋心というものはその対象を一方的にひとつの時間や空間に閉じ込め、冷凍保存してしまう力を持っています。そしてそれは、決して“人ならざる者”への恋に限ったことではないのではないでしょうか。

 

おわりに

今回の文学恋愛講座では、幽霊や絵画といった“人ならざる者”に恋をした男たちの奇妙な物語をご紹介しました。彼らの数奇な運命を、フィクションの中の物語として味わい、消費するのはとても簡単なことです。

しかしながら、恋はどんなものであれ、相手を美しい“虚構”に仕立てあげてしまう性質を持っています。現実の相手に対する恋は相手や自分の変化によっていつしか終わりを迎えますが、もしもあなたが永久に恋を続けたいと思うのなら、絵の中に入ってしまった男や寿命と引き換えに石を手にした男のように、虚構の中でいつまでも身を遊ばせ続けることを選ぶしかないのかもしれません。

初出:P+D MAGAZINE(2018/07/09)

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