星野智幸さん『焰』

第116回
星野智幸さん
いろんな価値観が共存できるということを書きたかった。
hoshinosan

 今の世の中の姿をさまざまな角度から、時に幻想的に、時にユーモラスに、時にシリアスに描き出す星野智幸さん。新作『焰』は、異なる時期に書いた短篇を繋ぎ合わせて独自のうねりを持たせた一冊。そこには今の日本社会を生きる私たちへの問いかけが詰まっている。

今の社会の危機と希望を一冊に

 終末的な世界の野原のような場所で、焰を囲む人々が一人ずつ語っては消えていく。彼らが語る九つの物語と、その野原の光景が順番に現れる星野智幸さんの新作『焰』。短篇が繋ぎ合わさってひとつの世界が見えてくる、長篇のようなつくりの一冊である。ただ、収録される短篇は二〇一一年から二〇一七年と、長い期間にわたって発表されたものだ。

「短篇集を出す話になった時に、それまで未収録だった短篇を集めて読んでみたら世界像が共通する印象があったんですね。ただ短篇を並べただけの本はあまり読まれないとも耳にしていましたし、ならばこれらをサブテキストで繋ぎ、その共通の部分を濃厚に立ち上げていく方向で進めてみることにしました」

 短篇の並びも発表順ではなく、全体でひとつのストーリーに見えるように起伏を作る配慮をした。現代社会の危機的状況への鋭い指摘と、非日常的・幻想的世界が融合した作風を発表し続けている星野さん。しかし、そこに込めた思いは時を経るごとに少しずつ変わってきている。

「まさにその過程がここに全部入っていますね。書き方の変遷が如実に出ている。より過去に書いたものは寓話性が強く、中盤の頃は世の中の危機的状況をデフォルメさせて可視化させることで、その道を避けなければこうなりますよ、という警鐘のつもりで絶望を書いている。でも後半では危惧した危機的状況がすでに現実になっているので、そこから希望を見出す方向として、その先に選びうる社会の像を提示しようとしていますね。ただ、安易に理想を書くとただの綺麗事になる。それは文学の役割ではないんです。書きたかったのは、今、いろんな選択肢や価値観が潰されつつありますが、逆にそれらの多様な価値観が共存できている世界。そういう社会だって個々の人に悩みや喜怒哀楽が生まれる。でも少なくとも、ひとつの暗い価値観に覆いつくされている社会より、希望があると思うので、それを提示したかった」

世の中をあぶりだす九つの語り

 最初に語られる「ピンク」では、四十度超えの日が続く猛暑の夏、鳥や魚、そして人間までもがくるくると回転をはじめる。

「ヒントになったのはトルコで偶然見た、セマーゼンの踊り。イスラム神秘主義の儀式で、スカートをはいた信者が回転するんです」

 作中、回転する人々は、祈りを捧げているようにも、思考停止状態に陥ったようにも見える。

「そうですよね。みんなが一斉に同じ行動をとるのは、全体主義の方向にも行きかねないとも思えるし、そういう状態に行きたくなくて祈っているのだとも受け取れる。どっちともとれる状態を描いたということになります」

 次の「木星」では、一人の女性が久々に再会した友人と話が合わず、相手がおかしな方向に変わったと感じたものの、次第に自分の認識の危うさを実感していく。実際に友人と話が合わなくなる経験がある読者も多いと思われるが、

「そういうことってありますよね。僕も友人から、韓流ファン仲間が急に韓国の悪口を言うようになり、こっちを責めるような言い方までされた、と聞いたことがあって。そういう事例がいろんなところで起きている。この短篇もヘイトスピーチが短期間で悪化していった時期に書いたもの。それまでは建前上だけでも取り繕っていたものが、取り繕いさえしなくなった瞬間にものすごいスピードで悪化していく、というようなことを友人と話していた頃でした」

 次の「眼魚」は、魚群の目玉みたいに見えるエリカという花を買った男が、流行の急性落涙症候群に罹り、やがて難聴もきたす。

「大学で教えていた頃に学生が自殺をしてしまって、お葬式の帰り道に花屋の前で休んでいたらエリカという花が目に入り、その鉢を買ったことがあったんです。『俺俺』という小説で、水族館の鰯の大群が目玉だけが一斉に同じ方向に群れているように見えると書きましたが、エリカにそのイメージが重なりました。僕は十年ほど前に突発性難聴になったのですが、その頃周囲でも同じ症状になる人が多くて、聞こえなくなるのは、世の中に聞きたくないことが満ちているからだ、と考えたことがあったんです。眼や耳をふさいで孤独になりたい人も多いんじゃないかと考えたことがこの話のきっかけ」

「クエルボ」はアンソロジー『変愛小説集』に寄せたもので、定年後、カラスになりたいと願った男の話だ。

「他人と接触したいのに居場所がなくて偏屈になり、それが高じてカラスになる男の話ですね。眼だけの魚だったり、カラスだったり、今回の本は人間ではないものになりたがる話が多いんです(笑)」

 主人公たちがなりたがるのは動物だけではない。次に語られる短篇のタイトルは「地球になりたかった男」だ。

「卒論で書いた小説が、屋根裏にこもって人と一切接触しないことで人類愛が完成すると考える男の話でした。特定の人を大切にするのは人を差別することに通じると考える、極端な博愛主義の話でした。それは観念的な内容でしたが、今回はそれを、日常を生きる人の話として書きました。自分が地球になれば、人間だけでなくあらゆる生命を愛せる、と考える男の話ですね」

 もちろん、それが博愛に通じるとは思えない。

「そうした博愛は人類の絶滅を望む感性とも親和しやすく、テロリストになる危険性もある。具体的に誰かを大切に思いケアすることは時に人と人との間に線引きをすることになるかもしれないけれど、自分を孤独にはしないから、暴力の支配に歯止めをかけられると思います」

 一方、「人間バンク」では、人間=貨幣価値とみなされる社会が描かれる。自分の命の価値を測られ、融資を受ける男の話だ。

「これはお金がテーマの短篇の依頼でした。それで人間がお金になる世界はどうか、と考えたんです。そもそも、昔は金本位制の時代もありましたが、今はお金の価値って何を担保にしているのか分からない。価値が相対的に決まってしまうというのがお金の本質だなと思いました。人でお金の価値が担保されると考えると、その冷酷さも仕組みもよく見えてくるのでは」

 次の「何が俺をそうさせたか」は、親の介護にも仕事にも行き詰まったジャーナリストもどきの男が、〈お年寄り、引き取ります〉という謎めいたちらしを見かけ、親を引き渡すと同時にこの秘密主義の施設を取材しようと企む。

「これは二〇一〇年頃に、二〇三〇年をテーマにした短篇の依頼を受けて書いたものです。二十年後の世界を考えるために、まず百年前を知ろうと一九三〇年のことを調べたら、格差問題や貧困問題が深刻な時代で。暗黒社会の女性の悲劇を描いた『何が彼女をそうさせたか』という映画もヒットしていたくらい。そうした世相と重ね合わせて二〇三〇年を書いてみました。文中にカタカナが入るのも、当時の記事の雰囲気を出したものです。また、作中に労働争議の最中にエントツに登って降りてこない女性が出てきますが、当時実際に煙突に登って自分をアピールして話題になった男がいたそうです。それを現代に置き換えるということで、女性が登った設定にしました」

「乗り換え」では星野幸智という男が、もう一人の自分と思われる男に出会い、あったかもしれない人生に思いをはせる。

「以前書いた『俺俺』は大勢の他人が自分になっていきましたが、これが逆ベクトルで、自分が分岐していく。いろんな自分がありえたかもしれない、という話です」

 自分は新聞記者を辞めたが、相手は記者を続けた結果、政治家の娘と結婚し、県議に立候補することになっていると知る主人公。

「実際に自分も新聞社を辞めた後に政治家の秘書にならないか、という話があったりしたんです。自分にとってリアリティと重みがある素材を書いたほうが作品としても切実さが伝わるかと思い、あえて自身にありえた分岐点を盛り込みました。はじめて私小説的な題材で書いたものですね(笑)」

 では書いてみて、今の人生を選んでよかったと思うかどうか……。

「どうやっても客観的に見るには限界がありますよね。もしかしたら自分も、政治家になってその人生に満足していたかもしれません。つまりそれだけ、人間には振り幅があり、まったく違う自分になる可能性がある。同時に言えるのは、自分と全然違う人に対して"あんな考え方絶対に違う"と思っても、その人のようになっている自分がいたかもしれない、ということ。まったく理解できない人間でも、完全に相容れないほど自分とは違う人間なのかというと、そんなことはないんですよね」

 確かに、生活環境によって人の考え方は大きく変わっていくもの。

「学生の頃にアナーキーだった人間が就職先によっては保守的になったり、リベラルな人間が偏っていくことはある。その環境にある程度アジャストしないとストレスでおかしくなるから、よくも悪くも自分を守ろうとする能力が人間にはある。それが時に悲劇を生むわけです。でも事前にある程度、人にはそういう面があると意識していれば、自分と異なるものを排除しないで悲劇を防ぐ余地が生まれると思うんです」

 最後の短篇は「世界大角力共和国杯」。ここでは相撲が国籍や性別に関係なく、世界各国で盛んな競技となっている。

「もともと相撲は好きで、二〇一五年くらいから再び見るようになったら、差別がすさまじくて。悪い面があるのに"国技だからしょうがない"という風潮で、正当化される。嫌な空気が強くなるばかりだったので、悪い面が解消された相撲の世界像を書かずにはいられなかったんです。書こうとしたら相撲だけでなく、自分がこの社会に求めるものが含まれるなと気づきました。だから、こうなればみんな生きやすくなると思う姿を相撲に仮託して、自分が今選び実現させたいと思っている価値観を書いてみました」

自分の言葉で語るということ

 短篇を繋ぐサブテキストでも、終末を迎えたかに見えた世界にかすかな希望の兆しが感じられるように。各短篇を一人一人が語る、という作りにしたことにも意味が見えてくる。物語を語るという行為は『夜は終わらない』にも書かれていたが、

「今はネットなどで受け取った言葉を、自分の言葉だと思い込んでそのまま使っているように感じます。でも、それはみんなが同じ方向に流されるのを加速させるだけ。自分が本当はどう感じているのかを探って、一生懸命考えて、実感のある言葉が出た時、ようやく物語は始まる。自分はそういうことを、繰り返し書いているのかもしれませんね」

星野智幸(ほしの・ともゆき)

1965年アメリカ・ロサンゼルス市生まれ。88年早稲田大学卒業。新聞社勤務後、メキシコに留学。97年「最後の吐息」で文藝賞を受賞しデビュー。2000年『目覚めよと人魚は歌う』で三島由紀夫賞、03年『ファンタジスタ』で野間文芸新人賞、11年『俺俺』で大江健三郎賞、15年『夜は終わらない』で読売文学賞を受賞。近著に『呪文』『未来の記憶は蘭のなかで作られる』『星野智幸コレクションⅠ~Ⅳ』『のこった──もう、相撲ファンを引退しない』などがある。

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