周防 柳さん『とまり木』

挫折があっても、「生きててよかった」と思える瞬間が絶対にあるはずなんです。

 両親を事故で亡くし、親戚の家に引き取られた青山伊津子。孤独な少女は生きるよすがを求めて「絵を描く」という行為にのめり込んでいくが……。周防柳さんによる本誌連載小説「彼岸の屋上遊園」が『とまり木』というタイトルで書籍化。執筆の経緯について、うかがいました。

周防 柳さん『とまり木』

現実と地続きなようで、どこか不思議な遊園地

──『とまり木』の前半は2つのエピソードが交互に語られていきます。ひとつはたび重なる不幸に見舞われながらも、必死で居場所を見つけ、大人になっていく伊津子の物語。もうひとつは、「どこかの都市の真ん中の、ビルの屋上遊園地」での出来事。執筆のきっかけについて教えてください。

周防……今回は2つのテーマを組み合わせた小説なんです。ひとつめのテーマはなぜ自殺する人がこんなにも多いのだろうか、ということについて。「死にたい」と思ったこと、誰でも人生で一度はありますよね。人間には「死ぬ」という選択肢が与えられている。でも選択肢があるからこそ、何かあったらあっち=死の世界へ行けばいいじゃんと思ってしまう。死に至る病ですよね。そのことについて小説を通して考えてみたいとずっと思っていました。

──もうひとつのテーマは?

周防……舞台にもなっている「屋上の遊園地」です。屋上ってすごく中途半端な場所だとずっと思っていて。地上の生活からは遊離しているけど、天国までは届かない宙ぶらりんな場所。古い映画とかを見ていると、屋上って結構出てくるんですよ。不良少年にとってのアジール(聖域)、隠れ家のような場所として。

──自分が住んでいる町や学校が見下ろせる、ちょっと特別な場所ですよね。

周防……そうそう、人間の視野って水平の範囲でならすごく見えるんだけど、垂直方向は意外と見えないそうなんですね。そういう意味でも屋上は目が届きづらい死角でもある。そんな屋上にある遊園地というのも、不思議な場所だなと感じていて。ローテクでうらぶれているんだけど、学校をサボった子や、リストラされたお父さんとか、後ろめたさを持った人が逃げ込んでもなんとなく過ごせてしまう場所。そういうイメージがあって、いつか屋上の遊園地を舞台にした小説を書きたいと思っていました。

──本来ならば楽しい場所であるはずの遊園地なのに、『とまり木』の屋上遊園地には謎めいた静けさがあります。働く者たちは皆が屋上に住み、外へは出ない。「管理人」から毎週支払われる給料は一律一万円。伊津子の章と屋上遊園地のエピソードが交互に語られていくうちに、ここがどんな場なのかが少しずつ読者にも見えてきます。日常と地続きなようで、何かが違う。

周防……特殊なシチュエーションなので、そのことを地の文で説明的に書くのではなく、主人公自身が目で見た風景、色彩や情景として読者に伝えたかったんですね。主人公の伊津子を画家にしたのはそのため。画家でなくとも作家とか、創作する人であればおそらく成り立ったとは思うのですが、青空と雲が近くて、遥か眼下にはランドスケープがある屋上遊園という非常に絵的なシーンを思い描いていたので、フォルムとカラー、つまり視覚で自然に情景を捉えられる人がふさわしいだろうと考えました。

自分の足で立っている者同士結びつかずにはいられない

──10歳で両親を喪った伊津子は、東京の叔父宅に引き取られ、ある出来事から岩手の祖母宅に逃げ込むも、再び叔父宅、そしてまた別の場所へ。美術大学に進んだ彼女は妻子ある小林教授と恋愛関係になります。伊津子の才能に惹かれた小林と、小林を唯一の理解者だと信じる伊津子。世間的には不倫ですが、ふたりは絵で結ばれた同志でもある。

周防……私ぐらいの年齢になったら、色恋というよりも一対一で人として向き合った上で、そこに肉体関係が伴ったり伴わなかったり、という恋愛になると思うんです。伊津子という人物を考えたときに、過去を考えると普通に人を好きになるという選択肢は多分ないだろうと思いました。人間不信に陥ると、人ってまず一人で生きていくことを考えますよね。他人がどうあろうと、私は私の世界で生きていく。そこが根本にあるからこそ、伊津子の恋愛は普通とは違う。小林のように同じソウルで世界を見られる相手、一対一で対峙できる相手にしか惹かれないんだろうなと思います。

──幼い娘と妻がいる身でありながら、教え子と蜜月関係を続ける。表面だけを見ると不誠実ですが、小林の抱える孤独も伝わってきます。

周防……彼も悪いといえば悪いけど、そんなに悪くはないとも思える。彼もやっぱり一人で生きている人なんです。奥さんや娘を愛してはいるけど、自分一人で立っている。伊津子も同じ。一個の玉というか、天体のように。誰かに寄りかかって生きようとはしていない。だからこそ、カチッとハマる相手に出会ったら結びつかずにはいられない。このあたりは私の恋愛観、好みが反映されているかもしれません。

現実と屋上遊園を繋ぐ鍵は『銀河鉄道の夜』

──エピグラフ、そして本編でも宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が登場します。中盤以降に登場するもう一人の主人公・美羽、伊津子、屋上遊園の世界を繋ぐ鍵となるモチーフですね。

周防……「銀河鉄道の夜」は最初にプロットを組んでいくときから主題のひとつとして考えていました。あのお話って寂しいんですよ。なかなか難解な、童話に見せかけた、一人ぼっちの物語なんですよね。でもこの小説のテーマとすごく響き合うものがあった。伊津子も小林も一人で立っている人間だとさっきお話ししましたが、それでもやはり人は、一人では生きられない。

──伊津子と小林の娘である美羽の関係性は、「銀河鉄道の夜」におけるジョバンニとカムパネルラの姿にも重なっても見えます。美羽という重要なキャラクターを「幼い」「少女」という設定にしたのはなぜでしょう。

周防……そのあたりはあんまり意識はしていないんです。気が付いたら子どもが主人公になっちゃっていた、というか。ただ、主人公の画家を20~30代の女性にしようというのは最初に決めていたんですね。その彼女が自分の分身のように感じられる相手は、やっぱり同じ女の子じゃないかな、って。

──物語が終盤に向かうにつれ、か弱いだけだった美羽の芯の強さも見えてきます。周防さんの過去作を振り返っても、子どもがキーパーソンになるケースが多く見受けられますよね。

周防……美羽は気が付いたらもう一人の主人公になっていたというか、書いているうちにすごく目立つ存在になっちゃいましたね。キーにしようと意図していたわけでは決してないのですが。ただ、美羽につらく当たるお母さん=小林の妻も、決して悪人じゃないんですよ。

──確かに、伊津子や美羽を不幸に追いやる人々も悪人としては描かれません。卑しさ、暴力性、それと相反する優しさや誠実さ。一人の人間の中に矛盾するいくつもの要素がパッチワークのように縫い合わされています。

周防……みんな何かしらそれぞれの事情や背景がある。伊津子だっていいところばかりじゃないですよね。自分の足で立って生きていこうという決心は立派だけれども、そのために小林の妻や娘である美羽を傷つけ、家庭を壊してしまう。身勝手なんです。でもそれだって仕方がないこと。人間には、みんなそれぞれに一面的ではない善と悪があるんです。

守られた安全な居場所は裏を返せば鍵のかかった鳥籠

──物語の終盤では「屋上遊園地」が本当はどんな場所なのかが明らかにされます。タイトルの「とまり木」の意味、そして銀河鉄道の世界観・イメージがさらに深く重なっていきますね。

周防……とまり木って、つまりは鳥が羽を休めるところ。場所でいえばこの屋上遊園地も同じ意味を持つんです。一方で、安全な屋上遊園地は、籠の中の鳥の状態と同じともいえる。一方から見ると飛びたくても飛べない状態なんだけれども、別の方向から見ると守られている安全圏、避難所でもある。その両面を持つ場所なんです。

──最後の最後に、伊津子と美羽には「二つの道」を提示されます。安全な屋上遊園地から出ていくか、残るか。読者もきっと自分ならどうするだろう、と我が身を重ね合わせるはずです。

周防……最初に挙げたひとつめのテーマに戻るのですが、「死にたい」と思って死を選ぶ人はたくさんいるけれども、人間は意外と死ねないようにできているんですね。そして死ねなかった結果、生まれ直して素晴らしい人生を送る場合だってたくさんあるんです。だからとまり木のような場所で羽を休めて、希望を見いだせるようになったら、また戻って続きを始めることは絶対にできる。待っている先は意外と温かいところだったりもするはずだから。

──ラストの銀河鉄道のシーンは、磨き抜かれた言葉の美しさに胸を打たれます。「僕たち一緒に行こうねえ」「どこまでもどこまでも一緒に行こう」と語り合い、強く望んでいたカムパネルラとジョバンニも、結局は「一人」になる。でもその先には希望の光が見えます。

周防……恋人や友達がいても、やっぱり人は一人なんですよね。最後には一人で電車に乗らなきゃいけないし、何があっても降りちゃダメ。一人きりで絶対に最後まで行く。そこを乗り越えた先に、本当の友達なり伴侶なりができるはずだから。挫折があっても、人生はその都度やり直すことができるし、「生きててよかった」と思える瞬間も絶対にあるはずなんですね。その一端を書いた物語として読んでもらえたらと思います。

とまり木

周防 柳(すおう・やなぎ)
1964年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。2013年『八月の青い蝶』で第26回小説すばる新人賞を受賞してデビュー。同作は2015年に第5回広島本大賞を受賞した。他の著書に、復讐か赦しかの問題を問う『虹』、人生の価値を考えさせる『余命二億円』のほか、『逢坂の六人』『蘇我の娘の古事記』『高天原』などがある。

(構成/阿部花恵 撮影/浅野 剛)
〈「きらら」2019年2月号掲載〉
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