水村 舟『県警の守護神 警務部監察課訟務係』◆熱血新刊インタビュー◆
夢をもう一度
おっ、と身を乗り出さざるを得なくなる書き出しだ。〈警察はよく訴えられる。/不当に犯人扱いされた、警察官に怪我させられた、車を傷つけられた──/民事上のトラブルは、話合いで解決できなければ法廷に持ち込まれる。警察側が被告席に座り、警察官が証人尋問に引きずり出されるのは、珍しいことではない〉。
このような民事裁判に関わる警察機構内の部署が、訟務係(訟務課)だ。警察を扱ったフィクションで、この部署に属する警察官が登場したことはほとんどない。
「新人賞に応募する以上は何か新しいアイデアが必要だなと考えていったところで、訟務係に辿り着きました。私は勤め先で法務部門に関わっていた時期が長かったので、訴訟の制度や法律などはもともと知識があったんです。それに、趣味で警察法の逐条解説や判例集なども読んでいました。大の警察マニアなんです(笑)」
物語は二部構成が敷かれている。第一部で描かれるのは、R県警H署地域課で交番のお巡りさんとして働く、新人警察官の桐嶋千隼が巻き込まれた事件だ。現在26歳の彼女はかつて有名な競輪選手だったが、警察官になるという夢を諦め切れず転職した経歴がある。クリスマスイブの夜、先輩が運転する車に同乗して事件現場に向かっていると、目の前でオートバイが倒れ運転していた人物が路上に投げ出された。一人で救護に向かったところ、後ろからやってきた車に追突され意識を失う。バイクを運転していた少年は死亡、轢き逃げした運転手は逃亡という辛い現実の先に、想像だにしない不運が降りかかる。少年の遺族が、事故は千隼の過失によって引き起こされた、責任を認めよ、という損害賠償請求の裁判を起こしたのだ。
「警察官が訴訟に巻き込まれ、本人が法廷に立つという展開から始めようとした時に、このシチュエーションが浮かんできました。病院のベッドで目が覚めたら〝えっ、なんで!?〟という状況になっていて、パトカーを運転していたのはお前だったとか、自分を守るために少年を放置したという身に覚えのない非難を受ける。しかも、裁判で勝つために噓をつけと促されてしまうんです」
簡単に拳銃を撃ちすぎる警察エンタメへの違和感
千隼の弁護を引き受けることになったのは、R県警警務部監察課訟務係に所属し、決して裁判で負けないことから「県警の守護神」と呼ばれる荒城だ。元裁判官という異色の経歴を持つ荒城こそが、千隼に噓をつけと促した人物である。
「荒城は、悪役のつもりで書いていました。ただ、悪役には、悪役なりの正義があるんです」
彼は言う、「俺たちは、ひとりの警察官──桐嶋千隼を護るのと同時に、警察組織を、ひいては国民を護っているんです」。法律上、被告はR県となっている。裁判に負けることは、R県が負けることを意味するのだ。現場の警察官が萎縮することなく働ける環境を維持するためにも、法廷ではこちらが用意したストーリーに沿う証言をしろ、と。
「設定は特殊ではありますが、組織人であればこういう対応を求められることってよくあると思うんです。組織内での立場とか役割によって、正義って変わるものですから。個人として言いたいことや思っていることを、飲み込まざるを得ない状況は多々あります。私のサラリーマンとしての経験が出てしまっているかもしれません(苦笑)」
ところが、千隼は「絶対に噓はつかない」と反発する。〈交通違反者を捕まえて文句を言われたとき、私は以前のように、毅然と「誰でも決まりは守らないといけません、決まりを破った人を警察が見逃すことはできません」と言い返すことができるのだろうか〉。ここで生じた摩擦が、人間ドラマの狂熱を高めている。
「訴訟って基本的に自分の利益のためにやるものですから、自分にとって都合のいい話をすることに対して、普通の人だったら〝あっ、それでいいんですね!〟となるはずなんです。でも、この主人公は自分なりの正義を体現したくてこの職業に就いた人ですから、仮に自分が不利になったとしても、噓をつくことは受け入れられないんじゃないかと思いました」
独自の捜査で事故にまつわる新事実を発見し、轢き逃げ犯が出頭してきて……。状況が二転三転していった先で、千隼は法廷に立つ。そこで、驚くべき展開が勃発する。続く第二部では千隼と荒城の関係性が大きく変化し、警察官の発砲事案にまつわる新たな裁判が起こる。
「エンタメの中で、警察官が簡単に拳銃を撃ちすぎることへの違和感がありました。例えば、追っていた犯人が自動車に乗って走り去ろうとしたところで、拳銃を抜く。いや、それ大丈夫ですか、規程違反じゃないですか、と。拳銃を使えるのはこういう時だけなんだ、使ってしまったらこうなるんだと、現実に即した発砲事件を書きたかった。社会への問題提起的な意識で取り上げたわけではなくて、警察マニアとしてのこだわりです(笑)」
白熱の裁判シーンでも、フィクションとリアリティのバランスの見極めに心を砕いた。
「訟務係の仕事って、現実ではものすごく地味なんです。民事訴訟に関わるのはほんの一部で、審査請求や損害賠償請求事案などの書類を捌く仕事が大半です。民事訴訟も基本は書面の出し合いなので、裁判所に行く機会自体も少なくて、もっと淡々と進行していく。それでは話にならないので、法廷シーンではフィクションを交えてやや大げさに書いています。ただ、第二部で出した〝証人の信用性に関わる問題〟という言葉にはこだわりがあります。その言葉があることで、このような裁判の展開は現実でも起こり得るかもしれないというリアリティを担保したつもりなんです」
十数年前に諦めた夢、叶えられなかった夢
物語は第二部で綺麗に着地しているが、シリーズ化を期待せずにいられない、即戦力と言える筆力の持ち主だ。それもそのはず。実は十数年前にライトノベルの新人賞でデビューした経歴の持ち主だった。
「受賞作が本になり、そのままフェードアウトしました。ちょうど仕事が忙しくなり家族も増えた時期でしたし、長年の投稿がようやく実を結んだことで、気が済んでしまった。夢を諦めたんです」
世界がコロナ禍に突入し、外出自粛を余儀なくされるようになった頃、たまたま警察小説大賞(のちの警察小説新人賞)という公募新人賞の存在を知ったという。
「こんなニッチな賞があるんだ、と衝撃でした。警察マニアとしては、これに応えなければいけないなと思い、10年ぶりに小説を書くことにしたんです」
2作目となる投稿作で、第1回警察小説新人賞の最終候補となった。その時、初めて訟務係を扱った。
「女性の白バイ隊員の警察官が、訟務係に異動してきて事件が起こる、という話でした。警察マニアとしては、白バイのことが書きたかったんです。最終選考に残ったという連絡をいただいた時は、世の中に白バイが嫌いな人なんかいないと思っていますから、これはもう勝ったぞ、もらったぞと(笑)。選考委員の先生方からの〝訟務係という題材はいいのに、途中からおもに白バイの話になってしまったのが残念だ〟という選評を読んだ時は、あまりにも意外で驚きました。そこでいただいた課題を活かして書いたのが、『県警の守護神』だったんです」
ここで嬉しい情報が。現在、すでに続編を執筆中だ。
「ちゃんと書けるかどうかは別として、まだ警察エンタメであまり取り上げられてこなかったネタはいくつもあります。今後シリーズを続けていく中で、どんどん投入していく予定ですね。訟務係でデビューしてよかったなと思うのは、ここでならあらゆる部署と密接な関わりが出せるんですよ」
十数年前のデビュー時は作家の夢を諦めてしまったが、今は夢が大きく膨らんでいる。その思いの裏には、もう一つの叶えられなかった夢があった。
「若い頃、警察官になりたくて、採用試験を受けたことがあるんです。体力がついていかず落ちてしまったんですが、警察官になりたかったなぁと齢を取ってしみじみ思うようになりました。小説で警察を書いていると、たとえ捻くれたようなキャラであれ、夢が叶えられたような気がして楽しいんですよ。小説を書くことともう一度向き合わせてくれた警察小説新人賞のためにも、書き続けたいと思います」
「俺たちは、警察官ひとりを護るのと同時に、警察組織を、ひいては国民を護っているんです」バイクの自損事故現場で轢き逃げに遭った新人警察官の桐嶋千隼。病院で目を覚ますと、バイクの少年は死亡していた上、桐嶋はその責任を巡る訴訟を起こされてしまった。途方に暮れる桐嶋を訪れたのは、「県警の守護神」と呼ばれる弁護士資格を持つ異例の警察官・荒城。真実よりも勝利を求める強引なやり方に反発しつつも、訴訟に巻き込まれていく桐嶋だが、調査を進めるうち、訴訟は同日に起きた女性警察官発砲事案にも繫がっていき──。
水村 舟(みずむら・しゅう)
旧警察小説大賞をきっかけに執筆を開始。第2回警察小説新人賞を受賞した今作でデビュー。