高遠ちとせ『遠い町できみは』◆熱血新刊インタビュー◆
綺麗事だとしても
小学6年生の少年・鳴海翔が、東京から東北の八重浜町へと引っ越してくる場面から物語は始まる。母が闘病のすえに亡くなり、父もまた看病疲れで精神的な病を患ってしまったためだ。母の実家がある海沿いのその街は、サーフィンが盛んだった。問題児として知られる栗原大也、同級生たちから孤立した河崎美波と共に、翔はサーフボードで波に乗る。特別な関係を結んだ3人は「ずっとこのままだったらいいのに」と願うようになるが、季節は容赦なく移ろい──。
サーフィンを題材にした映画や漫画は数あれど、小説となるとごく珍しい。春夏秋冬異なる顔を見せる海の様子や臨場感抜群の波乗り描写は、作家の実体験に基づくものだった。
「20代後半の頃にボディボードを何年間かやっていたんです。波に乗ることもなんですが、仲間内のやりとりが本当に楽しかったんですよね。でも、年齢とともに結婚したり何なりでみんな波乗りから離れていって、今はもうバラバラになってしまった。あの頃が私にとっての青春だったなぁと思った時に、サーフィンが出てくる青春小説を書いてみたくなったんです」
十数年前に第一章の終わりまでは書いていたのだが、中断を余儀なくされたという。
「このお話に関しては、情景描写をたくさん入れたかったんです。春と夏と秋と冬と、海の情景を書いていくことがとても大事になってくると思っていました。でも、東日本大震災が起きて、私が暮らしている仙台の海沿いの地域でも津波で亡くなった方が何人もいらっしゃいました。波やサーフィンについての話を書くのは、読んでくださるかもしれない方もきついし、私自身もきついと思ったんです」
ただ、ずっと気になってはいたのだ。翔と大也と美波、3人の子供たちがずっと作家の頭の中にいた。震災から10年ほどが経った時、ふと思い立って原稿を読み返してみたところ、熱い感情が湧き立った。
「第一章の中盤で、小学4年生の翔がお父さんと焼肉屋さんへ行って、お母さんの入院は長くかかりそうだと言われるシーンがあります。2人暮らしになると、翔にも生活上の負担がかかってくる。〝一緒に頑張ってくれるか?〟と訊かれて翔は〝うん〟と頷く、その日以来焼肉を食べに行っていないという流れも含めて、自分で書いたものなのにちょっと泣きそうになりました(笑)。〝うん〟は、彼が我慢を飲み込んだ瞬間だと思ったんですよね。その我慢の決着が付いていないなと思って、どうしても続きを書いてあげたくなったんです」
終わりを予感しているからこそ、今という時間を大事にできる
我慢を飲み込んでいるのは、翔だけではない。章が進むごとに少しずつ時が流れる構成を採用しながら、第二章では大也、第三章では美波を視点人物に据え、彼らが胸に抱えた鬱屈が記述されていく。
大也は、母親であるリカが中学生の頃に産んだ子供だ。母親の彼氏は何人も見たことがあるが、父親の顔を見たことはない。生活の苦しさから万引きの手伝いをさせられ、周りからは「泥棒の子」と白い目で見られている。美波は、母が再婚した男のことを受け入れられず、プロサーファーだった実父への思いを募らせる。
「3人それぞれが家族の問題を抱えていて、我慢して、強がっているんです。一番仲がいいはずなのに、自分の事情を隠して、他の2人には決して見せようとしない。でも、お互いになんとなく勘づいている」
翔と同じように、大也も美波もやがて我慢を爆発させる。その爆風は、大人たちにも届く。
「子供たちが変わっていく姿を見て、周りの大人たちも変わる。子供と大人がお互いに作用し合う、〝渦〟みたいなものが書ければな、と」
大人は教える存在で子供は教えられる存在、といった一方通行の関係になっていない点が素晴らしい。
「大人になると子供に影響を与えたがるというか、偉そうなことを言いたくなるんですよね。それって子供たちからしたらうざいし、素直に受け止められないことが多いと思います。でも、私自身の人生を振り返ってみても、大人たちに言われたことは結構間違ってなかったなと思うんです。大人たちが言うことはあながち綺麗事ではなくて、本当に大事なことかもしれない。子供たちがそのことに気付くという展開は、どこかで必ず入れたいなと思っていました」
実は、先々の展開は事前に固めず、書きながら考えていったそうだ。だが──。
「3人のうちの誰かがこの街から出ていく、ということだけは決めていました。それが誰なのかは、書いてみるまで分からなかった。ただ、特に大也と美波は、3人の関係がいつまでもずっと続くとは思っていないんですよね。都会から来たキラキラした子が今は自分たちのそばにいてくれるけれども、そう遠くない未来に、この関係に終わりが来ることを予感しているんです。予感しているからこそ今という時間を大事にできる、そのキラキラした感じを書きたかった」
青春を、いつか訪れる「青春の終わり」の存在を自覚しながら過ごす季節だとするならば、3人が過ごしている時間は紛れもなく青春だ。そこには、「友情の終わり」の匂いも漂っている。
「最初の頃はもっとキュンとくる話になるのかなと思っていたんですが、書き進めるうちにそれは違うなとなって、恋愛要素は入れないことにしました。そうは言っても、周りは当然そういった想像をするし、例えば美波の中には揺らぐ気持ちもあるんですよ。友達だって言い張っているけども、周りから2人を紹介してと言われたらイヤだと思うし、誰にも渡したくないって独占欲がある」
美波の母が言うように、男女間の友情が愛情に変わらないままずっと続くというのは綺麗事で、いつか終わりが来るものだと考える大人のほうが多いだろう。
「たとえのちのち友情から愛情になって3人の仲が壊れたとしても、3人が今感じている友情は本物じゃないですか。そういう関係性を持てたことは、その後の人生できっと力になると思うんです。それをどこまで美しく、そして強いものとして書けるかにこだわったつもりなんです」
筋は忘れてしまってもいいシーンは心に残る
単行本の著者プロフィール欄にはこんな一文があった。〈幼少期より物語を手書きのノートに書き溜め、「小説家になる」夢を追い続けたが、覚悟の不足を感じ長年続けた仕事をやめ執筆に没頭〉。背水の陣で書き上げた本作で、夢を摑んだのだ。
「3年ほど前に、母が認知症になったんです。もう十数年くらいしたら自分も認知症になるかもしれない。そもそも私はあと何年生きていけるのだろうとなった時に、思ったよりも時間がないぞと気が付いたんです。本腰を入れて小説と向き合わなければ、と家族にも相談をして仕事を辞めて、書き上げた2本目の長編が『遠い町できみは』でした」
好きな作家はと尋ねると、宮部みゆきの名前が真っ先に挙がった。
「宮部さんの作品は、節目節目で印象的なシーンが出てくるんです。例えば、杉村三郎シリーズの『名もなき毒』で、喫茶店のマスターが美知香さんにリゾットを食べさせてあげるシーン。言葉は悪いんですけれども、筋は忘れてしまったとしても、いいシーンは絶対心に残るんです。宮部さんの作品に限らず、村山由佳さんや上橋菜穂子さんの作品などもそうです」
ショッキングだから心に残る、というケースもあるだろうが、この場合は違う。
「人間っていいなとか、人生は楽しいものなんだなって、救われるようなシーンです。もしかしたら私は、そういうシーンと出合いたくて小説を読んでいるのかもしれません」
その言葉を引き金に、『遠い町できみは』で印象的だったシーンが走馬灯のように蘇ってきた。ボートで家出をしようと誘った大也が、「約束だからな」と翔の手を初めて握った瞬間。自分が海へ行けなかった日にビッグウェーブに乗った大也と美波の映像を観て、翔が見せた愕然とした表情。そして何より、終章のラストで描かれた情景。先達の作品から受けた感動は、自身の作品に受け継がれている。
「私は今51歳です。他の新人作家の方よりも残された人生の時間が少ないからこそ、とにかくがむしゃらに書いていきたい。密度が濃い作家人生を送れるように頑張ります」
母を亡くした小学校六年生の鳴海翔は、遠い町の祖母の家に預けられた。寂しさをこらえて新しい暮らしに慣れようとするが、そこには一筋縄ではいかない大人の世界があった――。万引きを奨励する母と暮らす大也、狭い家のなかで暴れる父に苦しむ美波、そして親から離れて暮らす翔。大人たちの身勝手さにもみくちゃにされながらも、三人はしだいに心を近づけていく。過酷な現実から明日に向かって踏み出していく勇気の物語。第12回ポプラ社小説新人賞特別賞受賞作。
高遠ちとせ(たかとお・ちとせ)
1973年、宮城県仙台市生まれ。幼少期より物語を手書きのノートに書き溜め、「小説家になる」夢を追い続けたが、覚悟の不足を感じ長年続けた仕事をやめ執筆に没頭、応募した原稿(応募時タイトル『波とあそべば』)がポプラ社小説新人賞特別賞を受賞、本作によって作家デビュー。愛猫家。宮城県在住。