小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第3話

小原晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第3話
ある人の、ある恋の、ある時のこと。

 第3話 
反省会


(使い捨てみたいに当たり前のようにそんなふうにやめて、捨てるにしても、もうちょっと、もったいないって目つきを見せて。ありがとうは聞かせて、きみのきもちをさいごにみせて、いろいろと仕方なく、行きがかりじょう、捨てるしかなかったと、そんな雰囲気、だしてみて。そうじゃないなら、なんどでも、いくら捨てても戻ってくるおばけの人形みたいに、捨てられたせいでおばけになった人形みたいに、澄んだ目をしてぼくは戻ってくるよ。捨てられてもなお自分に価値があるなんてそんなふうに信じられるやつの気がしれないよ。ほんのおとといまで、いっしょに眠って、いっしょに起きて、ぼくはパンを食べて、きみはサッポロ一番塩らーめんをすすって、調子がいいと二袋すすって、コロコロの切れ目をみつけるのに苦労して、きみの背中のほこりをガムテープでぺたぺたとって、それはたった半年ぽっちのことだったけれど、とても明るい日々だったこと。時間じゃないんじゃない、そう言ってふたりきりをはじめたのはきみで、きみのほうで、ここにしばらくいたらいいのに、そう言って僕をここに置いたのはきみで、きみのほうで。ねえ、あれはどうする? ほらIKEA、大きいIKEAに行きたいって言ってたでしょう。きみは車を持っていないし、免許もないし、ひとりじゃ大きなものは買えない。大きなものを買わないなら大きなIKEAに行く意味はないものね。大きなもの、買いたいでしょう。きみにとってのぼくに、もう価値がないのはわかってる。でも、それでも、さいごのさいごまでやさしくしてよ。出会って別れることは、使って捨てることじゃないんだ。出会ったことは残るんだ。別れど、別れど、事実はそこに、あるんだ、残るんだ。残るのならば、なるたけやさしく愛情をもって、申し訳なさそうな感じで、ほんとうは、ぼくのことを選びたかったんだけど親が許してくれなくて、というような感じを装って、それからやっと手を放してほしいんだ。うそで構わないんだ。せめて、うそくらいついてほしかったんだ。そして、最後に。意外なほど大きないびきをかくものだからおもわず撮った動画は消さないよ)という言葉のすべてをのみこんで、笹塚のワンルームに帰ってきたぼくは、気の毒ということでいいのだろうか。

 一から十まで話してくれるところがすきです、と言ってくれたのは出会ってからすこし経った、キスなどをすませたあとのことで、誠実に生きようと思ったらこれくらい喋らなくちゃいけないんだ、とぼくが言うと、そっかあ、ときみはあんまり興味がなさそうだった。思ったことや考えたことは正直に、そして、できるかぎり正確に話すこと、伝えようとすることが誠実なコミュニケーションだとぼくは信じている。信条といってもいい。だからこそ、すき、と口にしてくれたぼくのぼくらしさを、いままさにぼくを捨てようとするきみに披露するわけにはいかなかった。さらさらとなにかを話すきみの仕草のその周辺をぼんやり見つめながら、ぼくはぼくが昨晩つくっておいた麦茶をたくさん飲んで、ついには飲みきって、それからすくない荷物をもって、きみからもらったものはすべてきみの部屋にのこして、なにも言わずに帰ってきたわけだけれど、やっぱり、ぼくは、言えばよかった。そういうところがすきだった、と最後に言うような、きみはそういう女の子だったのに。

 けれど、すべてが丸くおさまらなかったからといって、ついには追い出されたからといって、思い出まるごと輝きを失うことはあり得ない。ひとりの部屋に帰ってきて思うのはそういうことだ。

 西向きの部屋に夕焼けがさした。ぼくは熱い風呂に浸かりたくなった。たっぷりとした熱いお湯に。タオルとボディーソープとシャンプーと小銭入れをくたびれたトートバッグにつっこんで、見慣れた街をしばらくあるいた。のれんをくぐり、番台さんに小銭をわたして、脱衣所で服をぬいだ。白々しい蛍光灯に照らされるぼくの裸のおなかには、ぼうぼうと毛が生えている。ぼくは、きみにはすべてを見せられなかった。きみがTシャツをぬいでも、下着をとっても、どれだけ部屋を暗くしても、ぼくは、けっしてTシャツをぬがなかった。ボディーソープをつけた手のひらで、自分のからだを撫でる。おなかの泡立ちがよくて、よすぎて、涙が出る。ぽっとり、ぽっとり、涙が落ちる。ぼくはきみのつるつるとしたからだのことを思い出さずにはいられない。きみのおなかの横のあたりの、あまりものみたいな柔らかさがすきだった。いつも部屋を真っ暗にしてくれるきみの、月あかりに照らされて一瞬見えたきみの、背中のおおきな傷跡を、ぼくはぜったいにわすれたくない。ぬいでみて、というきみに従えばよかった。この毛むくじゃらのおなかをみてもらえばよかった。はだかのまま抱き合ってみたかった。ぼくはおなかの毛を右の手でつかんで、思いきりひっぱった。すべって、ぼくのからだから一本たりとも離れなかった。腹のあたりにはぼうぼうと毛が生えたまま、肌はほんのり赤くなっている。熱い風呂にからだをしずめる。たっぷりとしたお湯のなかで、おなかの毛は、おっとりゆったりたゆたっている。もしもきみがなにかの折に、またぼくを呼んでくれたなら。Tシャツをぬいでみようかな。ぬがないだろうな。

 


小原 晩(おばら・ばん)
1996年、東京生まれ。2022年、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。独立系書店を中心に話題を呼び、青山ブックセンター本店では、2022年文芸年間ランキング1位を獲得した。その他著書に、初の商業出版作品として23年9月に『これが生活なのかしらん』を大和書房から刊行。

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◎編集者コラム◎ 『めおと旅籠繁盛記』千野隆司