岸田奈美さん 第3回 インタビュー連載「私の本」vol.12
「この本のおかげで、いまの私がある」をテーマにお話を伺う連載「私の本」。作家としていま大注目の岸田奈美さんは、「会話するつもりで本と向き合う」「本は自分が思いもしなかった気持ちを照らし出してくれるもの」と語ります。では最近、大きな影響を与えてくれた書物とは──。
作家に贈る読書感想文
高校生のときの思い出の本は、あさのあつこさんの『バッテリー』ですね。読んでいたときに高校野球好きな女のコが話しかけてきてくれて、この本のおかげで高校時代に唯一の友達ができたんです。
そのことをSNSで書いていたら、この前、あさのあつこさんと対談の機会をいただきました。それって、自分が『バッテリー』好きとか、あさのあつこさん好きって言わないと実現しないことですよね。
阿川佐和子さんも、そのひとりです。うちのお母さんは阿川さんが大好きで、阿川さんのようになりたいってずっと言っていました。それを書いたら、やはり対談させていただくことになって。繊細だけれど、ちょっと小憎らしい目線で家族のことを書く女性作家の作品も好きですね。阿川佐和子さん、それにさくらももこさん、岸本佐知子さんとか向田邦子さんとか。
それから村上春樹さんとも、ご縁を結ぶことができました。『猫を棄てる 父親について語るとき』の読書感想文を note に書いたら、村上さん直筆のポストカードを出版社が送ってくださったんです。
村上春樹さんはじつは読むつもりはずっとなくて。お父さんが村上さんのことを好きすぎて、私が下手に村上さんについて書くとお父さんに怒られるような気がして、読めなかったんです。
でも文藝春秋の編集の方が、「お父さんに関するエッセイを村上さんが出版されるので、ぜひ読んでください」と本をくださって。村上さんの父親のルーツ、父親に傷つけられて悩んだこと、それをどうやって消化してきたのかという内容でした。その読書感想文の投稿がめちゃめちゃバズって、ポストカードをいただくことになったんです。たぶん村上さんの耳にも入ったんじゃないか、と信じています。
私がいつも思うのは、ひとつの作品の好きなところを、作家さんにお手紙を送るつもりで本気で感想文を書けば、嫌な気持ちになる人は絶対にいないということです。それは私が自分で文章を書き始めて実感していることでもあります。
会いたいという気持ちで書いて、その人への愛をいろんな形で発信し続けていく。そうやって自分の「好き」を出す練習をしていると、その「好き」が伝わって、また自分に返ってくるんです。
「好き」をたくさん発して、「好き」の恩返しをもらうのは、私はずっと上手だったと思います。それは何度も言うように、お父さんとお母さんが、めちゃくちゃ私を愛してくれたことに支えられている。「好き」を送れば、「好き」を返してくれるという、そこだけの自信はすごくありますね。
不特定多数への愛ではなくて、自分が本当に大事だと思えるひとりの人に向けて書いた文章が多くの人の心に刺さる、そして歳月を超えて人の心に刺さり続けるというのは、じつは歴史的にも証明されています。
一番わかりやすいのが、『古今和歌集』ですよね。あれって好きな人に宛てた、いわばただの手紙じゃないですか。それが本になって、百人一首になって、いまも高校生たちがカルタをしたり、好きな札があったりするというのは本当にすごいことだと思います。
「書く」=自分を構築すること
書くという行為は、自分のなかで意味不明だったり、もやもやしているものを辻褄の合うようにひとつの物語として構築していくことです。その物語が自分を形作ってくれたり、癒してくれたりする。だから自分の「好き」や大事なことを、物語として書く練習は誰もがしたほうがいいと思います。
私はたまたま言語化が得意だったから文章ですが、漫画でもいいし、音楽でもいいし、YouTube で話すとかでもいいと思います。なんらかの形で表現するというのはやったほうがいい。
いまは新型コロナ感染症があったりと、どうしても歴史のなかに引きずり込まれてしまいがちです。こういう時代は自分の物語を持たないと、どうしていいかわからなくて、少し病んでしまうこともある。そういうときに死なないための防衛策が、私にとっては物語なんです。
この前、村上春樹さんの『アンダーグラウンド』を読みましたが、当時の状況を想像するとすごく怖くて、いまのコロナ禍に通じるものがたくさんあると感じました。すがるものがなくて、自分の物語がない人が、いまの社会を否定するような強烈な物語に乗っかってしまって、それを自分の物語だと思い込んでしまう。その結果、カルト宗教に入ったり、犯罪に走ったり、自殺という方向にいってしまうんですね。
「個人」から「分人」へ
最近、本は1カ月に45冊ぐらい読んでいます。インプットがなくなると書くペースが落ちてしまうし、気づきがなくなってしまうから、読書量を増やさないといけないと思っていて。
本はずっとジャケ買いか、一般的に評価の高い本を選んでいました。でも最近は、ずっと手元に残しておこうと思える本は自分が選んだものではなく、他人が薦めてくれたものが多いんですよ。だから「いまの岸田さんにはこれがいいと思うよ」と言われたものは、何が何でも買おうと決めています。
他人から見て私に欠けているもの、私が好きそうだと薦めてくれる本というのは思いもかけないものだったりします。でもそこに、欲しかった言葉があることが多いんです。それはもう、どんな口コミとかにも勝てないですね。
たとえば、最近の悩みはエッセイやSNSの自分と、本来の私が分裂していることなんです。SNSだと私はすごく明るくて、面白い人間だと思われるみたいで、知らないおばさまとかに、「奈美ちゃんて呼んでいい?」とか「家で作ったこれあげるわ」と物をもらったりするんです。
でも実は私は、広く浅く仲良くするということができなくて。ごく近しい数人と、何も語らなくてもわかってくれる関係だけあればよくて、あとはできればさっと流したい感じなんですね。決して嫌いというわけではなくて、居心地が悪いんです。だけど、「奈美ちゃん」と言って寄ってくる人が抱く、明るくて面白い私は、エッセイにより作られた岸田奈美なんです。
それが嫌だなと思っていたときに、編集者の佐渡島さんが、平野啓一郎さんの『私とは何か「個人」から「分人」へ』を薦めてくれました。人間には「個人」と「分人」があって、人と心地よくつき合う自分を作るのはいいことだ、と書いてあったんです。
私はそういう行為は仮面をかぶるようでいけないと思っていたんですけれど、そうではなくて、お互いにとって良い時間、良い関係を築くために「分人」という考え方が必要だ、とあって、とても勉強になりました。
それから「奈美ちゃんのエッセイを読んでいたら、キリスト教より仏教に近いね。仏陀が言っていることを日常に落とし込んで書いている感じがする」と言われたことがあって。そうなんだ、と思って仏陀の言葉を読んだら、すごく共感しました。私は宗教的な興味はまったくないんですが、こういう言葉を残してるのはすごい、信じるものがあるというのは大事だなとも感じました。
「楽観する勇気」を胸に生きる
本は、読んだらもう使い倒す感じです。LINE や note 、ブログなどあらゆるところに読書の感想を書くから。私は本に、めちゃめちゃ書き込みをします。本当に会話するつもりで本と向き合うから、欄外に、そのとき思ったことを書き残しておくんです。そうすると何年か経って読んだときに、前と同じことで悩んでいるとか、当時悩んでいたことが逆に解決されているとわかったりします。
それによって自分が成長できたという実感を持てるし、逆に全然違うところが気になると、なんでこの前は気にならなかったんだろうと、過去の自分と照らし合わせることで見えてくるものもあります。
学生時代は、本は純粋に楽しむためのものでしたが、いまは気づくもの。自分が思いもしなかった気持ちに光を当ててくれたり、照らし出してくれるものだと感じます。
将来は、自分の人生そのものを作品として捉えて、それを編集して、みなさんに面白がってもらえればと思っています。私をみなさんにまた編集してもらって、岸田奈美という存在を楽しんでもらえれば、と。岸田奈美が何かしら、誰かしらの物語に関わっていけるとすれば、これほど嬉しいことはありません。
もしかしたらいつか書けなくなるかもしれないけれど、書けなくなる自分の人生にも意味があると思っているので、楽観していきたいですね。それが岸田家の生存本能の基本でもあるので。たとえ今後、評価されなくても、バズったとしても、きっといつかいいことがあるだろう、と。
南極大陸の横断に成功したアムンセンが「楽観」について語っているんです。楽観できるというのが一番人間にとって勇気があることだ、楽観とは真の精神的勇気である、と。そんなふうに勇気を持って楽観するという意識で、これからも自分の人生を楽しんでいきたいと思います。
(取材・構成/鳥海美奈子 撮影/藤岡雅樹)
岸田奈美(きしだ・なみ)
1991年生まれ、神戸市出身、関西学院大学人間福祉学部社会起業学科卒業。「バリアをバリューにする」株式会社ミライロで広報部長をつとめたのち、2020年4月作家として独立。自称「100文字で済むことを2000文字で伝える作家」。彼女のまわりでは、「一生に一度しか起こらないような出来事が、なぜだか何度も起きてしまう」。