岸田奈美さん 第1回 インタビュー連載「私の本」vol.12

岸田奈美さん

「この本のおかげで、いまの私がある」をテーマにお話を聞く連載「私の本」。昨年、公開した note の記事が大反響を呼び、作家として独立した岸田奈美さん。急死した父、車いすユーザーの母、ダウン症の弟との日々を、愛とともに軽妙に語る。その人生観はいかに育まれたのかに迫ります。


家族は自分で選んでいい

 今年9月、自伝エッセイ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』を発刊しました。私はずっと、ただ書くことが好きでSNSに投稿していたんです。初めは facebook で、日記のようなものをアップしていて。そうしたら友達に「めっちゃ面白いね」「もっと書いたほうがいいよ」と言われて、軽い気持ちで2年ほど前から note も始めました。

 一番初めにたくさんの方に読んでいただいたのは、下着の試着をテーマに書いたものです。そして次が「弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった」で note で1万5000以上のスキを獲得しました。糸井重里さんや前澤友作さんに取り上げていただいて、一気に広まったんです。 

 4歳年下の弟がダウン症という知的障害を持つこと、お父さんが中2のときに心筋梗塞で突然亡くなったこと、その3年後にお母さんが過労で大動脈解離になり、その後遺症で下半身麻痺と車いす利用者になったこと。そんなことを綴っていきました。

 note を始めたのは、私がいいな、好きだなと感じることをおすそ分けしたいという思いもあったからです。誰かからいいものをもらったら、他人にそれをあげたいと感じるものですよね。私は家族から本当にたくさんの愛や好きという感情をもらったから、それをほかの人におすそ分けするようなことをやりたかったんです。本当にいいものを、本当に好きな人に与えると、いいことが起きるというのは岸田家の家訓のようなものだから。

 誤解がないようにしたいのは、私はエッセイで「家族愛」を書いたわけではなくて、愛する相手を自分で選んでいいんだよ、ということを伝えたかったんです。家族でも、別にずっと一緒にいなくていいし、嫌だったら縁を切ってもいい。それを『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』というタイトルにも込めました。

 いつも家族と一緒にいて、向き合って、一年に何回も実家に帰って、親の面倒を見ることが家族愛だというのは、確かにいままでにあった価値観だと思います。でも、いまやLGBTとか、籍を入れなくても家族とか、オンラインで一度も会ったことないのになんか通じ合っていて親友のように思えるとか、そういう家族関係、友達関係が築ける時代です。そんななかでひとつの物語だけを求めると、絶対にそこから誰かが抜け落ちて苦しんだり、絶望を感じてしまうことになります。

 だから、「自分が選んだものが家族なんだ」という価値観は、きっと誰もが持っていたほうがいい。私の書いた家族の話が、いろんな人にとって自分自身の物語を乗せることのできる船になれたら、すごく嬉しいと思っています。

「いまを乗り切る」岸田家の処世訓

 今年の3月から、作家として独立しました。note は サポート機能(投稿者を金銭的にサポートできる機能) をいただけるので、会社員をやめてもなんとかなるかな、と思って。それまでは、障害者の雇用促進やユニバーサルデザインを手がける株式会社ミライロで、広報部長をしていました。

 この会社を起業した社長も車椅子ユーザーで、創業した当初は、私はまだ大学生だったんですけれど、福祉の仕事をしたいと思っていたので参画したんです。今回、その会社を退社しましたが、2カ月とか3カ月月先も大丈夫かはまったくわからず、とりあえず来月はどうにかなる、くらいのレベルです。でもその後は、きっと誰かが助けてくれるんじゃないかな、と思っています。

岸田奈美さん

 そういう非常時の対応というのは、お父さんが亡くなって、お母さんが下半身麻痺になり、知的障害のある弟がいるという、一般的には一生にひとつ起こるか起こらないか、ということが3つも起きたことと無関係ではありません。

 いまでこそいろいろ話をしているけれど、お父さんが亡くなった当時は、思い出せないほどツラかったんです。お母さんが泣き崩れたこととか、ひとりでは寝られないから3人一緒に横になろうといって布団を敷いたこととか、断片的には覚えていますが、おぼろげで。それは、頭がこれ以上思い出すとツラすぎたり、吐き気がするからと再生を止めているんですね。ひとつのサバイバル術です。いまも乗り越えたとか、克服したという気持ちはまったくないし、ただ時間が解決してくれたという感じです。どんな苦しさも悲しさも、時間が過ぎると楽になっていくんですね。

 あと先を考えず、とりあえずいまを乗り切るというのは、こういう経験によって刷り込まれたもの。岸田家の処世術です。そんな想いがあったので、全然悲観的になることもなく、独立を決意しました。

デジタルネイティブが「書く」ということ

 私は父親がiMacを家に買ってきた5歳のときから、パソコンを使っています。ただあの頃はローマ字の打ち方がわからなくて、本を見ながら自分でやり方を覚えたんですね。キーボードのホームポジションがあるなんて知らなかったから、いまも右1本、左4本の指しか使いません。でもデジタルネイティブなので、話しているのと同じスピードで打ち込むことができるんです。チャットや2ちゃんねるもずっとやっていたから、自分の思ったことを文字に書くというスピードがそもそも速くて、時間のロスが少ないんですね。

 そうやって、書くということは小さいころからやっていたけれど、小説家になりたいとかは全然なくて。人よりちょっと書くのが速くて、ちょっとうまいくらいだったと思います。

 私は大阪のおばちゃんと基本、思考回路が一緒なので、話しているとどうしても喋りすぎてしまうんですよ。目に入ってくる情報量とかもすごく多いし、いろんなことにツッコミ続けてしまう。そうすると聞いてるほうも疲れちゃうから、ペースを調整できるという意味でも文章はいいんです。人に嫌われないフィールドが文章なので、そこが1番居心地がいいんですね。うん、うまいというよりは居心地がいいんだと思います。

 そんな感じだから、エッセイを書くのもめっちゃ速いんです。過去の自分のなかで印象に残っている話とか、起こったこと自体が面白い話なら、だいたいひとつのエッセイを1時間くらいで書いてしまいます。あまり書き直しとか構成も考えず、高校生のときに喋っているのと同じような感覚の文体で、一気に書き上げてしまうんです。

(次回へつづきます)
(取材・構成/鳥海美奈子 撮影/藤岡雅樹)

 
岸田奈美(きしだ・なみ)
1991年生まれ、神戸市出身、関西学院大学人間福祉学部社会起業学科卒業。「バリアをバリューにする」株式会社ミライロで広報部長をつとめたのち、2020年4月作家として独立。自称「100文字で済むことを2000文字で伝える作家」。彼女のまわりでは、「一生に一度しか起こらないような出来事が、なぜだか何度も起きてしまう」。


「私の本」アーカイヴ

家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった

家族だから愛したんじゃなくて、
愛したのが家族だった

岸田奈美

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