一木けいさん『愛を知らない』

誰かを傷つける可能性があっても、切実さをもって書きました。

 デビュー作『1ミリの後悔もない、はずがない』が各界で激賞を受けた、一木けいさん。その後も短編などを精力的に発表され、同世代の女性読者からの支持を集めています。最新作『愛を知らない』は、高校の合唱コンクールを舞台にした青春小説。ある重いテーマに挑んだ、迫真の親子の物語でもあります。一木さんはタイのバンコクに在住。一時帰国されたタイミングで、本作にかける強い思いや、作家としての覚悟を語っていただきました。

一木けいさん『愛を知らない』

書いてはいけないテーマだったかもしれない

きらら……新作『愛を知らない』を読みました。非常に痛切な家族小説です。デビューから数年で、これほど深いテーマの物語を書き上げられたことに驚かされました。

一木……ありがとうございます。私が一生かけて謎解きしたい、いくつかのテーマのひとつに、今回は全力で取り組めました。

きらら……構想は、以前からお持ちだったのですか?

一木……構想というか、ふっと頭に入ってきた映像がきっかけです。
 目の前を、色鮮やかな羽根が通り過ぎる。場所は、スクランブル交差点のような、どこかの雑踏です。見えた羽根は、知らない少女の被っていた帽子に付いていました。原色の羽根は揺れながら遠ざかって、やがて少女と共に、見えなくなります。その映像を見ているのは私ではなく、別の誰かなんです。
 映像を見ている人物は、少女が去っていくのを淋しいと感じている。同時に、力強く「行け」とも思っている。
 あの少女は、何者なのだろう。映像を見ているのは、誰だろう。少女はどこへ向かうのか……そんな映像が頭に浮かんだのが、2015年の春でした。
 その少女の姿を追うように執筆を始めたのが2016年の秋です。本当に手探りで、毎日書いていきました。

きらら……本作の軸となる家族関係は、ある深刻な社会問題に触れるものです。そこに及ぶことも、手探りの結果だったのでしょうか。

一木……書かざるを得ないという気持ちでした。この小説を書くことは、誰かの信じていたい世界、美しい夢をきっと壊すことになります。もしかしたら書いてはいけないテーマかもしれない……そんな不安も、常にありました。

きらら……先ほどおっしゃった、一生かけて解きたいテーマと通じているのですか。

一木……はい。幼い頃からずっと、私は「支配」というものについて考えています。
 相手を支配しようとする人は、なぜそうするのか。支配される側は、どうして支配されているのか。いくら考えても、答えが出ないんです。 支配される側だけではなく、支配する側の苦しみもあるでしょう。親子にとどまらず、恋人、友人同士、会社や学校にも、支配と被支配の歪んだ関係は見られますよね。
 小説で人間を書くとき、いまの私は「支配」について考えることから逃れられません。
「支配」についての思索と、羽根の付いた帽子を被った少女の映像が掛け合わさり、『愛を知らない』の物語が生まれました。
 テーマの重みに挫けそうになるたび、あの少女の姿が鮮明になって、書き続けることができました。彼女に書かされた部分も、あるかもしれません。

誰かを悪いと言いたいわけではない

きらら……主人公の高校2年生・涼はピアノ奏者です。合唱コンクールに向けて、練習に励みます。合唱のソロパートを歌うのは同級生で親戚の橙子。極端に人を避けている彼女でしたが、仲間たちの助けもあり、次第に涼たちと打ち解けていきます。キラキラした青春小説としても、面白く読めました。

一木……そう言っていただけると嬉しいです。

きらら……涼が主人公というのは、早い段階で決まったのですか?

一木……実は、誰の目線で書こうか、すごく迷っていました。橙子で書いてみたり、別の人物で書いてみたり、いくつか試したのですが、話が苦しくなりすぎてしまいました。書いていくのも、読む側も辛い。ある意味〝普通〟っぽさの漂う涼なら、苦しさは軽減されるのではないかと予想しました。
 もっとも生々しい部分が見えづらくなる懸念はあったのですが、涼の視線を通していけば、彼と読者の方が一緒に、謎を解いていくようなつくりにできるのではと考えたのです。
 結果的に、涼を主人公にして正解だったと思います。それに涼の視線からの話にすることで、要を書きすぎないよう、バランスが取れました。

きらら……書きすぎないようにというのは、以前にも本誌の取材(「きらら」2018年5月号)で言われていました。

一木……書きすぎると整合性を取ろうとして、これが正しいことだという主張が入りこむような気がします。ともすれば説教じみた話になる。それは嫌なんです。小説で、誰かを悪いと言いたいわけではありません。
 でも、誰も傷つけない、無害な小説を書こうとも思っていませんでした。『愛を知らない』の刊行エッセイを発表するとき、「この小説が誰かを傷つける可能性について毎日、考えた」という文章を書いていました。その一文はゲラの段階で削りました。格好悪いというか、ずるい言い訳に感じたのです。
 誰かを傷つける可能性があっても、恐怖に潰されず、ここから先へ進まなくてはいけない。私なりに切実さをもって、書いた小説です。もしかしたら内容的に批判を受けるかもしれない。けれど、覚悟は決めています。

責められるよりも同情される方が辛い

きらら……物語の後半、橙子の置かれている過酷な境遇が、明るみになります。そこで橙子の言動の理由や、本編にさしこまれた日記の書き手の正体も判明します。大変に衝撃的でした。

一木……橙子を苦しめている相手は、橙子を愛しています。橙子も愛されたいと思っている。けれど、助けの少ない環境や嫉妬心、コントロールしたいという欲求などが複雑に絡んで、歯車が悪い方に動いていってしまいます。そして激しい苦しみに、お互い苛まれてしまうのだと思う。
 成熟が足りないとか、あんなひどいことをするのは弁護の余地無く悪い、という意見も、あると思います。でも、人ってそう簡単に割りきれるものでしょうか。お互いに愛してはいるはずなのに、うまくいかなくて、傷つけ合う。そういう関係は、多い。いろんな要因のなかで、円滑な関係を他者と築くことが難しい、人の実像だと思っています。

きらら……社会的には、橙子を苦しめている相手を糾弾すべきという見方もあるかもしれませんが、後半の展開を読んでいくと、糾弾が目的ではないと強く伝わります。

一木……誰かを悪いと決めたり、断罪するような話には、したくありませんでした。かといって正当化したり、橙子や、橙子を苦しめる相手に、同情してほしいわけでもないんです。彼女たちは責められるよりむしろ、同情されることの方が辛いでしょう。
 橙子たちはどうあれば良かったのか? それが知りたくてこの小説を書きましたが、やはり答えは見つかりませんでした。
 けれど答えとはいかないまでも、救いの兆しを表現できたのではないかとも思います。

一木けいさん


きらら……橙子の「優しい嘘って言葉、あたし大っ嫌い」とか、涼の友だちのヤマオが、電車内で泣いている赤ん坊をなだめている母親を見て「ああいうのは、仕方ねえんだよ」と呟くなど、印象的なセリフが多く見受けられます。

一木……あと、涼にピアノを指導している冬香先生の「恩にも、時効はあっていいと思うのよ」というセリフは、支配とは何だろうと考えていた私にとっての、答えのひとつになったと考えています。
 恩に縛られるような関係は嫌だし、私もこれから年齢を重ねていくなかで、恩で人を支配するようなことはしてはいけないのだと、自分を戒めていたい。このセリフには、私のなかにずっと根ざしている感覚が表れた感じもします。

グルグルと頭が回転するような話が好き

きらら……終盤で橙子が示したある態度に、読者としては救われた気持ちがしました。答えのない重いテーマの物語ですが、爽やかな希望の感じられる読後感でした。

一木……ラストシーンは、最初から決まっていました。私が見た、羽根の付いた帽子を被った少女の映像と重なっています。そこまでたどり着けたのも、書いた意味を私なりに見いだせたからだという気がしました。
 数年にわたる執筆は、本当に困難でした。もっと楽な方に行けたかもしれませんが、このテーマから逃げてはいけないと思いました。あえて辛いところへ突撃して、書ききったという感じです。

きらら……読者の方には、どのように読んでもらいたいですか?

一木……まずは面白く読んでいただけたら、何よりです。そして読んだ後に、自分にも同じようなことがあったとか、実はあのとき、身近な人の本心はこうだったんじゃないか? とか、何かを考えたり、疑問をあらためて見つめ直すようなきっかけになれば、いいなと思います。
 私は読みながら、グルグルと頭が回転するような話が好きです。例えばマンガ家の鳥飼茜さんの作品とか。バーッと読めないというか、寝る前に読んじゃったら、頭が回りすぎて寝られなくなるような。そういう物語を、『愛を知らない』以降も書いていきたいです。

 


愛を知らない_書影

ポプラ社 本体1500円+税



一木けい(いちき・けい)
1979年福岡県生まれ。東京都立大学卒。2016年『西国疾走少女』で第15回「女による女のためのR─18文学賞」読者賞を受賞。デビュー作『1ミリの後悔もない、はずがない』がアーティスト・椎名林檎に絶賛されるなど、大きな話題となる。現在バンコク在住。

(構成/浅野智哉 撮影/浅野 剛)
〈「きらら」2019年8月号掲載〉