今月のイチオシ本 歴史・時代小説 末國善己

『虎の牙』
武川 佑
講談社

 武田信玄に仕えた山本勘助を主人公にした短編「鬼惑い」で、第一回「決戦!小説大賞」の奨励賞を受賞した武川佑の初の単行本『虎の牙』は、信玄の父・信虎を軸に戦国初期の東国を描いている。

 傷ついた敵将を助けた原清胤は、それを咎めた味方を斬り放逐される。戦場で「坂東武者の業を断て」「西へゆけ」との声を聞いていた清胤は、西へ向かう。

 二年後、武家から仕事を請け負うこともある山の民のアケヨは、任務の途中で雪崩に飲み込まれてしまう。雪から脱出したアケヨは、暖を取るため山の民が山神と信じるアオシシを殺す。ところがアオシシは復活し、命がおしければ「たてなしの首を獲りて来よ」と告げる。

 やがて信虎と出会った清胤とアケヨは、三国志の「桃園の誓い」に倣い義兄弟の契りを結び、まだ家中も統一できていない若き日の信虎と乱世に躍り出る。

 本書でまず驚かされるのは、黎明期の戦国の合戦が徹底した時代考証で再現されていることである。そのため合戦シーンの迫力は圧倒的で、最前線で武器を持って敵と戦う武士の緊迫感、興奮、そして恐怖が生々しく伝わってくる。

 中盤からは、信虎と宿敵・北条との謀略戦も加わり、物語がよりスリリングになる。これに、アケヨが山神に告げられた「たてなしの首」とは何かを調べるミステリー要素も加わるので、まさに謎あり、活劇ありの展開になっている。

 著者は、歴史小説の中に伝奇的な要素を大胆に導入することで、神や呪いを信じる土俗性が色濃く残る一方、貨幣経済が発達し銭がなければ足衆(足軽)も雇えないという近代合理主義の萌芽も出始めた時代として戦国時代を捉えている。山の民の文化、当時の武家の価値観などを丁寧に説明しながら物語を進めているので、この解釈にも説得力があるのだ。

 戦国ものは、武将を合理主義者とすることが多い。また女性作家の戦国ものは、合戦より人間ドラマに力を入れる傾向がある。この二つの常識を破った著者は、第一長編にして独自の歴史観と豊かな物語性を見事に融合してみせた。今後が楽しみな大型新人の登場を寿ぎたい。

(文・末國善己)
翻訳者は語る 松原葉子さん
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