滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第4話 運転手付きの車⑤
寄り添い合うだけの悲しい理由があったのだ。
ハーヴェイは、差別とか偏見とか抽象的なことばを繰り返すだけだったから、どんなことがあったのか、具体的にはわからなかった。わからなかったけれど、15か16でアメリカにやって来たハーヴェイのしなやかだった心を深く深く傷つけ、その痛みをハーヴェイは今も忘れられないでいるということだけはわかった。
10代だったハーヴェイは、たぶん、アメリカへと大きな夢を持ってやって来たのだろう。運転手付きの車やプール付きの大きな家のある裕福な生活を思い描いていたのかもしれない。でも、ハーヴェイが足を下ろした60年代のアメリカといえば、公民権運動が盛んだったけれども、南部ではまだ黒人がリンチに遭っていた時代だから、アジア人で男だったハーヴェイも人種差別の厚い壁に思いきり正面衝突したのだと思う。
以来、彼は、いろんな挫折や苦労を繰り返し経験しながら、生涯、組織に一度も所属せず、家族も作らず、マイノリティとして一匹狼(いっぴきおおかみ)で社会の枠組みから外れたところで何とかやってきた。ハーヴェイのビジネスの仕方を見ていると、ちょっと縁故を利用したり、ちょっと「濡(ぬ)れ手でアワ」的なもうけ話に首を突っ込んだり、ちょっと「耳寄りな話」を持ちかけて報酬を得たりと、ムシのいいことばかりやろうとして、どう見てもあまりプロフェッショナルな仕事をしてきたようには見えないのだけれど、それでも何とか食べてきた。でも、食べてこられはしたけれど、プール付きの大きな家や運転手付きの車は手に入らなかった。ハーヴェイも人生を振り返ってみる年齢になって、いろいろ考えることもあるのだろうと思う。思うように人が動かなかったり、ことが運ばなかったりするとき、暴力を振るったり、暴言を吐いたりするのも、思い通りにならなかった人生とどこかでつながっているのかもしれない。
アウトサイダーとしてユニークな人生行路を歩んできたハーヴェイだから、肩書だとか学歴だとかにこだわらなくてもいいのに、とずっと不思議に思っていたけれど、肩書だとか学歴だとかにいつも敏感なハーヴェイだった。コンプレックスが裏返しになって、頭の中に社会のレッテルや縦の序列がそっくりそのまま刻み付けられてしまったのかもしれない。自分より下とみなす相手と好んで付き合うのも、その序列に沿って、上に立ちたいからなのかとも思う。
ハーヴェイは、ウェイターやウェイトレスに、ベルボーイに、タクシーの運転手に、売り子に、機嫌よく声をかけ、気前よくポチ袋入りのチップを渡す。チップを入れたポチ袋はハーヴェイのIDだ、ハーヴェイはポチ袋を通してネットワーキングをしている。
アメリカに来たばかりと聞くと、アメリカの生活に慣れるためにいろいろ手ほどきをし、気前よく振る舞ったりねぎらったりする。綾音さんによると、週末、よく複数の人々を連れて旅行に行くそうで、そんなとき、夜はホテルの1室にぎゅうぎゅう詰めになって雑魚寝するのだそうだ。でも、タオルだけは人数分要るから、ホテルのハウスキーパーに多めのチップを入れたポチ袋を渡して持ってきてもらう。
ハーヴェイは、きっと、寂しいのだと思う。だから、彼は彼なりのやり方で人を周りにはべらせておこうとするのだ。知り合いの富豪にはいつも人が群がっているが、ハーヴェイの周りにも人が群がっている。
- 1
- 2