▽▷△超短編!大どんでん返しExcellent▼▶︎▲ 森バジル「奢る奢らない論争」
「え、これもしかして俺が払う流れ?」
何気ない一言であることを演出するために頭をかく。実際はちょっとした緊張で身体がぐっと火照っていることを抑えながら。
「うわ。それ、女に言わせる?」
花恋はゴミ捨て日の排水溝を見るような目で俺を見た。さっきまで楽しげに話を聞いていた奴がよくもまあそんな目をできるな、と変わり身の早さに舌を巻く。
「いや、奢るか奢らないかの二択が出ることすらおかしい。一択問題だろ。それぞれ払う以外の選択肢ないって」
「ありえな。あーあ、久々にこんなハズレ引いたわ」
花恋は深いため息を一発かましたのち、
「いやー、薄々怪しいと思ってたんだよな、プロフの写真自撮りだから友達少なそうだし趣味がサウナと旅行ってほぼ無と同義だし誘い方も『飲みいきましょ』とかで具体的な日時もお店も提案しないし。何で今日来ちゃったんだろ」
俺は花恋の言葉を咀嚼し、強めに返す。
「少しは歯に衣着せろよ。あんたの歯のヌード見たくねぇよ」
「そういうセンスあるフレーズ言おうとして空回ってる感じも痛いよ」
「真芯を抉りにくるのやめろ、やりすぎだろ」
本当にやりすぎだ。俺は声のボリュームを上げる。
「いや、分かった。俺があんたの好みじゃなかったという事実は飲み込むことにする。飲み込みたくないけどここは俺が折れよう、ミスマッチは仕方がない。ただ、仮にあんたが俺のことを魅力的に思わなかったとしても、ここを俺が奢る理由は一切ない。そこは譲れないね」
「長く喋る男ってださい」
「今、ださいかださくないかは関係ない」
花恋は苛立ちを隠さず、
「じゃあもうストレートに訊くけどさ、なんでさっきわたしがトイレ行ってる時に終わらせてないわけ? わざわざ化粧直すって口実で長めに行って時間作ってあげたんだからさ、その間に全部やっといてくれたら良かったんだよ。それがスマートな男じゃん。あの間何してたわけ?」
「スマホ見てた。なげーな、化粧とか言ってるけど本当はうんこしてんじゃねーのって思ってたわ」
「最低。がちで引いた」
「とにかく」俺は脇道に逸れかけた話を戻すべく、手を叩いた。絶対にこのディベートでは負けないという意志を舌に込める。
「奢るべきだと主張する側が奢る理由を言うべきだ。言ってみろよ、納得したら奢ってやる」
論破する気まんまんで、俺はそう言い放った。花恋は俺を睨みながらも、
「デートのお代は男が払うもんなの。女の子はお化粧とかでお金かかってるんだよ」
「俺も今日のために気合い入れて服買ったんだが? 十万かかってんだけど?」
「それ言ったらわたし歯列矯正で八十万かかってますけど」
「それアリなら俺のヒゲ脱毛と包茎手術代も加算されてくるぞ」
「うわマジ無理。ぜったいヤらないから包茎手術は百パーセント関係ないんですけど」
「男としての自信をつけるのに必要だったんだからヤるヤらないは関係ない」
「それならわたしの――」
「あ、あの!」
そこで、向かいの席の神崎さんが立ち上がって半分裏返った声を挟んできた。隣同士で向き合っていた俺と花恋は、ゆっくり彼の方を向く。神崎さんは机に広がったパンフレット類をそそくさと片付けはじめていた。
「なんか、僕のせいですみません。お二人の挑戦を助けられると思ってお声がけしたつもりだったんですけど、ちょっと難しかったみたいですね。お先に失礼します。ここの会計は僕が持ちますから、ゆっくり議論されててください」
「ちょっと待ってくれよ神崎さん」
俺はすでに立ち去りかけていた彼の腕をぐっと掴んだ。
「絶対に〝引き寄せ〟られるんだろ? 俺、変わりたいんだよ。チャレンジするよ、俺。〝金寿霊水〟十年定期コース、ネットワーク販売分含めて二百五十万。神崎さんからの紹介なら、上のランクでスタートできるんだろ? こんなチャンスは逃せねえよ」
「わたしだって、もし一人で神崎さんの話聞いてたら自腹で買ってた。でも、初めてのデート中にたまたま神崎さんに声かけてもらえてこんなチャンスもらえるのって、もう運命感じちゃうじゃん。だったら彼に男気見せてほしいっていうか」
「いや、そんなんじゃお前が〝引き寄せ〟られないだろ。自分でリスクを取ってチャレンジするからこそ幸せを〝引き寄せ〟られるんだから。チャレンジしないやつは、神崎さんみたいになれねえよ」
店中に響くような声量で言い合う俺たちから一刻も早く離れたいらしく、神崎さんは「いや、ほんともう大丈夫なんで」と伝票を持ってルノアールを出ていった。
駅に向かって駆けていく神崎を窓から確認して、俺と花恋は目を見合わせた。
「上手くいくもんだな。マルチ商法奢るか奢らないかって議題はあり得なさすぎて笑いそうになったけど」
「メッセで伝えたとおりの流れでいけたでしょ。ああいう勧誘は、相手以上の熱量を出してどん引きさせるに限るよ」
「花恋があんなに演技できるとは思わなかった。ほんとに即興かよ」
「街で声かけられた瞬間に、やってみたくなっちゃって。ある意味結婚記念日にふさわしいアクシデントじゃない? 初めてデートした日に一瞬だけ戻った感じになれた」
「そういや、初デートのときって俺奢ったんだっけ?」
「覚えてない。どうでもいいよ」
森バジル(もり・ばじる)
1992年宮崎県生まれ、福岡県在住。九州大学卒業。2018年、第23回スニーカー大賞〝秋〟の優秀賞に選ばれ、文庫『1/2―デュアル―死にすら値しない紅』でデビュー。2023年『ノウイットオール あなただけが知っている』で第30回松本清張賞を受賞した。