▽▷△超短編!大どんでん返しExcellent▼▶︎▲ 桜井美奈「涙の理由を教えて」

「超短編!大どんでん返しExcellent」第22話

 人の涙は感情によって味が変わる。悔しいと思ったときは、交感神経が優位に働いてナトリウムを多く含んだ塩辛い涙になり、嬉しいときや悲しいときは、副交感神経が優位に働いて甘い感じになる――ということを元に、僕が所属している研究所は、その成分の違いを瞬時に判断し、泣いたときの人の感情を読み取る測定器を開発した。今は年齢性別を問わず、多くの人からデータを取り、その正確性を確認しているところだ。そのために僕は今、ある女性に協力を依頼していた。

 彼女は、来月挙式予定の二十七歳。パッチリとした瞳が印象的で、柔らかな声をしている可愛らしい人だ。彼女には、「目薬の治験に参加する」という名目で同意をもらっている。同意書には小さな文字で「涙の成分を調べる」と書いてあるし、検査後に目薬も渡すことになっているから、一応噓はついていない。

 女性はこれから、結婚式の打ち合わせに行くとのことで、僕も同行することになった。

 彼女の婚約者は、約束よりも十分ほど遅れて現れた。「仕事が押して」とウエディングプランナーには頭を下げているものの、彼女には一言の謝罪もなかった。

 打ち合わせは和やかな雰囲気で始まった。だがしばらくすると、その空気に暗雲が立ち込める。今日は席次を決めるとのことだが、かなり揉めていた。

 婚約者の彼女に対する口調は厳しくなり、プランナーが困ったように二人の間を仲裁している。だが、どう見ても彼女の分が悪いらしく、一方的に押されている感じだった。

 場の空気を変えようとしたのか、プランナーが休憩を促す。彼女は席を立って、お手洗いへ行った。

 僕は彼女がトイレから出てくるのを、近くの通路で待っていた。事前に、泣いたら綿棒に涙を採取してもらうことは伝えてある。僕の姿を見つけた彼女は、すれ違いざまに綿棒を渡してくれた。感情が激しく揺さぶられると、涙の採取を忘れてしまう人もいるが、彼女は責任感が強いようだ。ちゃんと覚えていた。

 綿棒を受け取った僕はすぐさま男性用のトイレの個室に入り、カバンから測定器を取り出す。今のところ、採取後五分以内に試薬をかけて測定しないとうまく反応しないため、こんな面倒な方法を取るしかないのだ。

 ものの三十秒ほどで、測定器の液晶画面に「悔しい」と表示された。

 シチュエーションから見ても妥当な感情だろう。二人の結婚式なのに、男の高圧的な態度が目に付く。彼女によれば、式の費用は新郎がすべて負担するというが、それにしてもと思ってしまう。

 とはいえ、僕が口を出すことではない。僕は僕の仕事をするだけだ。

 結局それからの打ち合わせでは、彼女が口を開くことはなかった。

 数日後、今日は婚約者と二人で食事をするとのことで、彼女の退勤後にレストランの前で待ち合わせをした。僕にはカトラリーの使いかたでさえ悩む、高級そうな店構えだった。

 だが待ち合わせの時刻を二十分過ぎても男は姿を現さない。彼女はしきりにスマホを見ているが、連絡はないらしい。

 しばらくすると、彼女が電話で話しだした。時間はすでに四十分が過ぎている。今ごろ連絡してくるとは何てヤツだ、と先日の件もあったため、彼に対して少々腹がたっていた。

 電話を終えると、彼女は一人でレストランへ入った。ドアも壁もガラス張りの店は、中の様子がよく見える。彼女は店員の男性に、何度も頭を下げていた。

 店から出てきた彼女は、静かに涙を流しながら、僕の前にきた。

「あの……大丈夫ですか?」

「はい、ちゃんとお支払いしてきました。彼に立て替えておいてと言われたので」

「いえ、レストランのことじゃなくて……あなたが」

 僕が心配することではない。だけど、このままあの男と結婚して大丈夫なのだろうか。金持ちなのかもしれないが、こんな可愛い人を泣かせてロクな奴じゃない――と、独身で彼女もいないし貯金もほとんどない僕だけど、そう思った。

「大丈夫です。彼、本当は凄く良いところがある人なので」

 彼女はぎこちない笑みを浮かべてから、自分のカバンから綿棒を取り出して、涙をぬぐった。

 怒っていたのに、こんなときでも僕は検査をしてしまう。測定器の画面には「悲しい」と表示されていた。

 結婚式から三週間後。他の被験者も含めて、測定の結果は良好と出たため、検査は終了となった。

 僕は表向きの契約である目薬を渡すために、彼女の自宅を訪れた。都心では考えられないくらい広い家……玄関だけで僕のアパートの部屋が、すべて埋まっておつりがくるくらいの豪邸だった。

 目薬の説明を真剣に聞いてくれている様子を見ていたら、何だか申し訳なさがつのる。責任感が強くて、優しくて可愛い、こんな彼女が僕にもいたらいいのに。

 話を終えて帰ろうとしたとき、彼女のもとに、夫が事故で病院へ運ばれたと連絡が入った。ちょうど車できていた僕は、彼女を病院まで送っていく。だが、病院へ着いた彼女を待ち受けていたのは、臨終の場面にすら間に合わなかったという、残念な結果だった。

 たった三週間の結婚生活。彼女はこれから、あの広い家で亡き夫のことを想いながら生きていくのだろうか。

 彼女はベッドに横たわる物言わぬ男に縋りつき、声をあげて泣いた。その声を聞いて、僕の胸は苦しくなった。

 僕がハンカチを渡すと彼女は涙をぬぐう。

 このハンカチに付いた涙は、調べるまでもない。

 だが職業病とは恐ろしい。確かめずにはいられなかった。トイレの個室へ入り、測定器に濡れたハンカチをあてる。

 画面には、「嬉しい」と表示されていた。

  


桜井美奈(さくらい・みな)
2013年、第19回電撃小説大賞で大賞を受賞した『きじかくしの庭』でデビュー。主な著書に『塀の中の美容室』『殺した夫が帰ってきました』『相続人はいっしょに暮らしてください』『私、死体と結婚します』『眼鏡屋 視鮮堂 優しい目の君に』『復讐の準備が整いました』『盗んで食べて吐いても』などがある。2025年8月22日より、WOWOWにて『塀の中の美容室』の実写ドラマが放送・配信予定。

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