▽▷△超短編!大どんでん返しExcellent▼▶︎▲ 真下みこと「オレオレ詐欺」

超短編!大どんでん返し 第21話

 スマホの時計で時間を確認してから、俺はその番号に電話をかけた。聞き慣れたのんきな呼び出し音が、耳の奥で高らかに響く。

 呼び出し音が途切れたのは、ちょうど三回目のコールが始まろうとするところだった。

『もしもし』

 柔らかな、優しい声が聞こえた。

「あ、母さん、オレオレ。卓也だよ」

 名乗ると、相手は安心したような声で、なんだ、と言った。

『電話なんて、珍しいじゃないの』

「ちょっと、今困っててさ……」

 そう言って、俺はしばらく沈黙した。自分から困り事をベラベラと話すようではいけないと、テレビの詐欺グループが言っていたのを聞いたことがある。

『……何かあったの?』

 相手の声がして、俺はあと五秒、と壁にかかった時計の秒針が動くのを見ていた。しっかり間を作ってから、静かに話し出す。

「落ち着いて聞いて欲しいんだ。今すごく、大変なことになっちゃって」

『どうしたの、大丈夫なの?』

 相手は焦ったように言った。

「実はさ、会社の車を運転してて、事故を起こしちゃったんだ。相手の人、骨折しちゃってさ……。今すぐに示談にしないと、警察沙汰になるって言われてて……。そしたら俺、会社もクビになっちゃうかもしれない」

『そんな……』

「俺が悪いんだ。よそ見運転とまではいかないけれど、一瞬カーナビに気を取られててさ。でもこんなことになっちゃって、どうしたらいいかわからなくて」

 手元の台本を、できるだけたどたどしく読み上げる。

『母さんにできることは、何かないの?』

 そう聞かれ、俺は壁時計を眺めた。ここでまた五秒。

「こんなこと、本当は頼みたくないんだけど、今すぐ三百万円必要なんだ」

『三百万……』

「いきなりこんなこと言われても、無理だよな……」

 そう言うと、しばし沈黙があった。ここで焦ってはいけない。

『大丈夫よ。お父さんに内緒で貯めてたへそくりがあるから。三百万あればいいのね』

 相手の声がしっかりと聞こえ、俺は、本当に、とつぶやくように言った。

「本当にいいの?」

『当たり前でしょ』

 ずっと会えていない母さんのことが浮かんだ。ハンバーグを作ってくれた背中、受験の合格発表で一緒に喜んでくれた笑顔……。そんなことを思い出していると、今自分がしていることがひどく情けなく思えてくる。

 変な沈黙ができてしまい、俺は慌てて言った。

「ありがとう」

『お金はどこに持っていけばいいの』

「弁護士の先生が間に入ってくれてて、今からそっちに行ってくれるらしいから、その人にお金を渡してもらえないかな。俺は今、動くことはできなくて」

『通帳取ってくるね、今からおろすから』

 そう言って、相手は立ち上がるような物音を立てた。

「こんな息子で、本当にごめん」

『何言ってるの。母さん、卓也のためならなんだってするよ』

 それを聞いて、俺の目に涙が溜まる。ここまでは、台本通りだった。

「違う」

『なにが』

 相手の声が、戸惑ったように変わる。

「事故に遭ったのは、母さんの方だ」

『卓也、何言ってるの』

「ずっと、親不孝でごめん」

『卓也?』

「バンドマンになるなんて言って家出して、連絡もろくにしないで」

 嗚咽混じりにそう言うと、やさしい、やわらかい声がした。

『いいんだよ』

「母さん」

『卓也は大事な私の子供なんだから』

「母さん、母さん」

 俺はそう言って、涙をぼろぼろとこぼした。大人になってから泣くのは、恥ずかしいけれどどこか清々しかった。

【15分経過しました。レンタル母さんサービスを終了します】

 お決まりの自動音声が流れる。俺は慌てて涙をティッシュで拭った。

「今日も、ありがとうございました」

『いえいえ』

 電話の向こうの、金でレンタルした「母さん」が言った。母さんによく似た、あたたかくてやさしい声。

 母さんが死んだのは、俺が家を出てすぐだった。交通事故だったらしい。俺がそれを知ったのは、どうしても金がなくて家に連絡を入れた五年後のことだった。

 ずっと、母さんに謝りたかった。卓也のためならなんだってするよ、卓也は大事な私の子供なんだから、は事前にこちらからリクエストした台詞だった。こんな台詞が出てきてもおかしくないシチュエーション、オレオレ詐欺以外に考えられなかった。オレオレ詐欺のやり取りは、俺の台詞も母さんの台詞も全て、台本通りだったというわけだ。

『そろそろ謝り飽きたんじゃありません? 愚痴を聞くプランとか、上司に怒られたのを慰めるプランとか、色々ありますけど』

「いえ、カスタマイズしたオレオレ詐欺プランのままでお願いします」

 結局俺は就職して、今ではしがないサラリーマンだ。しかし「母さん」の前で仕事の愚痴など言いたくなかった。

『次回はいつにしますか?』

「二週間後でお願いします」

『かしこまりました。ご利用、ありがとうございました』

 電話が切れる。ツー、ツーという電子音を、俺はぼんやりと聞いていた。

  


真下みこと(ました・みこと)
1997年生まれ。早稲田大学大学院修了。2019年『#柚莉愛とかくれんぼ』で第61回メフィスト賞を受賞し、2020年同作でデビュー。その他の著書に『あさひは失敗しない』『茜さす日に噓を隠して』『舞璃花の鬼ごっこ』『わたしの結び目』『かごいっぱいに詰め込んで』『春はまた来る』など。

萩原ゆか「よう、サボロー」第110回
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