桐衣朝子『赤パンラプソディ』
花ざかりの60代へ
『赤パンラプソディ』がどんな話か訊かれて「60歳の女性作家が主人公で、娘の漫画家姉妹との笑いあり涙ありの物語です」と言うと、返ってくるのは大抵「自伝的小説ですね」という言葉である。
「小説は根も葉もある嘘八百」
これは佐藤春夫の言葉であるが、この小説も私自身の作家としての苦悩や母親としての後悔など、事実に色づけしたものを混ぜ込んである。
しかし私が「フィクションです!」とかたくなに言うのは、この小説の中のあれやこれやが全部事実だと思われたら、さすがの私も恥ずかしいからである。
作中の個々の事例に関して、事実かどうかはお答えしないと硬く心に決めているのだが、一つだけ出血大サービスをすると、「救急搬送」はほぼほぼ事実である。
人生を振り返って、つくづく真理だなあと思うのは、「40、50ははなたれ小僧、60、70は働き盛り」という、かの有名な渋沢栄一の言葉だ。
私は46歳で大学に入学し、52歳で大学院に入り、60歳で作家デビューした。スタートは遅いが、それが私の「ベストタイミング」だったと自信を持って言える。
生来のナマケモノだった私が、大学で優等生になれたのは、授業1コマの価値が痛いほどわかる年齢になっていたからだし、たいして文才もないのに作家になれたのは、60年という長い月日で経験したあらゆること、特に「その時は不幸だと思っていたこと」が強い味方になってくれたからだ。
60代は成熟度が上がって花盛りに差し掛かる。やっと自分が主役になれるのだ。過去に二度の大病もしているし、年相応にガタもきている。だけど若い頃にはなかった「老いのエネルギー」というものがある。「時」という偉大な「師」に授けられた特別な力だ。
さて最後に、先日私の身に起こった「赤パン事件」についてお話ししよう。
「赤い下着をつけて年を越せば幸運に恵まれる」
この言い伝えを知ってから、私は赤パンしか穿かなくなったのだが、先日洗濯時に紛れ込んだ赤パンが他の全ての衣服を薄紅色に染めてしまった。
怒った娘たちが、「二度とこんな大惨事を起こしてなるものか」と、引き出し一杯の赤パンを全て捨てるという暴挙に出た。
というわけで私の赤パンは永遠に『赤パンラプソディ』の中だけに記憶されることになったのだ。ちなみに現在の私のパンツの色に関してはニーズがないので、記述は控えさせて頂く。
失った赤パンを偲びつつ、『赤パンラプソディ』が少しでも誰かを笑わせ、少しでも誰かの癒しになりますようにと、私は今心から心から祈っている。
桐衣朝子(きりえ・あさこ)
1951年、大阪府生まれ。福岡県在住。2012年、第13回小学館文庫小説賞を受賞し『薔薇とビスケット』でデビューした。他の作品に、実の娘で漫画家のキリエ原作の『4分間のマリーゴールド』ノベライズ、『僕は人を殺したかもしれないが、それでも君のために描く』がある。
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『赤パンラプソディ』
著/桐衣朝子