あの作家の好きな漫画 第2回 早見和真さん

早見和真さんあの作家の好きな漫画

漫画について語るとき、亡くなった母の笑顔を思い出す──
ある名門高校野球部出身で、『あの夏の正解』が本屋大賞ノンフィクション部門にノミネートされた早見和真さんにおすすめの野球漫画を尋ねた。


 小学生の頃、風邪をひいて学校を休むと母はずいぶん優しかった。

 その優しさにつけ込んで、月曜日、仕事に出ていく母に「帰りに〝ジャンプ〟を買ってきて」とお願いすると、ほぼ100パーセント『月刊ジャンプ』を買ってきた。

 あまりの『月刊ジャンプ』率に業を煮やし、出がけに「週刊だからね。月刊じゃないからね。200円くらいのヤツだからね」と、念を押しても、母は何かに取り憑かれたかのようにまた『月刊』を買ってきた。

 不思議なもので、中学生になっても、高校に上がってからも、『月刊ジャンプ』のエピソードは「母親のあるある話」として、友人たちに通用した。

 それどころか、あれから30年以上もの年月が過ぎ、地元・横浜から遠く離れた愛媛県松山市に暮らすいまでも、不思議とこの話は通じてしまう。

 つまり、これはどういうことなのか。あの頃、日本中のお母さんたちが月曜日になると取り憑かれたように『月刊ジャンプ』を買っていたということか。そして我が家がそうであったように、良かれと思って買って帰った雑誌を巡って、愛する息子たちから「これじゃない!」と、涙ながらに訴えられていたということか。

 きっとあの頃、月曜日になると『月刊ジャンプ』はよく売れていたに違いない。もしこの仮説が正しいのだとすれば、これはもう書店員の怠慢だ。月曜日に『月刊』をレジに持ってくるお母さんがいたのなら、一声かけてくれるとありがたかった。

「本当にこちらでよろしいですか? 『週刊』の方ではございませんか?」

 その気遣いさえあれば、多くの家庭で無用な親子ゲンカが繰り広げられることはなかったと思う。

 

 で、ようやく本題だ。この先は「母親のあるある話」として成立しない。僕が小学3年生くらいの頃、「コロコロコミック」で『リトル巨人くん』という野球マンガが連載されていた。

 自他共に認める野球少年だった当時の僕は、これに大いにハマった。そしてあるとき、どういうタイミングだったかは覚えていないけれど、母にその単行本を買ってきてほしいとお願いした。

 母は二つ返事で了承した。『月刊』で散々痛い目を見ているのにまだ全幅の信頼を寄せている僕も僕なら、メモも取らずに出かけていった母も母だ。

 帰宅後、母は約束通り書店の紙袋を届けてくれた。当然、僕は中から「てんとう虫コミックス」の『リトル巨人くん』が出てくるものと思っていた。

 しかし、実際に出てきたのは「ひばり書房」なる出版社の『呪われた巨人ファン』(城たけし)というマンガだった。あまりにおどろおどろしい表紙の片隅には、そういうジャンルが当然確立されているかのように「野球ファン新怪奇」という文字が躍っている。

呪われた巨人ファン

呪われた巨人ファン
城 たけし

 あらすじを記すのは難しい。ある日、主人公の小学生・ひろしは、一人で後楽園球場に巨人対阪神を観にいく。そこで大好きな江川が宿敵・掛布にホームランを打たれてしまい、巨人は負けてしまう。

 しかし、ふて腐れながら帰宅したひろしに、母は「巨人がサヨナラ勝ちした」などと言ってくる。11時のスポーツニュースも「淡口選手のサヨナラホームランで巨人が九連敗を免れた」などと伝えている。

 ここから、ひろしのアイデンティティは揺らぎに揺らぐ。では、球場にいた〝僕〟は誰なのか? あの〝僕〟は何を見たのか。あそこに〝僕〟がいたことを5万人の観衆が証明してくれる。そうだ、となりの席の酔っ払いのおじさんとたくさん話した。でも……。

 ひろしは、ひろしは死んだのだと言い張るようになる。あるときから「自分は〝しろひ〟」と名乗り始め、段ボールを何重にもかぶって登校するようになる。そして……。

 これを「あらすじ」としていいのかはわからないが、とにもかくにもこれがもう傑作なのだ。たくさんの物語に触れてきたいまの僕はもちろんのこと、まだウブだった小三の僕にもビンビンに刺さった。

 友人たちにコミックスを貸して「俺は〝かずまさ〟なんかじゃない。〝さまずか〟だ!」などと「呪ジャイごっこ」も、横浜市旭区の一地区で一瞬流行ったこともある。

 人生を突き動かされた一冊ではないかもしれないが、小学生の頃から残っている数少ないマンガ本であるのは間違いない。

 いまでも、あのおどろおどろしい表紙が目に入るたびに、8年前に亡くなった母の笑顔を思い出す。

 

 今はこんな漫画を読んでます。

ドラフトキング

ドラフトキング
クロマツテツロウ

 もう出尽くしたと思われる野球マンガのジャンルにおいて、プロ野球のスカウトにスポットを当てていて、かつめちゃくちゃニッチなところを攻めていておもしろいです。

バトルスタディーズ

バトルステディーズ
なきぼくろ

 桐蔭学園高校の野球部出身の小説家ということで少しだけ目立てた僕にとって、PL学園野球部出身で、かつレギュラーだったというマンガ家の出現は衝撃でした。個性的な絵も大好きです。


早見和真(はやみ・かずまさ)
1977年神奈川県生まれ。2008年『ひゃくはち』でデビュー。同作は、映画化、コミック化されベストセラーに。15年『イノセント・デイズ』で第六八回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)受賞。他の作品に『ぼくたちの家族』『店長がバカすぎて』『ザ・ロイヤルファミリー』がある。

◎編集者コラム◎ 『さよなら、ムッシュ』片岡 翔
佐藤 優「危機の読書」〈第15回〉教養としてのインテリジェンス小説