早見和真さん『店長がバカすぎて』

第133回
早見和真さん
『店長がバカすぎて』
本屋のある街とない街、どちらに暮らしたいかと言われたら、僕は本屋のある街に暮らしたい。
早見和真さん

 ドラマ化もされた『小説王』で、編集者と作家の関係を力強く描きながら、昨今の出版業界の問題点も浮き彫りにした早見和真さん。新作『店長がバカすぎて』はコミカルな一作だが、こちらもまたさまざまな現実が盛り込まれる。が、執筆の動機は意外なところにあって……。

書店が舞台のコメディを

 舞台は東京・吉祥寺にある武蔵野書店。契約社員の谷原京子はこよなく本を愛する二十八歳だが、人は良いが空回りばかりの店長にほとほと困らされている。早見和真さんの新作『店長がバカすぎて』は、そんな書店のさまざまなトラブルをコミカルに描く連作集。

「今回は完全に、コメディをやろうとしたんです。順を追って説明しますと、僕はデビューして十年、『ひゃくはち』のような青春小説、『ぼくたちの家族』のような家族小説、『イノセント・デイズ』のようなミステリー、『小説王』のような作家と編集者のバディものなど、雑多にいろいろ書いてきて、自分が何が得意かを探し続けてきました。そのなかで、完全にコメディだけが手つかずで残っていた。『ひゃくはち』を書いている頃から人を笑わせることには関心はあったけれど、文章で人を笑わせることの難しさも痛感していました。でも僕は奥田英朗さんの『空中ブランコ』や『イン・ザ・プール』といった伊良部シリーズをバイブル的に思っているところがあって。いつか書きたいとは思っていたんです」

 ただ、版元である角川春樹事務所の角川社長のオファーはまったく違ったものだった。

「『イノセント・デイズ』っぽくて『小説王』っぽいもの』を、と言われたんです(笑)。正直、言われたままのものを書く気はなかったです。むしろ、どうやって社長をギャフンと言わせられるか、という話を担当編集者としました。その時に、前からやりたいと思っていたコメディを書こう、と。それで打ち合わせしているうちに、『店長がバカすぎて』というタイトルって面白くないですか、という話になったんです。『院長がバカすぎて』や『校長がバカすぎて』も浮かんだんですが、よりマスに通じるのは『店長』だと思ったんですよね」

 店長というだけならば、コンビニが舞台になる可能性も、アパレルの店の話になる可能性もあったわけだ。しかし、

「恥も外聞もなく書店を選びました。書店が舞台なら、まず書店員さんも、書店に来る人も興味を持ってくれるだろうと。身近だから書きやすかったというわけではないんです。むしろ書きにくい場所でした」

「恥も外聞もなく」「書きにくい場所」というように、書店を選ぶことに抵抗があった様子。

「僕、書店員にビビってたんです。本屋大賞のせいで。作家と書店員って同じ船に乗っているわけで、本当は作家と編集者は同じような関係を構築しなきゃいけないと思うんです。でも、本屋大賞というものができてからは、向き合う対象になってしまった感覚がありました。あくまでも噂レベルの話ですが、本屋大賞を狙って書店員さんを接待しまくった作家がいると聞いたこともあります。それが本当かどうかは分からないけれど、やっぱり僕も書店回りをする時に、一票入れてくれたら嬉しいなって気がしてしまう。こっちが何も言わなくても『一票入れますね』と言ってくる書店員もいる。そうした関係性に、僕はずっとモヤモヤし続けていました」

 しかし今回、コメディを執筆するにあたって、そのモヤモヤをとっぱらおうと覚悟を決め、書店員たちに取材することにした。

「今僕は愛媛に住んでいるので、地元の書店員さんたちと会って、とにかく愚痴をぶちまけてくれと頼みました。でも、彼らが〝これは面白いだろう〟と言って話してくれるエピソードより、〝こんな苦しいことがあった〟〝こんなやるせないことがあった〟という話が面白い。本人にとっての悲劇は他者にとって究極の喜劇ということを実感しました。読んだ一人の書店員さんからは『私のあんなちょっとした愚痴が、こんなふうなエピソードになるなんて鮮烈に驚きました』とも言われました」

 つまり、本作は現場の声が多数反映されているといえるが、実話を盛り込んだわけではない。

「聞かせてもらった話はベースに流れていますが、話は僕が作りました。一人、本当にお世話になった人がいて、〝こんなエピソードがありうる?〟〝いえ、ありえません〟といったやりとりはさせてもらいました」

 取材したのは愛媛の書店員たちが中心だが、本作の舞台は東京、吉祥寺だ。

「僕は昔、吉祥寺近辺に住んでいて、今はもうないパルコブックセンターでよく本を買っていたんです。ヴィレッジヴァンガードにもしょっちゅう行きました。舞台を考えるにあたり、地方の小さな街でもなく、新宿のような大きな街でもなく、マスっぽいけれど中小の書店が馴染んでいる街というところで吉祥寺を選びました。正社員でも、アルバイトでもない、主人公の契約社員という立場も投影させました」

空回り店長と有能な契約社員

 無意味な朝礼、店長のうっかりミス、勝気なアルバイトからの反発、尊敬する先輩の退社、お客さんからのクレーム……。谷原京子の多忙な日々は、小さな不満や不安が渦巻いている。店長は勉強不足だし大ボケをかますことはしょっちゅうだが、仕事熱心ではあるし、性格が悪いわけではない。

「この店長は本当にバカなのか、というのは考えました。ただ、トップがバカなチームって意外と一枚岩になる。共通の敵がいることが一番てっとりばやいチーム作りの手段ですから」

 一方、部下の谷原京子はかなり優秀。彼女を三十歳間近の契約社員という設定にしたのは、

「いちばん切羽詰まっているのは正社員よりもアルバイトよりも契約社員。名前が売れているような書店員さんでも契約社員という人は多い。でも正社員と同じくらい責任を負わされ、待遇では差をつけられてジレンマを感じている。三十歳間近にしたのも同じ理由。二十歳よりも四十歳よりも、先のことを考えて追い込まれそうな年齢だと思ったからです。それと、書店の現場って女性が多いんですが、上にはマッチョなオッサンばかり、ということが多いんですよね。いまだに男性至上主義で、空気が悪いんだろうなと感じさせるところもありました」

 各章のタイトルが〈店長がバカすぎて〉〈小説家がバカすぎて〉〈営業がバカすぎて〉〈弊社の社長がバカすぎて〉等々。本当にどうしようもない人間もいれば、愛すべきバカも登場。腹立たしいエピソードもあるが、あくまでも軽やかに、コミカルに、笑える展開が待っている。

「全章、山本店長と谷原さんの話にもできましたが、一章書いているうちに次はどうするかが浮かび、いろんな人を登場させることになりました。ただ、コメディだからといって、自分が笑った瞬間はありませんでした。むしろ、自分で笑ったら駄目だと、今まででいちばん慎重に書いた気がします。それでもゲラを読み返した時に笑える場面はいくつかあって、失敗していないなという手応えはありました」

書店というものに対する思い

 笑わせながらも、書店の実情が多分に盛り込まれていく。小さな書店には話題の新刊本が入荷されないことが多い現実や、版元が売りたい本に対して、一部売り上げるごとに報奨金がつくため、社員までがその本を買わされることになるという制度の話も。

「報奨金というのは僕もはじめて知りましたが、強烈ですね。中小の書店は発注しても本が入荷されないということも実際にたくさんある。これは作中には書かなかったんですが、地方の小さい本屋さんで、お客さんに喜んでもらいたいからネット書店で本を買って店頭に並べて、自分のところの包装紙に包んで渡している人もいました。なんかもう、システムがおかしくなっている」

早見和真さん

 日本の再販制度についても考えることは多かった。これは本の価格を一律に保つためのシステムなのだが、

「僕はある種の楽観主義者で、お金でも人でも、なきゃないでなんとかなると思っているんです。再販制度も、浅はかな考えですけれど、あれがあるばかりに現場がこんなに疲弊しているのかもしれなくて、だとしたらなくてもいいんじゃないかと。あの制度のせいで、出版社が本を出すだけ出して、書店に並べて、売れなければ返品してという、壮大な自転車操業に陥っている気もする。ミシマ社のようにニッチなところで機能している小さな出版社もあるわけで、ニッチな書店でも、そこに行かないと買えない本があるなら、それが生き残る術となるだろうし」

 書店の現状を広く知らしめる効果もありそうな本作だが、

「僕は今回、書く前に、本屋は本当に必要なのかということまで自分に問いかけました。自分が小説家だから街の本屋を守りたいだけじゃないか、って。正直答えは出なかったです。なんだけど、本屋のある街とない街、どちらに暮らしたいかと言われたら、僕は本屋のある街に暮らしたい。豊かさという意味で。その気持ちに忠実に書けば、必然的にエールになるだろうと思いました。ことさらそれを書くわけじゃなくて、その気持ちを常に胸においておくイメージで書きました」

 プルーフを読んだ書店員たちからは発売前から多くの感想が版元に寄せられ、刊行後も順調に版を重ね、現在五刷。物語の終盤になって、本屋大賞を思わせる賞の話題が絡んでくることもあり、読者として率直なことを言ってしまえば、書店が舞台であれば書店員たちは興味を示すだろうし、早見さん、本作で本屋大賞を意識しているのかなとも勘ぐってしまう。

「今までの僕だったら、本屋大賞を匂わすことすら作中に盛り込めなかった。自意識過剰の僕には、〝本屋大賞を意識しているんですか〟なんていうのは地獄の質問です(笑)。でも書き終えた今は、そうとらえられるならそれでもかわまない、という開き直った気持ちがあります。小説家としてひとつ強くなりました。もちろん、本屋大賞を狙っているなんてことは絶対にない。本屋大賞を目的に本を書くようになったら終わりだと思っている。それに僕が書店員だったら、書店モノの小説になんて絶対に入れたくない(笑)。それを乗り越えて、読んで面白いと思ってくれる人たちがいるなら、それが僕にとっての成功体験です」

コメディを書き終えて

 本作で、生まれてはじめてシリーズを書きたいと思ったという。

「この二人の物語じゃなくて、今度は学校の校長とか、コンビニの店長とかにしてもいい。何が一番いいのかを考えるのが楽しみです」

 一方、いろんなジャンルを書くなかでコメディも書き上げた今感じているのは、

「素直な気持ちで思ったのは、自分が今やるべきなのは『イノセント・デイズ』のような、一人の人間に執着した小説なんだろうなということ。今、『野性時代』に書くために、『イノセント・デイズ』をバリバリ意識した小説を書こうとしていて、愛媛で実際にあった事件の取材をしています。すごく手応えがありますよ」


店長がバカすぎて_書影

角川春樹事務所


早見和真(はやみ・かずまさ)

1977年神奈川県生まれ。2008年『ひゃくはち』でデビュー。15年『イノセント・デイズ』が第68回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)を受賞。他の著書に『ぼくたちの家族』『小説王』など。

〈「きらら」2019年10月号掲載〉
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