藤原麻里菜『不器用のかたち』試し読み 第1弾「分厚いミルクレープ」

藤原麻里菜_不器用のかたち_試し読み_ミルクレープ
 唯一無二のアイデアとユーモアで「無駄づくり」を続ける発明家・藤原麻里菜氏は、意外や意外、自他共に認める不器用人間。そんな藤原氏がただ純粋に物作りを楽しむエッセイ『不器用のかたち』刊行に向けて、厳選した全3話を特別公開!
 下手でも途中で諦めても、「不器用のかたち」が心を救ってくれるはず。

はじめに

 何をしても不格好なものができあがってしまう。料理をしても、工作をしても、手芸をしてもだ。私は「無駄づくり」といって、無駄なものを作るプロジェクトを10年以上続けており、「インスタ映え台無しマシーン」や「札束でぶたれるマシーン」など、無駄なものを300個以上作ってきた。「なんでも作れて器用だ」という評価をする人もいるかもしれないが、綺麗に見える作品はレーザーカッターや3Dプリンターなどのデジタルなものに頼って作ったもので、私自身に物作りの腕があるというわけではないし、デジタルなものを使わずに作ったそれらはガムテープをダンボールに貼り付けただけだったり、塗装がはがれてガビガビになったりしている。以前、取材してくれた方が制作現場に密着してくれたことがあったのだが、私の真剣な様子とその成果物を見て「いい意味で受け取って欲しいのですが、うちの6歳の子供が作ったみたいです」と言った。いい意味で受け取った。

 私は不器用である。自他共に認める不器用である。大胆に動く手、細かい作業を拒否する小粒の忍耐力。それらが私を不器用にさせている。だからといって、それが物作りを諦める理由にはならない。物を作るということ──それが誰からも認められないものでも──は、私たちの心を救ってくれる祈りのような存在だ。鬱屈した感情を込めて、アイデアを考え、想像したものを自分の手で作り上げ、実現させる。こんなにも創造的な遊びは他にないと思っている。他人の評価や名声は関係なく、ただ物を作るということを楽しむだけだ。自分の生活にとってこの考え方がどれだけ大切なことだろうか。

 SNSでインスタントに作品を発表できる今日、個人で制作して投稿されている作品のレベルがだいぶ上がっているように思える。下手なものをアップしてしまったら、袋叩きにされてしまいそうな雰囲気。私はそれに危機感を覚えている。下手でも誰でもなんでもやっていいのが創作だ。パースが崩れた絵だって、音楽理論をぶち壊した曲だって、そこに存在していい。だから私は不器用だけれど、物を作る。どんなに無駄なものでも、どんなに雑に作られていても、その作品はそこに存在してよく、愛らしい。よし、わかった。不器用な私が堂々と下手な物を作り、それを一冊の本にまとめて、世界全体の創作レベルをぎゅんと下げてやろう。

 本書は、私が不格好なものたちを作った記録だ。「無駄づくり」では、ある程度テーマを絞って物作りをしているが、本書では興味を持っている物作りの技法や不器用だからできっこないと諦めていたことたちに挑戦し、見事に散っている。

「説明書を読まない」「諦める」「せっかち」「雑」など腹立たしいことが多々見受けられると思うが、「まあ、そういう人もいるもんだ」と思ってもらえたらうれしい。

 不器用だって物作りをしていい。下手くそだって、何に挑戦してもいい。諦めながら物作りをしてもいい。私の作る「不器用のかたち」が、生活を彩り、心を救ってくれるのだ。

不器用の三箇条

1、飽きたらやめる 2、できるまでやらない 3、これでよしとする

「分厚いミルクレープ」

 ミルクレープとはクレープ生地とクリームを重ねたケーキだ。薄いクレープ生地に甘いクリーム。それが何層にも積み重なっていて、ケーキとして形作られている。「生地とクリームの間にパリパリのチョコが挟まれたものを食べたい」というのが、夫からのリクエストだった。2月のはじめから、口を開けばチョコミルクレープの話をしてきて、どうやらバレンタインの贈り物として期待しているようだ。チョコクリームが入ったミルクレープはどこかのケーキ屋で見たことがあるのでそれを買う旨を伝えたところ、夫は「申し訳ないけれど、それだとイメージと違う。クリームではなくパリパリのチョコレートでなくては絶対にダメ」と言う。絶対にパリパリのチョコレートがいい。絶対絶対パリパリ。普段、何事にも「俺は別になんでもいい」と言うほど意思があまりない夫なのだが、パリパリチョコのミルクレープだけは譲れないらしい。

 2月に入ってからバレンタイン当日まで、口を開けば「絶対パリパリ」と言っており、覚悟を決めた私は夫が出社したのを見送り、まいばすけっとに向かった。パリパリのチョコレートが挟まったミルクレープを検索したけれど、どこにも売っていないしレシピもない。じゃあ、私が作りましょう。コンビニみたいなスーパーであるまいばすけっとには、この世のものはだいたい売っている。ホットケーキミックスと、卵と牛乳。また、簡単に使えるホイップクリームと、板チョコを4枚購入した。買い物をしていたら、私の前で商品を見ていたおばさんがおならをして、幸先が悪い。

 帰宅して、まずは手を洗った。料理は手を洗うことから始める。そういうことは知っているのだ。実家で暮らしていたときに冷蔵庫に里芋があったので包丁で切ったら中が緑色だった。母を呼びつけ「新種の里芋だ!」と言うと「それキウイだよ」と言われたことがある。それくらい私は料理をしないのだが、「まずは手を洗う」という基本中の基本を知っているだけで、そのことのすべてを知った気になってしまう。

 よし、それじゃあクレープ生地を作るぞ。ミルクレープは薄いクレープ生地が重要だ。ホットケーキミックスを手順通りに作り、おたまで少しだけすくってフライパンに流し込んだら、ホットケーキが出来上がった。あれ。薄いクレープを作りたいのに、目の前ではホットケーキがもこもこと膨らんでいる。ホットケーキミックスを少しだけ流し込めばクレープが生まれると信じていた私は、あまりにも無計画な自分に絶望した。ホットケーキミックスそのままだと生地の粘度が高く、もったりしていることが原因だと思うので、とりあえず、牛乳をどばどば入れ、しゃばしゃばした生地を作ることに成功した。料理ってのは臨機応変にしなくちゃね。

 しゃばしゃばした少量の生地をすくい上げ、フライパンに流し込む。すると、ホットケーキができあがった。昔、ホットケーキミックスを使ってクレープを焼いているお料理動画を見たことがあり、それをうろ覚えで真似しただけなのに。ホットケーキミックスをフライパンに流したら、ホットケーキが出来上がる。30歳にして、大切なことを学んだ。その後、何度挑戦してもクレープではなく、ホットケーキが出来上がってしまい、結局、ホットケーキを7枚焼いて、生地がなくなった。生地が垂れたコンロを掃除しながら、なんでこんなことになってしまったのかと、後悔する。ただ、出来上がったホットケーキを見て、私はにんまりしていた。ホットケーキにしてはちょっと薄いのだ。クレープの厚みが1、ホットケーキが10だとすると私が作ったものは8くらいの厚みで、これはなかなか健闘したのではないかと自分を励ますことにした。

 生地を作っただけで満足しそうになったが、夫のリクエストは「パリパリのチョコ」である。まずは板チョコを湯煎して溶かそう。このくらいは朝飯前だ。なぜなら、小学生のときに板チョコを溶かして型に流し込み再度チョコレートを成形するという儀式を何度も行っていたからだ。チョコレートを細かく割って湯煎し、ヘラで混ぜる。すると数秒でドロドロに溶けていく。チョコレートが再度固まらないように、分厚いクレープ生地、ホイップクリーム、チョコレートの順に素早く積み重ねていく。ホイップクリームは1から作るのがめんどうだったので、すでに出来上がっているものを購入した。クリームを塗り、チョコレートを垂らしかけ、分厚いクレープ生地をのせる。それを繰り返した。最後に余ったチョコレートをドブ川に泥水を捨てるようにかけたら完成である。

 分厚い生地からチョコレートがはみ出して、いまにも崩れそうな違法建築のような見た目になっており、ミルクレープにはまったく見えない。しかし、生地とクリームが何層にも積み重なっているという部分を取れば、これはミルクレープとして認めざるを得ないのではないだろうか。別にクレープ生地が分厚くても、ミルクレープと言っていいじゃないか。この多様性の時代に、そんな細かなことでミルクレープかミルクレープじゃないかを判断するのは野暮というものだ。これを夫へのバレンタインプレゼントとする。

 満足感に包まれながら、一息ついてYouTubeを見ていると、なんだかすごくチョコ臭い。チョコを湯煎するときに素手でチョコを割ったので、その匂いがついているのだろうと一旦納得したが、それでもすごくチョコ臭く、原因は他にあるぞと、身体中の匂いを嗅ぎまわったところ、洋服の袖にびっしりとチョコがくっついていた。袖をまくりながら作業をしていたのにもかかわらず、なぜこんなところに、しかもびっしりとチョコがくっついているのか私は理解しがたく、恐怖にかられた。

 はっとして作業していたテーブルに目をやると、やはり至る所にチョコが飛び散っていた。なぜこんなところにと思うような場所にまでチョコがあり、チョコの行動範囲にびっくりする。フットワーク軽すぎだろ。

 夫が帰宅し、冷蔵庫に入っている渾身のミルクレープを見て一通り笑い、一口食べると「ミルクレープは薄い。ホットケーキは分厚い。このケーキはその間を行っている。新しい分野を開拓したね」と褒めそやしてくれた。私も一切れ食べてみると、ホットケーキミックスと市販のチョコの安定の美味しさが相互作用してより安定した安定の味だった。味の公務員だった。

 不器用な私が作るものはすべて不格好だが、私はそれを愛している。だから、この分厚いミルクレープだって、私は愛おしく感じるのだ。

 夫は2日に分けて、このミルクレープを完食した。よく食べたな、と思う。切った断面をよく見てみると、クレープ生地は生焼けだった。しかし、奇跡的に私も夫もお腹を壊しておらず、不器用の神が私たちを祝福しているようだった。

藤原麻里菜_不器用のかたち_試し読み_ミルクレープ
藤原麻里菜_不器用のかたち_試し読み_ミルクレープ

\ 2024年11月27日発売!/

藤原麻里菜_不器用のかたち_書影

 


藤原麻里菜(ふじわら・まりな)
1993年生まれ。コンテンツクリエイター、文筆家。頭の中に浮かんだ不必要な物を何とか作り上げる「無駄づくり」を中心に活動中。2016年、Google社主催の「YouTubeNextUp」に入賞。19年、「総務省 異能vation 破壊的な挑戦者部門」採択。21年、「オンライン飲み会緊急脱出マシーン」で文化庁メディア芸術祭エンターテイメント部門審査委員会推薦作品選出、 Forbes Japanが選ぶ「世界を変える30歳未満」に選出。22年、青年版国民栄誉賞TOYP会頭特別賞受賞。Xアカウント@muda_zukuri
伊多波 碧『生活安全課防犯係 喫茶ひまわり』
萩原ゆか「よう、サボロー」第70回