◇自著を語る◇ 風野真知雄『お龍のいない夜』

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龍馬はふつうに変な男だった

 あの名作があることは、もちろん当人も重々承知のうえでして、周囲からも言われましたよ、「坂本龍馬? いまさら書くことあるの?」と。しかも、その背後に「お前ごときちんぴら作家が?」と言いたい気持ちをありありと感じさせつつ。

 傷ついてひざまずきそうになるのに耐えながら、わたしは細い声で言いました。「それが、けっこうあるんだぞ」と。

 ほんと、けっこうあるんですから。

 わたしだってあの名作は読みましたよ。二十一か二のころ。こんな面白い小説があるのかと、わずか数日で読み終えました。そのころ惚れてた小娘にも薦めました。「これ、めっちゃ感動するから読みなよ」と、わざわざ新しいのを買って(自分は古本で読んだのに)。

 こんなカッコいい男が、この国にいたんですかと、なんとも素直に惚れ込んでしまいましたよ。また、惚れ込むようにうまく書いてあるんですよね、あれは。そのころ、マリリン・モンローも大好きだったので、

「男は龍馬、女はモンロー」

 などとほざいたりもしたものです。

 以来、幾星霜。

 わたしは驚いたことに、なれるはずのない小説家になっていて、しかも坂本龍馬を書いてもいいというではありませんか。

 そのことを最愛の人に告げると、

「ねえ、あさちゃん(わたしの綽名)。坂本龍馬のファンは、いっぱいいるんだよ」

 と言いました。それは、おそらくこの人のことだから、また調子に乗っておちゃらけ路線に入り、龍馬を冒涜するようなことを書いて世の顰蹙を買うのではないかと、心配してくれたに違いないのです。じっさい、わたしは信長だの上杉謙信だのを笑いものにしては、ファンからぼこぼこにされたりしているのです。

 だが、龍馬のことは、冒涜する気持ちはまったくありませんでした。勝海舟、坂本龍馬という師弟コンビは、ほんとに好きだから。ただ、英雄にしたくないという気持ちはありました。なぜなら、龍馬はふつうの、誰でもそうであるように、ちょっとだけ変な男だったと思うから。だから、あの異様な状況のなかで、冷静にあんないい仕事ができたのだと思うから。

 そこで、いろいろと小説的な仕掛けをほどこしたわけです。たとえば……。

○お龍が焼いてしまった龍馬の数多くの手紙を捏造すること。
○龍馬が土佐弁を話さないこと(理由は小説のなかで書いています)。
○龍馬は新技術の先端である蒸気船の船長だったことを強調すること。
○龍馬は意外に人見知りで、会った相手にひそかに綽名をつけること。
○千葉佐那とうっかり結婚を約束し、ずっと追いかけられていること。
○龍馬とお龍はほんとにべた惚れ同士の、恋愛ドラマ顔負けのカップルだったこと。

 等々。ほらね、けっこう書くことがあったでしょ。

 だが、いちばんのポイントは、やはり龍馬は寺田屋と近江屋で二度襲われているんだけど、その状況がそっくりだということ。そして、違ったのは、最愛の妻お龍がそばにいなかったということ。ここさえしっかり書けば、一編の小説として、充分面白くなるんじゃないのと思った次第なのです。

 それにしても、龍馬は生かしておきたかった。そして、明治になっても勝とコンビを組んでいたら、たぶんその後の日本の歴史はまったく変わっていたはずなんですよね。


お龍のいない夜 書影

『お龍のいない夜』
風野真知雄

風野真知雄(かぜの・まちお)
1951年福島県生まれ。立教大学法学部卒業。93年「黒牛と妖怪」で第17回歴史文学賞を受賞し、デビュー。2015年「耳袋秘帖」シリーズで第4回歴史時代作家クラブ賞・シリーズ賞、『沙羅沙羅越え』で第21回中山義秀文学賞を受賞。「妻は、くノ一」「大名やくざ」「わるじい秘剣帖」「隠密 味見方同心」など人気シリーズ多数。単行本に『ト伝飄々』『恋の川、春の町』など。

「本の窓」2020年12月号掲載〉

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