佐野 晶『毒警官』
呑み会の天使たち
自宅のテーブルの上に、いかにも刷り立ての真新しい〝毒の事典〟めいた本があった。手にしてページをめくっていると、妻(実用書編集者)が「毒の本って売れるんだよ」と言いだしたもので、目の色が変わった。さらに妻が「みんな毒が好きなんだろうな」と分析。妻が作った本に興味のなかった私が、その本を手にとったのは、妻の言葉通り〝毒〟に惹かれてのことだった。
新作小説の企画を立てるべく、毒について調べ始めた。なんでもあり(痛痒痺悦快操苦死……)の毒の世界は奥深く面白い。多彩な毒を使って、家庭内に潜んで法の網で捕らえられない悪漢を(殺さず)懲らしめられないか、と考え始めた。ところが進まない。毒が万能過ぎて逆に障壁になった。担当編集の方に相談すると「その毒使いを警官にしたらどうですか」と即妙な答え。〝警官〟という縛りか! 目を開かれた。だが警官は家庭内の犯罪になかなかアクセスできない。そんな中、とある呑み会で交番勤務の男性警官を紹介された。相談すると、明確に答えてくださった。児童相談所と警官は連携する、と。フィクションも交えてこの設定を強化することで〝毒警官〟が成立した。勢いに乗って物語の細部を作り込んでいく。だが最大の逸話である毒のトリックに自信が持てない。グラグラと不安定だ。またも、とある呑み会で出会いがあった。隣り合った男性が、大手薬品会社の社員であり、毒の知識が豊富だったのだ。「こんな毒でこんな手法の小説を考えてるんですが」とぶつけると、率直な方で「いや、それは無理がある」とはっきりおっしゃる。「じゃ、ここをこう変えたら?」と質問を繰り返した。ふと気づくと友人宅で開かれた大人数での呑み会(コロナ寸前の幸せな時だ)の中、部屋の片隅で二人で延々一時間も話し込んでしまった。「殺すつもりなんでしょ?」「いや、殺さずにローレルジンチョウゲで痛めつけ……」などと物騒な言葉が飛び交った。その方に悪い噂が立たなければ良いが。
さらに毒警官の阿久津という男が強くなり過ぎて、臆病な私の常識を飛び越えた言動に走ってしまう。その毒々しさを容認し、フォローするのに苦心していた。とある Zoom 呑み会で、そうこぼすと、古い友人に「その阿久津ってのは、ヘベレケになったお前に似てる」と指摘された。ならば、と存分に阿久津を暴れさせた。すると、私の中の正体不明の鬱屈したものが浄化されたような気がした。作中の〝毒は薬になる〟を地でいった形だ。
いわば私の小説は〝とある呑み会〟で出会った天使たちに支えられているのである。ところが、この一年半、臆病者の私は外で呑んでいない。最初の頃は物珍しさで付き合ってもらえた Zoom 呑み会も飽きられた。
さらに恐ろしいことにコロナ禍が長引くと予想されている。どうすりゃいいんだ? なにしろ私はまたもや新作小説を構想中なんだ。天使たちの囁きがなきゃ、先に進めない!
佐野 晶(さの・あきら)
東京都中野区生まれ。会社勤務を経て映画ライターに。ノベライズ作品に『そして父になる』『三度目の殺人』『アルキメデスの大戦』『シグナル 長期未解決事件捜査班』など多数。『ゴースト アンド ポリス GAP』で、第1回警察小説大賞を満場一致で受賞しデビュー。本作『毒警官』が本格的長編第2作となる。
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『毒警官』
著/佐野 晶