三浦裕子『リングサイド』

三浦裕子『リングサイド』

熱くて真剣でおかしくて切ない


 台湾の若手作家、林育徳の『リングサイド』は、プロレスをめぐる10篇の連作短編小説。プロレスがとてもマイナーな娯楽である台湾で、プロレスにうっかり出会ってしまい、なぜか深く魅了されてしまった市井の人々のストーリーです。

 それぞれに語り手の異なる10篇の主人公は、ばあちゃんっ子の男子学生、夫とケンカして1泊だけ家出した若い妻、旅行会社をリストラされ人生の張り合いを失った初老の男性、Uターンしてインディーズプロレス団体を立ち上げる青年などなど。彼らの多くは、生活の中で、ひととき立ちすくんでいたり、何かの壁にぶつかったりしています。そんな時、プロレスと関わりができることによって、少しだけ人生を前に進めるのです。

 

 各短篇のひとつひとつは独立した話です。しかし読み進めていくにつれ、物語の間に少しずつ「繋がり」が現れてきます。そして先に読んだ1篇の新たな見え方が立ち上がってきます。『リングサイド』に出会って以来、翻訳、校正の過程で、30回くらい全編を通しで読んでいますが、読む度に、熱くて真剣でおかしくて切ないこの作品の味わいをかみしめています。

 著者は、国立東華大学大学院の創作コースで、『歩道橋の魔術師』『自転車泥棒』などで知られる小説家、呉明益氏に師事しました。本作品は、著者の大学院の卒業創作です。原書『擂台旁邊』(台湾・麥田出版)に収録の、呉明益さんによる推薦序文によると、呉さんは「創作のための思考練習」の一つとして、学生たちに「生活の中で体験した、あるいは見聞きしたできごとの中で、〝小説感〟のある断片を見つけること」を指導しているとのこと。

 著者も本作を書くにあたり、プロレスにまつわる〝小説感〟のある逸話や要素を、文献や記録の中だけでなく、実際に台湾でプロレスに関することが行われている現場に出向いて、膨大に収集したそうです。それらの断片が著者の中で発酵し、醸成されたのが、この『リングサイド』です。

 

 個人的には、本作は〝小説感〟のある作品であるとともに、読んでいて頭の中に映画のようなシーン(もちろん台湾映画です)が浮かぶ、〝映画感〟のある小説でもあると思います。また、作品のボリュームからすると、登場する人物の数がかなり多いですが(ストーリーに関わる主要な人物だけで40人以上!)、それぞれかなり個性が立っていて、リアルな人物として想像するのが楽しいです。

 翻訳する際には、原書の各短篇に充満する空気や、登場人物の持つ雰囲気を、なるべく生気の通ったものとして表現したかったので、各短篇に空気が似ていると感じる台湾映画や、登場人物の雰囲気に近いと思う台湾の俳優を、頭の中でイメージしながら訳しました。

 

 本作を手に取ってくださった方は、読んでみて、どんな風景、どんな人物が頭に浮かんだでしょうか?

 


 
三浦裕子(みうら・ゆうこ)
仙台生まれ。早稲田大学第一文学部人文専修卒業。出版社にて雑誌編集、国際版権業務に従事した後、2018年より台湾・香港の本を日本に紹介するユニット「太台本屋 tai-tai books」に参加。版権コーディネートのほか、本まわり、映画まわりの翻訳、記事執筆等をおこなう。

【好評発売中】

リングサイド

『リングサイド』
著/林 育徳 訳/三浦裕子

コロナ禍を経た2021年。いま読むべきディストピア小説3選
スピリチュアル探偵 第19回