新刊『リングサイド』収録▷「ばあちゃんのエメラルド」まるごとためし読み!
本当に俺にプロレスの話を聞きたい? だとすると、ばあちゃんの話から始めなきゃいけないな。
でも、約束してくれ。俺に、プロレスは〝芝居〟なのか?って、絶対に聞かないでくれよ。
ばあちゃんはいっつも、自分の小さな部屋に籠もってテレビを観ていた。小さい頃の俺も、ばあちゃんと一緒に一晩中テレビを観ていた。いや実際は一晩中ってわけじゃなく、九時か十時になるとばあちゃんは、明日も学校があるだろとかなんとか言って俺を部屋から追い出した。
ばあちゃんだって完全に家に閉じ籠もっていたわけじゃない。ばあちゃんが毎朝何時に起きているのか、じつは今でも知らないけど、朝起きるとまず近くの廟に行って、近所のじいちゃんやばあちゃんたちのダンスの隊列に加わっていた。午後、天気が悪くなければ、散歩するついでに近くの小学校まで俺を迎えにきて一緒に家に帰った。あの頃、来福は生まれたばかりだった。
この辺は少し早送りするよ。中学校に上がって、お袋が出て行った頃の話はあんまりしたくないからな。
ちょっと背景だけ補足しておく。この辺は海に面した漁村で、同級生が十人いたら少なくとも七、八人の父親は、台湾から遠く遠く離れた漁船の上で働いていた。それが次第に五、六人になり、三、四人になり、最後は一人二人になった。なんでかって? 台湾人は高いだろう? 外国人の乗組員なら、安くて聞き分けもいいし、休みをくれとボスと交渉したりしないからな。幸い、うちの親父が乗った船の船長は、親父を村に追い返してタコみたいに自分で自分の身を食わせたりしないくらいには、まだ侠気があった。数年前にクビになって家に戻ってきた同級生の父親たちは、一人二人三人四人とみんな酒びたりになっていき、女房が逃げ出すなんていうのはもう珍しくもないことだし、子供たちだって逃げられるやつは全部逃げていた。うちの親父はまだ船に乗っていたけど、それでも女房は逃げ出したから、結果としてはまぁ同じようなもんだけど。
船から降りて、お袋が逃げてしまっているのを知ったあの日、親父は何も言わず、思いっきり来福を蹴飛ばした。あの頃、来福はもうこの辺り一帯の犬の王様で、喧嘩では一度も負けたことがなかったけど、親父に玄関から蹴り出され、大きな黒い鞠みたいになって飛んでゆき、尻尾を尻に挟んで逃げ出した。帰って来たのは一週間後だ。父親はまた海に出かける前に言い捨てた。犬だって、逃げても帰ってくるのによ。
こうしてうちは俺と来福、そして小さな部屋に籠もってテレビばかり観ているばあちゃんだけになった。
じいちゃんはどうしたかって? 俺が生まれるずっと前に位牌になって、ご先祖様たちと一緒に神棚に住んでるさ。じいちゃんには毎日二回、お香をお供えした。朝はばあちゃんが、夕方はもちろん俺だ。来福の手を煩わせるまでもないさ。
八時のドラマ以外で、ばあちゃんが好きな番組は日本のプロレスだった。
ちょっと恥ずかしいんだけど、こうやって君と知り合って、俺がプロレスについて少しは詳しいと思ってくれてるんだったら、それは子供の頃、毎日ばあちゃんとプロレスを観ていたからだよ。あのことわざ、何て言ったっけ? そうだ、「朱に交われば赤くなる」だ。そうやって俺はプロレスに染まっていったわけさ。
だけど、プロレス好きっていうのは、誰にでも共感してもらえる趣味じゃないんだよな。君は前の晩に観たテレビ番組のことを、次の日の学校で同級生とあれこれしゃべるのを楽しみにしてた世代? だよな? でも、みんなが観てたのはだいたいアメリカのプロレスなんだよ。日本のプロレスが好きだって言うだけでも十分マイノリティーなのに、ばあちゃんと一緒に観てたなんてみんなに知られたら、間違いなくその日の放課後までずっと笑われ続けるだろうよ。いや、ヘタすると卒業までずっと笑われ続けたかもな。
でも、ばあちゃんはほんとに真面目にプロレスを観ていたんだよ。
もちろん、再放送ばっかりやって、ちっとも新しい試合を放映しないXチャンネルに文句を言うこともあったけど、後のほうになると、ばあちゃん自身ちょっとボケてきたから、やっぱりうれしそうに観続けていた。反対に、俺は成長するにつれて物事がよくわかってきた。まったく、Xチャンネルってのはいいかげんなテレビ局だぜ。
ネットというものがあってよかったよ。「プロレス博物館」っていう掲示板を知ってる? 台湾中のプロレスファンがアクセスするところだ。俺みたいな日本プロレスのファンのほか、数も多くて声も大きいアメリカン・プロレスのファンたちや、マイナーなメキシコのプロレスのファンまで、そこに行けば必ず同好の士が見つかるんだ。台湾ローカルのプロレス団体の討論区だってあるよ。俺自身は興味ないけどさ。
プロレス博物館にアクセスして初めて知ったんだけれど、俺がいつもばあちゃんと一緒に観るXチャンネルで放映しているのは、ほとんどが恐ろしく昔の試合だった。日本のプロレス団体が台湾に興行に来ることがあるだろう? そういう時、選手たちは、夜、ホテルのテレビでXチャンネルに釘付けだそうだ。だって、古すぎて日本ではもう観られない試合ばかりやってるからな。ハハハ。
俺の周りでも、ネット上でも、プロレスファンと言えばアメリカン・プロレスの愛好者が大部分だったけど、俺はやっぱりアメリカン・プロレスのおおげさなスタイルが気に入らなかった。選手が怪我しないように、派手な技の多くが禁止されてるし、設定だって、八時のメロドラマよりもベタだろ? 日本プロレスの肉体と肉体のぶつかり合いには遠く及ばないさ! 俺はアメリカン・プロレスファンと掲示板でしょっちゅう議論したよ。俺に言わせれば、日本のプロレスこそ理想のプロレスだ。でもしょせん数の上ではアメリカン・プロレスファンに敵わないから、俺はよく言い負かされていた。
大学に上がる夏休み……って、ちょっと説明が必要だよな。あ、笑ってるな? 俺のこんな成績で大学に入れたのかって? 俺だって驚いたよ。
俺の村からそう遠くない隣の村にある技術学院に入ったんだ。俺だって、受験申込書を書くときに初めて名前を知ったような学校さ。でも合格通知と新入生資料セット、合計二回も、繰り返し強調して書かれていたよ。この学校はまもなく「学院」から「大学」に昇格します、絶対に、必ず、って。
まあ、その学校に行けば、俺は実家に住み続けることができるし、引き続きばあちゃんと来福の面倒を見ることができる。卒業後、何をするかはとりあえず考えていなかった。少なくとも絶対に海には出ないけどな。今は兵役も四か月間に短縮されたから、夏休みを二回使って済ませればいいだろう。技術学院の学生になれて──まあ、俺たちは大学生って名乗ってたけど──、ばあちゃんはたんまりお祝いをくれた。船を降りた親父は、俺に初めてのスクーターを買ってくれた。本当は高校の時から親父のスクーターをこっそり乗り回していたけれども、とにかくこれが人生で初めての俺のスクーターだ。サイコーだぜ。
『リングサイド』
著/林 育徳 訳/三浦裕子
林 育徳(リン・ユゥダー)
1988年台湾・花蓮生まれ。プロレスファン。花蓮高校卒業後3つの大学を転々とし、6年かけて卒業。東華大学華文文学研究所(大学院)で、呉明益氏に師事。中学時代から詩作を中心に創作活動を展開し、全国学生文学賞、中央大学金筆賞、東華大学文学賞、花蓮文学賞、海洋文学賞など受賞歴多数。『リングサイド』収録の短編《阿嬤的綠寶石》(ばあちゃんのエメラルド)で、2016年第18回台北文学賞小説部門大賞受賞。『リングサイド』(原題:擂台旁邊)は大学院の卒業制作。現在も花蓮在住。
三浦裕子(みうら・ゆうこ)
仙台生まれ。早稲田大学第一文学部人文専修卒業。出版社にて雑誌編集、国際版権業務に従事した後、2018年より台湾・香港の本を日本に紹介するユニット「太台本屋 tai-tai books」に参加。版権コーディネートのほか、本まわり、映画まわりの翻訳、記事執筆等をおこなう。