水沢秋生『山田太郎の話』

山田太郎のこと
最初に「山田太郎」のことを認識したのは、小学校に入ったぐらいの頃であっただろうか。銀行や役所には、かなりの確率で彼のサインがあったのだ。提出書類の「みほん」の欄の話である。
この山田太郎という人は、いったいどんな人なのだろうか。「みほん」になるぐらいなのだから、非常に立派な人物かもしれない。高潔な行いが似合うような、それこそ、世の中の「みほん」のような人かもしれない。
そう思ったりもしたのだが、しかし「山田太郎」という字面をじっと眺めてみても、どうも、そういう立派な、高潔な感じはしてこない。むしろ、そんなに目立つことのない、平均的で、これといった特徴のない人のような気がする。なんというか、そのほうが「山田太郎」らしい。
ただ、人間である以上、「平均的で特徴のない人」などというものは存在しない。どんな人だって、どこかが飛び出し、どこかが欠けている。あるいは、本人はごく普通のつもりでも、傍からみるとものすごく変わった部分があったりする。知り合いで、「バドミントン」のことを「ミントン」と略す男がいるが、本人はずっとそれこそが普通だと思っている。何度も「それは変である」と指摘したが、一向に聞く耳を持たない。私のことで言えば、肉まんにはソースをつける。これも「普通」ではないだろう。もっと言うと、私は大阪の人だが、お好み焼きでお米は食べない。これは普通なのかどうなのか。
そんなことを考えながら『山田太郎の話』という小説を書いた。
この山田太郎は、なんだか変な男である。賢いのか馬鹿なのか、真面目なのかふざけているのか、いまいちはっきりしない。見た目もよくない。キリッともシュッともスラリともしていない。じゃがいものような、何を考えているのかわからない顔をしている。いわゆる「いいやつ」かと問われても、もちろん悪いやつではないのだが、ちょっと即答できないところがある。そんな男であるから、超人的な活躍をするわけでもないし、悪漢を痛快に撃退したり、難事件を解決したりもしない。
ただ、なかなか愉快な人物であることに間違いはない。一緒にいると、なんというか、ちょっとおおらかな気持ちになれる。印象に残る同級生のように、ときどき、「あいつ今、どうしてるかな」などと思ったりもする。
自分が書いた小説なのだから、この山田太郎は私が創造した、ということになるのだが、彼に関してはどうもそんな感じがしない。気が付いたら横に座っていた、というほうが近い。
重ねて言うが、なかなか愉快な男である。縁があれば、ぜひ山田太郎と知り合ってほしい。
『山田太郎の話』は、どこにでもいるような普通の人であると同時に、たったひとりしかいない人の話である。要するに、私やあなたの話である。
水沢秋生(みずさわ・あきお)
2011年『ゴールデンラッキービートルの伝説』で、第7回新潮エンターテインメント賞を受賞しデビュー。その他著書に『ミライヲウム』『君が眠りにつくまえに』などがある




