小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第10話

小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第10話
ある人の、ある恋の、ある時のこと。

 第10話 
むなしいから


 星野さんのシングルベッドに入ろうとすると「裸になってから入るように」と星野さんは指示を出す。まだここにやってきて数分しかたっていない昼の光のさす部屋で、急に裸になれと言われても、と私がもじもじしていると、星野さんはうすっぺらい布団から瞳をのぞかせ私をにらむ。耳の先が熱くなるのを感じながら私はニットも下着も花柄もばらばらと脱いでベッドに入る。抱き合うと、星野さんのぺらぺらの裸を感じる。肋骨のあたりには皮膚だけがかぶさって、ばねをなぞっているみたいな心地がする。もっと太ればいいのに、と思うけれど、星野さんは案外ぺらぺらの体を気に入っているらしい。星野さんの家は狭い路地にぽつんとあるアパートの小さなワンルームで、シングルベッドがひとつ、ぐらぐら揺れるローテーブルがひとつ、シルバーラックがふたつ置いてある。シルバーラックには青色の瓶に入っている香水が置いてある。星野さんがシャワーなどを浴びている隙に嗅いでみると、星野さんの匂いがする。きらいな匂いだ。でも、星野さんの匂いだ。星野さんは顔が長くて大きくて顎が少ししゃくれていて鼻がとっても大きくて、ぶしつけな男である。はじめてこの部屋に私がきた夜も、ベッドに入っておしゃべりをしていたら「やるか、寝るか」とひとこと言ったきり黙ってしまった。私はもちろん驚いて頰を赤くするばかり、やるとも寝るとも言えないままでふたりはとうとう眠りについた。朝になって目を覚ました星野さんは台所に立ち、ツナトーストを作ってくれた。私はツナが苦手だけれど、起き抜けに食べたツナトーストにはふしぎなおいしさがあった。

「春、お腹がちょっと出ちゃってさ。それに気づいてからは毎晩、湯豆腐しか食べなかった。そうやって、おれも努力をしているんだよ」

 セックスとセックスの合間に、星野さんはそういうことを話す。浅いねむりとセックスを繰り返しているうちに日が暮れる。携帯電話の光がピンスポットライトみたいに星野さんの大きな鼻を照らしている。

 夜になると星野さんは深いねむりについたので、私は音もなくベッドから出て、音もなく服を着て、音もなく外に出る。誰かと一緒にいたあとの散歩はさらさらとしてきもちがいい。星よりも車のヘッドライトがするどく光る東京の端っこで、一駅先にある私の家まで歩いて帰る。服の袖から、青い瓶に入った香水の匂いがする。困るな。でも、星野さんの匂いだ。大通りを走る車の音をかき消すようにイヤフォンをつけて音楽を流す。いきなり音楽が止まって、着信が入る。星野さんである。

「なんでだまってかえるんだ」

「寝てたから」

「寝てたってふつうはかえらない」

「うーん」

「かえってきなさい」

「なんでですか」

「なんでですかじゃないよ、ゆるさないよ」

「ゆるしてくださいよ」

「ゆるしません」

 ゆるされたいので、引きかえす。

 星野さんの部屋のピンポンを押すと、舌打ちとともにTシャツと半パン姿の星野さんが顔を出した。星野さんの舌打ち連打は止まらない。なにがしの鳥みたいですね、と言ったら殴られそうになったので星野さんの小さな部屋の中を逃げ回る。星野さんは舌打ちをやめて、シングルベッドに腰掛ける。

「おまえは床に座りなさい」星野さんは言う。

 大きな舌打ちをひとつしてから床に座ると、また殴られそうになった。ベッドに腰掛けた星野さんを、体育座りで私は見上げる。

「おまえって呼ぶのやめてください」

「おれの、好きにする」

 まあそうか、と思って見上げるのをやめる。よっこら立ち上がり、星野さんの隣に座りなおす。ベッドは軋む。星野さんがなにか言おうとしているのを遮って「私の好きにします」と言ってみる。星野さんは口籠もる。口籠もっている星野さんのつめたい指に指を絡ませる。星野さんの指と私の指は何度からませてみてもよく馴染まない。星野さんの短いわりにごつごつとした指がふしぎで馴染まない。長い割に柔らかい私の指とは馴染まない。ここちわるい、と心の底のほうでつぶやきながら、指を指に絡ませつづける。 

 


小原 晩(おばら・ばん)
1996年、東京生まれ。2022年、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。独立系書店を中心に話題を呼び、青山ブックセンター本店では、2022年文芸年間ランキング1位を獲得した。その他著書に、初の商業出版作品として23年9月に『これが生活なのかしらん』を大和書房から刊行。

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