小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第6話

小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第6話
ある人の、ある恋の、ある時のこと。

 第6話 
熱い紅茶をほっといて


 のって、と言われるので、あなたの上にのる。

 あなたの上にのる、というのは、ベッドに仰向けになっているあなたにぴったり重なるように、うつぶせの私がまるでお布団のように、のる、のである。あなたの膝のすぐ下に、私の膝がくる。あなたの鎖骨のくぼみあたりに、私の頬骨がうまる。あなたはなまあたたかい。私より、すこし熱い。息をすれば胸から腹にかけてが柔らかくもりあがったり、柔らかくへこんだりする。

 ねえこれって、と声にしてみると、しっ、とあなたは言って、私を黙らせる。

 せっかくあなたが手土産に持ってきた紅茶を淹れたのに。

 これは良い紅茶なんだよ、とあなたが言うから、ポットとカップをきちんと温めてから、ちいさなスプーン二杯分の茶葉をいれて、沸騰したお湯をそそいで、茶葉を踊らせ、すぐにふたを閉め、むらして、熱い紅茶を淹れたのに。ソーサーまでだしてきたのに。ちいさな部屋は、花の匂いに満ちている。良い紅茶ってこんなに花の匂いがするんだね、としゃべりだしたいけれど、あなたはまだまだ私に黙っていて欲しそうだから、口を閉じる。

 すこしだけ顔を浮かせてあなたに視線をやる。あなたはまぶたを閉じて、うっすらほほえんでいる。顔を浮かせたことに気づいたあなたは、私の首のうしろのあたりをやさしくもって、また鎖骨へとひきよせる。

 しゃべれないぶん、手でも動かしてみようとあなたの肋骨あたりから腰のあたりまでを右の手のひらでゆっくりなぞる。その手もあなたにすぐつかまって、元いた場所に戻される。

 他にすきなやつでもできた? いきなり、あなたは聞いた。

 どうして。私は聞き返す。

 いいんだ、それならそれで。

 私は顔を浮かしてあなたの顔をみる。するとあなたの手がやってきて、鎖骨の上に戻される。ちらと見えたあなたのまぶたは閉じていて、やっぱりうっすらほほえんでいた。

 それならそれで、いいの。私は聞く。

 うん、いいんだよ。あなたは答えて、私の背中をさらさら撫でる。

 もうのるのをやめようと体勢をくずすけれど、あなたはすかさず手を巻きつけてはなさない。腹が立って、あなたの横っ腹をぽこぽこ殴る。

 他にすきなやつができたのはあなたでしょう。そう言って、ぽこぽこ殴る。

 あなたはひどくつよい力で私をはなさない。からだはより熱をおびて、あつくるしい。腹が立つ。ぽこぽこ殴る。

 僕のは、そういうんじゃない。あなたが言う。

 でも、君のはそういうんだろう。つづけて、言う。

 私はぽこぽこ殴るのをやめて、からだの力をぬいた。すると、あなたは手をほどいたので、私はするりと解放された。あなたの横にばたんと落ちる。天井をじっとみる。

 良い紅茶ってこんなに花の匂いがするんだね。と私はつぶやいた。

 紅茶なんかどうだっていいだろ。ぶっきらぼうに、あなたは言う。あなたがぶっきらぼうになるのは、すごくひさしぶりのことだ。ぶっきらぼうにされると、すこし惜しくなる。なまあたたかいあなたを取り戻したくなる。

 のって。私は言う。

 いやだ。あなたは拒否する。

 いいから、のって。おねがい。

 あなたはちいさく息をはいて、じゃあ、と私の上にのる。あなたの体がずっしりとのる。ゆっくりつぶされているような感じだ。

 重いだろ、あなたが言うので、しっ、と言い返す。

 上にのっているときには気にならなかったのに、肋骨と肋骨があたって痛い。息と息が互いのお腹でぶつかる。

 く、くるしい。私が言うと、あなたはすぐに降りた。

 ほらね、君は我慢が足りないんだ。あなたは言う。わらっているような声で言う。

 私だって、我慢してきたわよっ。腹が立って、となりで仰向けになっているあなたをぽこぽこ殴る。こういうところが我慢が足りないのかもしれない、と思いながらぽこぽこ殴る。やがてつかれて、殴りやめる。

 すきなやつ、っていうのはいない。私は言う。

 あっそう。あなたは言う。

 でも、あなたの言うとおり。

 うん、わかってる。そう言って、あなたは私の横腹をぽこぽこ殴る。ぽこぽこ殴られたところで、まったく痛くない。殴るあなたの手をつかんで、元いた場所にゆっくり戻す。あなたは抵抗しない。

 私は体を起こして、ベッドを降りる。それからテーブルの上のカップをふたつとって、ひとつをあなたに渡す。あなたは紅茶をうけとって、ポカリみたいにごくごく飲む。

 冷めてもおいしいね。あなたは、明るく言う。

 でも、熱いうちにのまないと。いちばんおいしい温度っていうのが、紅茶にはあるんだよ。せっかくの、良い紅茶なんだから。冷めた紅茶をすすりながら、私は思う。  花の匂いのする紅茶は冷めても花の匂いのする紅茶のまま、すっきりとした飲みごこちがした。けれど、やっぱり私は、おおきなグラスにたっぷりの氷をいれて花の匂いのするつめたい紅茶をがぶがぶ飲みたい。

 


小原 晩(おばら・ばん)
1996年、東京生まれ。2022年、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。独立系書店を中心に話題を呼び、青山ブックセンター本店では、2022年文芸年間ランキング1位を獲得した。その他著書に、初の商業出版作品として23年9月に『これが生活なのかしらん』を大和書房から刊行。

高橋尚子『葬られた本の守り人』
週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.148 ブックファースト練馬店 林 香公子さん