小泉綾子『無敵の犬の夜』◆熱血新刊インタビュー◆
愚かさの効用
北九州で祖母と妹とともに暮らす中学生の五島界は、幼い頃の事故で右手の小指を全部、薬指を半分失った。そんな自分は「普通」ではないという自意識がこじれて不登校となり、ファミレスで中途半端な不良たちとつるむ日々を送る。そこに現れたのが、地元の工業高校に通うバリおしゃれでイケてる先輩、橘さんだ。〈「お前、このままでいいん?」。/いいわけないっす、と俺は答えた。(中略)重ね着なんかしてる人物を生まれて初めて見た。俺はただ圧倒されていた〉。界は橘さんに心酔し、行動を共にすることで、かすかに自分を変えていく。
『無敵の犬の夜』は、シスターフッド全盛の文芸界では珍しい、ブラザーフッドの物語だ。ジェンダーを巡る世の中の変化は歓迎しつつも、作家はこう語る。
「男同士の物語が大好きなんです。その人のためなら死ねるみたいな忠誠心って、女性で描くのは難しい気がします。例えば、会社のために死ぬみたいなことを言う人は、女性ではあまり見たことがありません。でも、男の人の中には、今でも意外といますよね」
物語は、「東京にはさ、可能性を感じるんよね」と言う橘さんが、〝向こう〟で女絡みのトラブルを起こしたことから大きく動き出す。自分は命を狙われている、と橘さんさんが言い出したのだ。一連のあまりにダサい言動を前にしても、界は失望しきれない。そして──俺がそいつを殺す。誰もが訝しむ、愚かな行動に打って出る。
「界のイメージは、映画の『仁義なき戦い』に出てくる鉄砲玉役の若いヤクザとか、1990年代のバットエンド多めだったミニシアター系映画の主人公たちです。人生がうまくいかずに暴走してしまって、当たって砕けて死ぬ。花火を一発、打ち上げて終わる。そうせざるを得ない衝動を持った人たちは、見ていて切なくて好きなんです」
自分自身がそうだったからかもしれない、と言う。
「若い頃は自意識をこじらせまくって、暴走気味でした。その暴走を止めるきっかけになったのは、私にとっては結婚したことだったんですね。じゃあ、他の人にとっては何なのか。暴走し続けている人はあまりいないじゃないですか。ということは、自分という厄介な存在とどこかでみんな、何かしらの折り合いをつけている。この小説では、界が暴走する様子も書くと同時に、暴走に決着を付ける姿を書きたかった」
北九州のホテルに籠もり5日で一気に書き上げた
北九州、という舞台選びが効いている。作家は東京出身だが、10代の頃住んでいたのだという。
「14歳の時、北九州市に隣接する大分の田舎町に住んでいたんです。土地柄も荒っぽかったですしヤンキーもたくさんいて、例えば学校の先生が生徒を殴るようなことも当たり前にありました。引っ越してきて一番のカルチャーショックは、東京への憧れ方です。中学校の教室で〝東京ってお弁当屋さんあるの?〟という謎の質問を毎日されていました。どうしてないと思うの、と。文化祭で東京の模型を作るとか、そういうレベルの強烈な憧れがあるんです」
その憧れは、単純に否定すべきものではない。小説の序盤では、「デカい夢とかないん?」と橘さんに聞かれて界は「考えたことないっす」と語っていた。地の文でも、その言葉を裏打ちする心境が記されていたのだ。しかし、最終盤では〈本当は誰にも書けないくらいにデカい夢を持っとるくせに、「それ」のことを誰かに笑われないかって、いつまでも気にしてビクビクしとるけん〉というモノローグが記録されている。橘さんと共に過ごした時間の中で、「デカい夢」が芽生えたと想像できる。
「自分の中には、田舎でああいうふうに威張っている橘さんみたいな人は、空っぽだという確信があります。そういう人に、私自身も結構騙されてきたんですよね。この先輩かっこいい、めっちゃカルチャーに詳しいと思ってワーッと食いついていったら、痛い目にあいました。でも、夢にはどういうバリエーションがあるのかを教えてくれて、自分を今いる世界の外に引っ張り出してくれたのも、そういう先輩だったんです」
実は作家自身は、さまざまな夢のバリエーションがある中で、最初に選び取ったのは映画監督になることだった。
「とにかく映画が好きだったので、九州から上京して、東京の映画の専門学校に入ったんです。〝1年のカリキュラムをこなせば映画監督になれる!〟と勝手に思い込んでいたんですが、普通に卒業して、普通に東京でバイト生活を続けました(笑)。音楽も好きだから次はレコード屋になろうかなと思って、神保町にあるクラシックの老舗のレコード屋でバイトしていたんです。店長のおじいちゃんと、店で働いている幼馴染みのおじいちゃんの喧嘩の声がうるさいから、爆音でレコードを毎日7時間かけていたんですよ。そうしたらある日、第三の目みたいなものがバッと開いて〝小説書ける!〟という気になって、お茶の水のスターバックスで書き始めたのが、人生でほぼ初めて書いた小説でした」
完成させた小説「うれしげ」は、「九州を舞台に、メルカリで自分のチェキを売りまくる女子高生の恋愛の話です」。知人の勧めで文藝賞に応募し、最終候補にまで残った。次に書いた小説「あの子なら死んだよ」で、第8回(2022年度)林芙美子文学賞佳作を受賞した。こちらは東京のど真ん中に暮らす女子高生の話だ。今回の主人公が男性、しかも男子中学生となったことは、大きな変化だったように感じられるが。
「実は、はっきりしたきっかけがあるんです。『孤狼の血 LEVEL2』(2021年)という映画を劇場に観に行ったら、好きすぎて3回続けて観たんです。〝『仁義なき戦い』みたいな世界は令和でも表現できるんだ!〟とショックを受けてパニックで、自分も何かできないかなとなってすぐ北九州に行ったんですよ。治安の悪さで有名な街のホテルに泊まり、昼間は街をぶらぶらしながら、5日で一気に書き上げたのが『無敵の犬の夜』の初稿でした。界はその映画の村上虹郎さん、橘さんは斎藤工さんのイメージなんです」
まさか、そこまでヤクザ映画との親和性が高い作品だったとは! もしかして、界の指がないという設定も……。
「もちろん任侠映画の影響です(笑)」
人は愚かさがなければ上にも外にも行けない
本作の主人公は、特に後半以降は、徹底的に愚かだ。しかし、彼を嘲笑うようにして読んでいると、徐々にその感覚が別のものとなっていく。なぜならその愚かさこそが、彼という存在を変えていくからだ。
「田舎の人は近くの、みんなのことをすごく気にするから、〝あいつは大学落ちた〟とか〝誰々に告白して振られた〟という話がすぐに広まります。そうすると、噂になるのもイヤだし痛い目を見たくないから、無難な選択で落ち着いてしまう。でも、自分は人と違うんだとか、一旗上げるぞ、絶対成功してやるみたいな愚かさがなければ、ドンキに行ってカラオケに行って……の繰り返しで、上に行けないし外にも出られないと思うんです」
それと同じようなことが、ネットを介して今の社会全体で起こっている。
「毎日起こる炎上案件を見ているとよく分かりますが、愚かな人を寄ってたかって叩くし、愚かさを許さないですよね。コスパという考え方が人生にも適用されていて、余計なことをして痛い目に遭うのは無駄だよね、と。自分らしく生きることは愚かで、周りに合わせるのが賢いとされている。でも、いろいろと無駄な失敗をして痛い目を見て生きてきた人のほうが、豊かな人間になれると思います」
そんな時代だからこそ、愚かな人たちをこれからも書く。愚かさによって彼らが何らかの変化を遂げ、自分という存在と決着を付ける姿をこれからも書き続けたいと作家は言う。
「結局は、自分が一番の敵だし味方なんですよね。みんなから〝おまえ、もう負けてるじゃん。ダメじゃん〟と言われても、自分が〝まだやれる〟と思えれば負けにはならない。それは愚かかもしれないけれど、生きていくうえでものすごく大事な感情だと思います」
「強くなったらもう誰も俺をバカにしない。恐れられ尊敬される世界。最高やん。きっといつか、もしかしたら」。北九州の片田舎。幼少期に右手の小指と薬指の半分を失った男子中学生・界は、学校へ行かず、地元の不良グループとファミレスでたむろする日々。その中で出会った「バリイケとる」男・橘さんに強烈に心酔していく。ある日、東京のラッパーとトラブルを起こしたという橘さんのため、ひとり東京へ向かうことを決意するが──。
小泉綾子(こいずみ・あやこ)
1985年、東京都生まれ。10代を九州で過ごす。2022年、「あの子なら死んだよ」で第8回林芙美子文学賞佳作受賞。2023年、「無敵の犬の夜」で第60回文藝賞受賞。