▽▷△超短編!大どんでん返しExcellent▼▶︎▲ 日野瑛太郎「上司ガチャ」

「大どんでん返し」Excellent第15話

 いつまでその合わない職場で働き続けるの?

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 自分がこのサービスを使う日が来るなんて——

 俺はスマホを握りしめながら、最後の一歩を踏み出すべきかどうか悩んでいた。

 いまの会社に就職をした半年前には、まさかここまで自分が追い詰められてしまうとは思っていなかった。

 就職活動での過酷な競争を経て、俺は無事にコグレの内定を勝ち取った。

 コグレは誰もが知っている大手飲料メーカーだ。東証プライム上場の優良企業で、年収は三十五歳で一千万円を軽々と超える。ホワイト企業であることでも有名で、時間外労働の時間は短く、福利厚生も充実していると評判だった。

 そんな優良企業に就職できた自分のことを、俺は勝ち組だと思っていた。

 あの男が上司になるまでは。

「おい、メール一本書くのに、どれだけ時間をかける気なんだ?」

「え……」

 入社直後の全体研修を終えた俺は、販促事業部に配属された。この会社では比較的花形といってよい部署だ。

 その部署で俺の上司になったのが沢端だった。

「さっき先方にメール送っとけって言ったよな」沢端がきつい口調で言った。「なんでまだ送ってねえんだよ」

「すみません……」 

 そうは言っても、沢端が俺にメールを送れと指示してきたのは、ほんの五分前のことだ。いまやっている資料作成の仕事が一段落したら、そのタイミングで送るつもりだった。

 釈明しようと口を開くと、沢端がそれを遮って言った。

「言い訳は聞きたくない。時間の無駄だ」

「…………」

「こうしてる間にも、会社はお前の給料を払ってるんだけどな」

「すみません、すぐに送ります」

 もう何度目だろう。こういったやりとりをするのは。

 沢端は事あるごとに、俺の行動を細かく管理してきた。いわゆるマイクロマネジメントというやつだ。少しでも彼の意に沿わない仕事の進め方をしようものなら、すぐに罵倒と嫌味が飛んでくる。俺はすっかり参ってしまっていた。

 沢端はクラッシャー上司として社内でも有名な人物だった。彼の下についた社員は、ほぼ例外なく半年以内に心を病んで辞めていくという。仕事自体はできる男なので、会社は彼を放任していた。家族はなく、趣味は仕事のみ。そんな仕事マシーンのような人物の下で働くのは、俺にはあまりにもつらすぎた。

 せっかく優良企業に入れたのに、上司ガチャで失敗した——

 こうなったらもう、環境を変えるしかない。

 このサービスの存在を知ったのはそんな時だ。

 会社に自分で連絡しなくても、超簡単に円満退社ができちゃいます——

 そうだ、これを使えばいいんだ。そうすれば簡単に楽になれる。

 俺は意を決して、そのサービスの相談窓口にLINEを送った。

  

「おはようございます!」

 翌日、始業時間の五分前に俺は意気揚々と出社した。

 心は晴れやかだった。これでもう、沢端のことで悩むことはない。環境は変わったのだ

 その日、沢端は出社してこなかった。騒ぎが始まったのは午後になってからだ。

「なあ、聞いたか」斜め向かいの席の同僚が俺に話しかけてきた。「沢端さんが、退職代行を使って会社を辞めたらしい」

「えっ!」

 大げさに驚いてみせたが、俺はもちろん、そのことを知っていた。沢端だと身分を偽って退職代行を使ったのは自分だからだ。

「驚いたな……。でも、変わった人だったからね」

 沢端の遺体は、昨日のうちに長野の山奥に埋めておいた。だから間違っても彼が出社してくる心配はない。

 彼には家族もいないそうだから、騒ぎ出す人もいないだろう。

 あとは新しい上司が、沢端みたいな嫌なやつじゃなければいいのだが。

 どうか今度の上司ガチャは当たりますように——

 俺は密かにそう祈った。

   


日野瑛太郎(ひの・えいたろう)
1985年茨城県生まれ。東京大学大学院工学系研究科修士課程修了。第67回、第68回、第69回江戸川乱歩賞最終候補を経て「フェイク・マッスル」で第70回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。

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