関口英子『オリーヴァ・デナーロ』

少女オリーヴァが放つ心の叫び
本書は、女性に生まれただけで刑を宣告されたのも同然だった時代に、社会にまかり通る不条理に声をあげ、自らの手で選んだ道へと歩み出す一人の少女の姿を描いた物語だ。オリーヴァ・デナーロは、とりたてて意識が高いわけでも、政治に関心があるわけでもない。どちらかといえば引っ込み思案で、なにを望んでいるかと尋ねられてもうまく言葉にできない。そんな、どこにでもいそうな少女が、16歳の誕生日に自分の身に降りかかったおぞましい出来事を経て、やむにやまれず「NO」という言葉を口にする。はじめはおそるおそるだったが、それはやがてとどめておくことのできない叫びとなる。
舞台は1960年代のシチリアの小村。当時のイタリア刑法には、性暴力の加害者は(たとえ相手が未成年だろうと)被害者との婚姻を申し出れば罪を免れると明記されていた。結婚という最低限の自己決定権すらも持たなかった女性たちにとって、「NO」と口にすることは、自分だけでなく、親やきょうだいにまで多大な犠牲を強いることを意味していた。
原著者のヴィオラ・アルドーネ(Viola Ardone)は、この物語を書くにあたり、自身の名前のアナグラムにあたる、Oliva Denaroをヒロイン名として選んでいる。「オリーヴァの闘いは私自身の闘いでもあり、すべての女性の闘いでもあるからだ」とその理由を述べているが、実際、あたかも主人公が著者に乗り移ったかのような解像度の高い心情描写やリアリティーのある細部に圧倒される。
時代とともに人々の意識は変化し、法の整備も進んできたが、その底流にあるのはいつも、二進も三進もいかなくなった女性たちの、一人の人間としての尊厳をかけた切実な声なのだということを、オリーヴァの物語は教えてくれると同時に、性暴力にまつわるニュースが毎日のように世間をにぎわす現代の日本を生きる私たちとも重なる普遍性を持っている。
アルドーネの長篇小説を訳すのは、『「幸せの列車」に乗せられた少年』(河出書房新社)に続いて2作目となるが、歴史の潮流からこぼれ落ちてしまう市井の子供たちに光を当て、彼ら・彼女らの小さな日常を丁寧に紡いでいくことによって、背景にある戦後のイタリア社会の歪みや闇を浮かびあがらせるというスタイルは、両者に共通している。世界的なヒット作を連発するようになってもなお、現役の高校の教師であり続け、ティーンを主人公とした自らの作品を通じて若い世代との対話を繰り返し、本を読む喜びを伝えていることもまた、この作家の魅力のひとつだろう。
関口英子(せきぐち・えいこ)
埼玉県生まれ。イタリア語翻訳家。2014年に『月を見つけたチャウラ ピランデッロ短篇集』で第1回須賀敦子翻訳賞を受賞。主な訳書にV・アルドーネ『「幸せの列車」に乗せられた少年』、G・ロダーリ『猫とともに去りぬ』、D・ブッツァーティ『神を見た犬』、G・マッツァリオール『弟は僕のヒーロー』、P・コニェッティ『帰れない山』、D・スタルノーネ『靴ひも』、D・ディ・ピエトラントニオ『戻ってきた娘』、共訳にT・ランノ『命をつないだ路面電車』など。