翻訳者は語る 関口英子さん
イタリアのごく普通の青年が書いたベストセラー・ノンフィクション『Mio fratello rincorre i dinosauri』。八月に刊行予定のその日本語版『弟は僕のヒーロー』を手がけたのは、児童文学者G・ロダーリの翻訳でも知られる関口英子さん。ダウン症候群の弟との生活を十九歳の等身大の言葉で描いた本書の魅力について聞いた。
〈『弟は僕のヒーロー』の魅力〉
原書を読んだ時、冒頭からぐいぐい引き込まれました。物語は著者の「僕」が、両親から「弟が生まれるよ」と知らされる場面から始まりますが、その喜びや戸惑いがストレートに描かれて、力のある物語だなと。
親の立場から子どもの障害を描いた作品はたくさんありますが、ある意味で親より身近な立場である兄弟の目線で、弟との暮らしやそこから生まれる感情を描いた点は新鮮でした。「僕」は思春期に入ると弟の存在に葛藤を抱きますが、皆その年頃には「家族の中の自分」と「外の世界の自分」が生まれ、葛藤しますよね。「僕」のそんな姿は、誰もが共感できるもののように思います。
両親もとてもいいんです。「僕」にとってカギとなる場面で登場して、答えではなく、答えのもう少し先の何かを示してくれる。親世代も学ぶところが多いと思います。著者と同じ若い世代にも、子育て世代にも、これから子どもを作ろうという若いカップルにも読んでほしい。「障害」というテーマを大きく超える、家族の物語であり兄弟の物語なんです。
〈イタリア人とユーモア〉
ユーモアこそが日常の困難を乗り超えていくパワーになる、悩んでも状況は変わらない、ならいっそ楽しんでしまえ、というメッセージに力を与えられます。
イタリア人は、アイロニーやユーモアをとても大切にしています。本作でも、「僕」が周囲からの弟への差別にどう対峙していいか迷っている時に、怒りではなくアイロニーで返すことを、父親と友人のやりとりを見て学んでいくシーンがあります。
怒りをストレートにぶつけても共感は生まれない、そこで効果があるのがアイロニーだと学ぶんですよね。
卒論の資料がデビュー作に
〈本作を訳してみて〉
原文が軽快なのでそのリズムを壊さないようにするのが、大変でもあり楽しくもありました。十九歳の著者の文体に従っていくことで、自分まで軽やかな人間になれたような(笑)。「僕」と、愛嬌のある弟のシーンは、コメディ映画の映像が浮かんでくるように楽しくて、笑いながら訳していました。
〈翻訳家になるまで〉
高校生の頃は、外に出たり大勢の人がいる所では頭痛がしてしまうようなタイプでした(笑)。語学は好きだったので、大学でイタリア語を専攻し、一年間イタリア留学もして、卒業後は派遣会社に登録してビジネス翻訳の仕事に携わりました。
当時すでにイタリアではアフリカからの外国人労働者の流入が社会問題になっていて、それが私の卒論のテーマでもありました。その時に集めた資料の中に、不法滞在者であるチュニジア人の手記があって。そこに描かれていたイタリアは、当時イタリアブームだった日本で知られている姿とは、全く違うものでした。日本人もこのことを知るべきだと思い、全文を訳して無謀にも出版社に送りつけたんです。それが『イタリアの外国人労働者』というデビュー作となりました。
〈翻訳家としての転機〉
光文社古典新訳文庫のロダーリの『猫とともに去りぬ』の翻訳が転機でしょうか。実は、大学時代にA・モラヴィアの長編小説で挫折したトラウマから「私に文学は苦手」と思い込んでいました。その後、子どもが生まれたこともあり、絵本や児童書の翻訳から少しずつ始めて、コンスタントに翻訳書が出せるようになった頃、私の大好きなロダーリが創刊のラインナップに加わることになったんです。結果的に個性的な選書として注目されました。
〈海外文学の魅力とは?〉
悩みにぶつかったときに、立ち向かい方がその国によってそれぞれ違うことに気づかされますよね。そうするともし悩んでも、実はそれが自分だけのせいではない、社会のシステムにも問題があると気づけて、自分が強くなれる。そんなところも魅力だと思います。
(構成/皆川裕子)