映画『弟は僕のヒーロー』公開記念◈イタリア × 日本 人気作家特別対談 vol.1

映画『弟は僕のヒーロー』公開記念 特別対談「だれも言葉に出来なかったことを書くということ」vol.1

 絶賛公開中のイタリア映画『弟は僕のヒーロー』。同名の原作(関口英子訳)は、ダウン症を持つ弟ジョヴァンニと家族との10年以上にわたる日々を、19歳(執筆当時)の感性で軽やかにユーモラスに描いたエッセイです。その著者ジャコモ・マッツァリオールさんが、映画公開を記念して緊急来日。本書の解説を担当した作家・岸田奈美さんとの夢の日伊対談が実現しました!
『弟は僕のヒーロー』は、連続ドラマ化もして大きな話題となった岸田さんの著書『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』と重なる部分もあり、対談前からお互いの文章を読んで通じ合うものがあったふたり。弟さんのこと、世の中のこと、書くということ……初対面とは思えない深い対談となりました。


弟を通して学んだ、「違い」こそ本当の「豊かさ」

――おふたりともご自身と家族の日々をエッセイ本にしています。そのきっかけは?

ジャコモ・マッツァリオール(以下、ジャコモ)
 きっかけは弟のジョー(ジョヴァンニ)と一緒にショートムービーを撮ってYouTubeで配信したこと。世間に流布しているダウン症に対する偏見を、クリエイティブな方向でひっくり返したいっていう思いで撮って、それがバズったというわけです。それがきっかけで、出版社から本を書かないかとオファーがあったんですね。そのときに、君は一人称で書いてほしいと。で、作家さんがついてくれてアドバイスをもらうことになったんですけど、最初は、自分に語り得る物語があるのかなって不安もあって、僕にとって大きなチャレンジでした。でも書き始めたら、いかに自分のなかに、弟についてのいろんな物語があったのかに気づきました。本を書くということは、家族や自分自身を裸にする行為でもあるわけだけど、編集者をはじめ、支えてくれた人たちに全幅の信頼をおいていたことと、若かったこともあって人生に対してポジティブで、とにかく弟のことを語れる喜びに身を任せたっていう感じでした。

岸田奈美(以下、岸田)
 私は、YouTubeではなく、ブログがバズったからなんですね。そのブログには、家族とか自分の身に降りかかったトラブルを書くことが多くて。似てるなと思ったのは、私は『弟は僕のヒーロー』の7章で、スーパーでジョヴァンニが、カートに独占しちゃったヌテラの瓶を買いに来た人たちにあげる場面がすごく好きなんですけど、私の弟はコンビニで万引きしたかもしれないっていう騒ぎになったことがあって。本当は万引きじゃなくて、店員さんが助けてくれて、お金はいつでもいいよって言ってくれてたんですけど。そのときに、弟は突拍子もないことで周りを幸せにするなって感じて、それをそのままブログに書いたら、それがバズっていろんな人に届いて、このエッセイブログを本にしないかって言ってもらいました。

ジャコモ・マッツァルオールさんと岸田奈美さん

――ご自分の弟さんやご家族のことをとてもユーモラスに書いている点がおふたりに共通しています。ユーモラスに描いた理由は?

ジャコモ
 そもそもジョーにまつわる楽しいことがいっぱいあって。例えば、クリスマスマーケットにふたりで行ったときのこと。彼を肩車していたら、周りにいる人たちに気づかれずに彼らが被ってた帽子を5、6人から取って得意になっていた、なんていうこともあるんですけど、そういうことって、見方によっては恥ずかしかったり、重いこととして語られがちじゃないですか。でもそうではなくて、それを軽快に語る選択もある。なぜユーモラスに軽快に描こうと思ったかっていうと、大体こういうテーマって、両親の視点から語られることが多くて、割と深刻なトーンで描かれることが多いと思うんですね。ただ、僕は兄ならではの気楽さで物事を見られてるのかなっていうこともあって。人間って違うことに対して、よく知らないと恐怖感を抱いたりするじゃないですか。だから、そうしたことをユーモアをまじえて、軽快に語ってあげることによって、距離が縮まると思うんですよね。軽さを持てば、僕たちにとってそういった違いっていうのも普通に、ごく普通の生活の一部になってくる。ユーモアというよりは、その軽快さ、軽い調子で語ることが重要かなと思っています。彼らを笑うのではなくて、彼らと一緒に笑う、その軽快さ。

岸田
 ユーモラスに描くっていうと、悲しかったり、大変なことを面白おかしく描いてるっていうイメージなのかなと思うんですけど、もともと弟や、私の家族はユーモラスで、とても面白いんですよ。そんなことする?っていう。だけど、さっきジャコモさんが言ったように、面白おかしいことをありのままにしゃべったら、周りの人が首を傾げたりとか、ユーモアに感じてもらえないっていうことに、多分、私自身が傷ついてたんだと思います。

ジャコモ
 重いって思われた。楽しいと思ってしゃべったことなのに、彼らは重い一面を見てたってことですよね。

ジャコモ・マッツァルオールさん

岸田
 みんなが気を遣うんですよね、笑っていいのかなって。

――本が出て、まわりからどんな反響がありましたか。弟さんからはどんなリアクションがありましたか。

岸田
 本が出たあと、世の中には弟の味方やファンがすごく増えました。でも、弟は、多分私が本を書いていることはわかってないし、弟は何も変わってなくて。むしろ、彼がグループホームでほかのダウン症の人たちと暮らすようになったりとか、あと、私が本を出したときにページの番号を弟が書いてくれたので、ちょっと字がうまくなったりという若干の変化はありますが、彼自身は以前と何も変わってないです。ただ、周りに彼のことを好きになってくれる人がすごく増えたなって思います。

ジャコモ
 僕もまったく同じ。ジョーに関しては、ちょっと困ったなっていうことがあって。VIP気取りで町を闊歩している(笑)。この本は僕だよっていう。でも、弟の人生自体はあんまり変わってなくて、日々の暮らしと、少しずつ一人でできることを獲得していくことの積み重ねで、彼の人生において、大きな地殻変動が起こったわけではないです。世の中の本に対する反応はとても好意的で、批判的なものはまったくなかったんですね。例えば、弟を利用したっていう批判ももしかしたらあったかもしれない。そうではなくて、僕が書いた本はあくまでも自分について、自分がやってきたこと、それから自分が犯した間違いについて書いたので。彼の声を僕が代弁したとか、そういうことではないので、そのこと自体が、彼を守ったんじゃないかなと。僕の個人的な話であったということが。

岸田
 まったく同じことを思います。

岸田奈美さん

――お互いの文章を読んだ印象は?

ジャコモ
 岸田さんの解説は、グーグル翻訳で訳しただけだったので、きちんと理解できてるか不安だけど(笑)。でも、僕の本への情熱をひしひしと感じて、ご自分のものじゃない物語に対して、こんなにも愛してくださったのかということにとても感動しました。それが岸田さんの物語ともリンクして、記事(※イタリア語版の岸田さんのエッセイ記事)の中でも、文庫の解説ともリンクしていて、僕の体験とパラレルになぞることができた。あと岸田さんご自身がどう感じたかも描かれていて。出発点から、岸田さんというフィルターを通して、また自分自身に戻ってきたかのような、それによって小さな宇宙が誕生したかのような気持ちになって、すごくうれしかったです。記事も素晴らしかったです。例えば、政治に対する提言というか、日々気づいたことも問題提起されてるじゃないですか。ある種のハンディキャップに対して政治や社会が気がつかないようなことや、無神経であることなんかも提言をされていて、それでいて、記事を読んだときに届くのは岸田さんの気持ちというところが素晴らしいと思いました。それから、声をあげずにいる人たちの声をすくいあげる技量。例えば、お母さまや弟さんに声を与えたことにも感動しました。その上で家族の素晴らしさを語っていて、自分も頑張らなきゃって、チャレンジを突き付けられた気持ちでいます。

岸田
 ジャコモは、世界中、だれも書いたことがない感情を書けた人です。障害のある家族がいるとか、親が虐待されて育っていたとか、いろんな家族についての問題がありますよね。皆その家族の問題を乗り越えなきゃって思っちゃうんだけど、実はそうじゃなくて。家族の障害が悲しいとか、恥ずかしいとかじゃなくて、その素晴らしい家族や楽しい思い出を恥ずかしいって思っちゃう自分こそが障害なんだっていう。自分の気持ち自体が障害で壁なんだっていうことを、多分心の中では皆思ってたけど、言葉にできていないことを初めて言葉にしてくれた人がいたっていう。私は、弟のダウン症が問題だと思ったことは一度もないんです。でも、弟はダウン症だけど、素晴らしい人間なんだっていうことをなかなか自分も信じてあげられない。その自分の感性をすごく恥じていたので、それを書いてくれたことに私は救われました。そのことは解説にも書かせていただきました。

ジャコモ
 ずっと感じていたのは、自分が家にいるときのすごく楽しいポジティブな家族の経験と、外に出たときのギャップ。外に出ると、自分の言うことに自己検閲をかけていたようなところがあって、これは言わない、こういう話題にあんまり触れないようにしようって、自分でブレーキをかけていたんですね。それは、自分の勇気のなさだったんですが、姉や妹はそれがまったくなかったんですよね。どうしてそうなったんだろうと考えると、やっぱり、自分の中の偏見を自分の中で増幅していっちゃうっていうのがあって。それは自分の視点ではなくて、社会の差別的な視点を自分の中で増幅していってしまうのが問題だったと思っています。

岸田
 私は高校生のときに付き合っていた彼氏がすごく真剣な人で、私との結婚まで考えてくれていたんです。でも彼が突然、奈美とは結婚する勇気がない、なぜなら、奈美の弟はダウン症で、それが遺伝するかもしれないからって、親に止められたって言われたんですよ。すごく嫌だったし、ショックを受けたんですけど、それを差別だと思ったわけじゃなくて、何で伝わらないんだろうって。ずうっとそうなんです。私はダウン症への差別とか障害への差別って、大きく考えたことがなくて。ただ、何でわかってくれないんだろう、こんなに弟は楽しいのにって怒りを感じて。でも、それはそれまで母が差別を私に見えないようにしてくれていて、学校とかから弟のことで何か言われたら全部私に来る前に母が受け止めてくれてたから、私は弟との楽しいところだけを過ごしてたんじゃないかと後から気づきました。

ジャコモ
 僕自身も、ジョーのことで直接的にいじめを受けた経験はあまりなくて。というのも、僕が住んでいるのがとても小さい町なので、住民はみんなお互いに知ってるんですね。だから、守ってくれるような雰囲気があって。ただ、自分がすごく悲しいというか、問題に思っていたのは、障害を持ってる人たちに対する人々の考え方で、それに対して憤っていたところがあるかなと思うんです。障害を持っている人っていうのは一段下の人たちという考え方、例えばイタリア語で、「リタルダート(知能の遅れた)」とか言うんですけど、差別的な意味で。そういった表面的なもののとらえ方をする人たちが得てして権力を持ってたりして、それに対してすごく憤ってた。弟を含めて、障害のある人たちは下とかいうことではなくて、ただ単に違うんだと。彼らには、僕たちよりもっと優れた能力があって、例えば共感力とか感性の高さとかは僕たちも敵わないものがある。人生にはいろんなかたちがあってしかるべきで、だれもが社会的な成功を追えば幸せになれるわけではないんだっていうことをジョーから教わった気がします。

ジャコモ・マッツァルオールさん

岸田
 日本にもそういう言葉はあります。小学生とかは結構無邪気に、ちょっと足の遅い子とか、とぼけたことをする子に、障害者をもじった言葉でからかうことがあります。

ジャコモ
 言葉ってすごく大切だと思うんです。社会において、どういう言葉遣いをするか、特にマイノリティの抱えている問題を適切に表現する言葉がないために、物事の本質を見えづらくしている部分ってあると思う。それから、弟が名前を言っても僕がそばにいると、弟にではなく、まるで僕が彼の主人であるかのように名前をもう一回聞き返したり、もうちょっと話してもいいですかって許可を得ようとしたり。すべての人と対等に接するっていうことがうまくできてないって思ってしまう。だけど、そういった「違い」っていうのは豊かさであるということを、僕はジョーを通じて学んだし、彼がいなければ学べなかった。その人々の違いを、脅威として感じる人もいれば、豊かさとして感じる人もいて、やっぱり、自分はその後者でいたいと思います。

vol.2へ続く


弟は僕のヒーロー

『弟は僕のヒーロー』
著/ジャコモ・マッツァリオール 訳/関口英子

映画『弟は僕のヒーロー』ポスタービジュアル

映画『弟は僕のヒーロー』
監督:ステファノ・チパーニ
出演:アレッサンドロ・ガスマン、イザベラ・ラゴネーゼ、ロッシ・デ・パルマ、フランチェスコ・ゲギ、ロレンツォ・シスト
提供:日本イタリア映画社 配給:ミモザフィルムズ
シネスイッチ銀座、新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMA、アップリンク吉祥寺ほか全国順次ロードショー

映画公式サイト


ジャコモ・マッツァルオールさんと岸田奈美さん

ジャコモ・マッツァリオール(Giacomo Mazzariol):写真左
1997年、イタリアのヴェネト州生まれ。2015年に弟ジョヴァンニと一緒に制作した動画『ザ・シンプル・インタビュー』が60万回以上視聴されて話題になり、翌年、デビュー作となる本書を発表、ベストセラーに。 Netflixのドラマシリーズ『ベイビー』の脚本、小説『サメたち(Gli squali)』(2018年)など、多彩な執筆・創作活動を続けている。

岸田奈美(きしだ・なみ):写真右
1991年生まれ、兵庫県神戸市出身。大学在学中に株式会社ミライロの創業メンバーとして加入、10年にわたり広報部長を務めたのち、作家として独立。世界経済フォーラム(ダボス会議)グローバルシェイパーズ。Forbes「30 UNDER 30 JAPAN 2020」選出。著書に『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』『傘のさし方がわからない』(以上小学館)、『もうあかんわ日記』(ライツ社)、『飽きっぽいから、愛っぽい』(講談社)など。

 

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