武塙麻衣子「一角通り商店街のこと」連載最終回 13. 一角通り商店街振興会

武塙麻衣子「一角通り商店街のこと」13

〜大学生の雄士とごはんの話〜

13. 一角通り商店街振興会


「金一封だってよ。雄士ゆうじくん」

 まただ。また金一封。今日は商店街のどの店に寄ってもみんなその話ばかりしている。今朝、喫茶ネムノキに食パンを届けに来たイッカクベーカリー弟も、ネムノキの葉子ようこさんも、夕方寄った獏の夢書店でもおにぎり徳ちゃんでも徳ちゃんで飲んでいたシゲさんもみんな同じことを言っていた。

「商店街のキャラクターとキャッチコピーの募集だって。応募してごらんよ。金一封だよ」

 金一封はそりゃあもちろんもらえればありがたいけれど、商店街のキャラクターと言われても、一体何をどうしたらいいのか皆目わからない。ぷっくり全体的に丸みを帯びた目の大きいふわふわした生き物にダンスなどさせれば良いのだろうか。アーケードのスピーカーからは、ひなまつりの音楽がくり返し流れていてなんとなくひなあられが食べたいような気持ちになってきた。大学生の男が一人でひなあられを買うってのもなんだか変だよな。というか三月三日を過ぎれば、今より値段が下がるんじゃないか? そんなことを考えながらシャッターが降りて人通りもだいぶ少なくなった夜の商店街を歩いていると、立ち飲みジョンの戸ががらりと開き、中から商店街の店主たちの中では比較的若手とされる数人が出てきた。どうやら一、二杯軽く飲んだという感じではないらしく、足元がかなりふらついている人もいる。店内の賑やかな空気とアルコールの匂い、食べ物の匂いが全部混じって流れ出てきて、それだけでジョンの前がぱっと明るくなる。

「こんばんは」

 雄士が声をかけると、鶴亀湯つるかめゆ守本もりもとさんが、よおっと手をあげた。耳まで真っ赤に染まっている。三月とはいえ、夜はまだまだ冷えるのに、足元を見ると素足にサンダルを履いていた。隣にはパティスリーポーリーのポーリーさんがすらりと立っているがちっとも酔ってなさそうだ。ポーリーさんはこういうお店で一体なにを飲むんだろう。ワインかな? 雄士にむかってにこっと会釈すると、黒い革のトートバッグから薄いショールを取りだして首にまき、ゆっくりと瞬きをしてポーリーさんは言った。

「そうだ。雄士くんはあの話、聞いた?」

「あ、ひょっとしてキャラクターとキャッチコピーの金一封ですか?」

 雄士が聞き返すと、ポーリーさんは、思わず見とれてしまいそうな美しい笑顔でふふっと笑って頷いた。また明日ね、とだけ言って手を振ると、じゃあ僕は帰りまーす、と足取りも軽く商店街をすいすい歩いていってしまった。ジョンの前ではまだ死屍累々といった人たちが、くだを巻いている。中心で、地面にあぐらをかいて何ごとか喋り続けている眼鏡の男の人はどこの店の人だろう。緑色のフレームに細長い六角形のレンズで、なんだかとてもおしゃれだ。

 

 翌日の夜、雄士は喫茶ネムノキの仕事で商店街振興会の会議の場へ、お茶と軽食を持って行くことになった。ポーリーさんが、また明日ねと言っていたのはこのことだったのか。中華料理屋さんが出前で使うような銀色のおかもちの中にコーヒーと紅茶のポット、ペットボトルの水と数種類のサンドイッチ、レーズンやシナモンのスコーンなどをぎっしりと詰めて「いってらっしゃい」と葉子さんに見送られた。金一封のこと、詳しく聞いてきなさいよ、と小声で付け加えるのを葉子さんは忘れなかった。みんな金一封に浮き立っている。

 商店街のちょうど真ん中、商店街事務局の二階に、会議や打ち上げ、なんにでも使う畳の部屋がある。夜の商店街事務局には、もう誰もおらず、入口に近いテーブル上のデスクライトだけをつけてそのそばに「留守にしております」というメモがセロハンテープで几帳面に上下をとめて貼ってあった。奥に進むと、二階に上がる階段の脇には「一角通り商店街における今後について」と達筆で書かれた仰々しい半紙が貼られていた。靴を脱いで下駄箱にしまい、二階に上がる。階段を上がりきると、右に広がる畳の部屋は、誰かがすでにふすまを外して広くしたらしく、いくつもの座卓に沿ってずらりと座布団が並べられていた。正面に出されたホワイトボードには、階段の下で見たのと同じ字で「一角通り商店街における今後について」と書いてある。今後というのは、どういうことだろう。これが不穏な空気なのか、キャラクターやキャッチコピーの募集など明るいイメージなのか、字が綺麗すぎて読み取れない。

「あ、ネムノキさん?」

 声をかけられて振り返ると、昨日のおしゃれな眼鏡の男性が、黒いマーカーを手に階段を上ってきたところだった。昨日はあんなに酔っぱらっていたのに、今日の表情はすっきりしていて二日酔いの片鱗もない。 

「はい。お茶と軽食、後ろの卓にセッティングしてもいいですか」

 お辞儀をして確認すると、

「うん、ありがとう。ネムノキさん、懐かしいなあ」

 彼はそう言って手に持っていたペンとプリントの束を近くの座卓に置き、腰に手を当ててぐぐっと背中を伸ばした。懐かしいというだけあって、確かに喫茶ネムノキで雄士は彼に会ったことがない。

「ネムノキさんでのお仕事は長いんですか?」

 腰をそったまま質問されるとは思っていなかったので、驚いた。気さくな人だ。

「いえ、バイトで入って半年ちょっとくらいです。僕、学生なので」

 雄士の答えに、なるほどというように頷くと、眼鏡の彼は座卓の上にプリントをセットし始め、それからあっと顔を上げて名乗った。

「僕は、眼鏡屋代表の徳森とくもりです。今年は、振興会の会長も兼ねてます」

 ずいぶん若いんだな、と雄士は思った。まだ三十歳くらいではないだろうか。

「親父がこういう仕事が苦手なんで僕におはちがまわってきちゃいまして。普段は、ここじゃないところで別の仕事をしてるんですよ」

 雄士の頭に浮かんだ疑問に答えるように、しかし手は止めずにさくさくとプリントを並べていく。話を聞きながら、雄士はコーヒーと紅茶のポットを座卓に置き、その周りに紙コップと砂糖の袋と紙おしぼり、ミルクを並べた。店から持ってきた籠の中には可愛い柄のペーパーを敷いてラップで巻いて両端をリボンで結んだサンドイッチとスコーンをそれぞれ置く。

「美味しそう。たまごのサンドイッチですか」

 机の端までプリントを配ってもう一列にも同じようにセットしながら戻ってきた徳森さんが言った。昨日と同じ、緑色のフレームに六角形のレンズの眼鏡をかけている。

「はい。あ、でも今日のは僕が作ったから葉子さんほどは美味しくないかもしれないですけど」

「君、サンドイッチの調理まかせてもらってるの? じゃあ美味しいってことじゃない」

 気さくな様子で徳森さんが言う。

「じゃあたまごサンドひとつください。なくなっちゃう前に。あとコーヒーってもう飲んでもいい?」

 ポットに手を伸ばそうとしたので、雄士は慌てて遮った。

「僕やりますよ。徳森さん、他のお仕事進めちゃって下さい」

 彼が微笑んだ。

「一回で名前覚えてすぐ呼んでくれる人って気持ちいいよね。君、仕事できるでしょ」

「どうですかね。ネムノキじゃまだまだです」

 徳森さんの前にコーヒーとたまごサンドイッチをのせた紙皿、紙おしぼりを置く。続いて砂糖とミルクを置こうとすると、「ブラックでお願いします」と笑顔で遮られた。

 壁にかけられた時計がぽーんと軽い音で八時を鳴らす。それと同時に下の事務局の戸が開き、騒がしくなった。どすどすと階段を上がってくる音が響いて、見慣れた顔が次々に和室に現れる。

「あれ、雄ちゃん何してんの?」

「振興会、入るの?」

「いいねいいね、若手歓迎」

 好き勝手なことを言いながら、皆リラックスした様子で、雄士のいる卓から、飲みものと軽食を選んで持っていき、めいめいの席に腰を下ろす。 


 

大津祥子『彼女の最初のパレスチナ人』
TOPへ戻る