作家を作った言葉〔第26回〕武塙麻衣子

作家を作った言葉〔第26回〕武塙麻衣子

 私はいわゆるおじいちゃん子だった。母方の祖父は秋田出身の穏やかな性格の人で、文学や芸術を心から愛し、仕事では書店のデザインをしたり、私にはついぞわからなかった膨大な数字の計算をひたすらし続けてそれらをまとめた本を出版して、何枚も絵を描いた。

「本を読みなさい」

 彼の美しい笑顔しか私は思い出すことができない。その祖父の名字が武塙という。娘である私の母が結婚して武塙ではなくなり私が生まれ、武塙という名字に憧れながら私は育ち、そのうち結婚して別の名字に落ち着いた。武塙は遠いまま。

 その祖父が、数年前に他界した。私はひどく動揺し、絶対に離ればなれになりたくなかった。そこで考えた結果、祖父のお⾻を⾷べることにした。そうすれば、祖父が私のそばにずっといてくれるのだと思い込んでいた。けれど焼き終わって骨壺に移す時にそのチャンスはなく、渡された骨壺は、袋を開けると壺の蓋周りにぴったりとテープで封がされている。納骨の日、この封が一度剥がされてまた貼り直されていたら、お坊さんが怪しむだろうかと悩み、それでも諦めきれずに実家の仏壇の前をやたらうろちょろした。祖父の骨さえ口にすればずっと一緒にいることができるとただそれだけを考えていた。 

 その頃、一緒に酒場で飲んでいた十年来の友人に「じいちゃんの骨を取り出すチャンスがない」とぼやくと、彼女は私の空いたグラスにととっと瓶ビールを注ぎ、でもさ、と静かに言った。

「おじいさんは血が繋がっている人だから、無理に骨を食べなくてもあなたはすでにおじいさんの遺伝子を持っているよね」

 目から鱗が落ちた気がした。では、私のこの手もこの目もすべて祖父ということか。私はしばし呆然とし、次に猛然と、ならばこれから祖父と共に文章を書こうと思った。自分が何を書きたいのか何を書くことができるのかもわからず、今思えば無謀であったけれど、祖父とならできる気がした。そうして私は武塙を名乗る。あの日、友人が私を気遣った優しい一言が、武塙麻衣子を作ってくれた。

 


武塙麻衣子(たけはな・まいこ)
1980年神奈川県生まれ。日記やエッセイの ZINE で注目を集め、近著に『三酒三様2』『往復書簡 今夜、緞帳が上がる』(ともに共著)など。8月に書肆侃侃房より『酒場の君』を刊行予定。


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