◎編集者コラム◎ 『私のジェームス・ディーン』谷川俊太郎

◎編集者コラム◎

『私のジェームス・ディーン』谷川俊太郎


『私のジェームス・ディーン』写真

 この本は、詩人・谷川俊太郎の全小説を収録した初めての作品集だ。1950年代~60年代に書かれた作品に2000年代の作品2篇を加えた28篇が全小説ということになる。《散文、とりわけ小説が苦手なんだよねえ》というのは谷川さんの述懐なのだが、もっと読みたかったと残念でならない(私が直接手がけたのは、集中の「虎白カップル譚」1篇のみ)。

 まず表題作であり冒頭に収めた「私のジェームス・ディーン」について語りたい。ジェームス・ディーン(James Dean)、この一世を風靡した映画スターが主演(あるいは準主演)した有名な作品は以下の3本。「エデンの東」(1955)「理由なき反抗」(55)「ジャイアンツ」(56)。「エデンの東」以外はすべて死後の公開だった(ちなみに日本公開は3本とも死後)。

 ディーンが交通事故で亡くなったのは1955年9月30日、まだ24歳の若さだった。愛車はポルシェ550スパイダー(彼はこの車を運転中の事故で亡くなった)。谷川作品はこの魅力的な青年と彼の愛した男女を見事に描いた短篇小説だ(生涯で書いた最も長い400字換算60枚)。この作品についての谷川発言──《(この作品は)石原慎太郎のピンチヒッターだった。ホテルにカンヅメになって、たしか二晩くらいで書いた》。執筆の裏話などを生前に聞き漏らしたのが残念でならない。

 作品の初出は「知性」(当時の著名な総合雑誌)1957年1月号だから、書かれたのはディーンの死のほぼ1年後、55年の後半だと思われる(したがって谷川俊太郎25歳の作)。最近谷川さんの年譜を作っていて初めて気がついたのはこの二人の生年だった。ディーンは1931年2月8日、谷川さんは1931年12月15日生まれ、なんと同年生まれなのであった。

 他の収録作については巻末の「編集覚書」を読んでいただきたいが、本書後半に収録した「ショートショート」についてひと言。これは、著者が最も好んで書いた形式だった。ここには散文詩風、童話風の作品からミステリ風、SF風、ホラー風(さらにはラジオとテレビのドラマ脚本2篇)と多彩な作品が収められている。20年ほど前、雑談中に聞いた谷川発言を懐かしく思い出す。《ある日、来客があって玄関に出たら江戸川乱歩さんが立っていたの、父を訪ねて来たんだと思う。乱歩さんは僕の顔を見て、「今度うちの雑誌に書いてくれませんか」と言ってくれたのね》。それがあの伝説の推理小説雑誌「宝石」に作品を発表するするきっかけだったのだ。今回改めて「宝石」掲載作8篇の初出年月も調査記載することができた(谷川作品には初出情報不明なものが実に多いのだ)。

 広瀬弦の絵、水戸部功の装丁で、俊太郎さん一周忌に捧げる素敵な本ができた。嬉しい!

 ──『私のジェームス・ディーン』担当者より

私のジェームス・ディーン
『私のジェームス・ディーン』
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