姫野カオルコ『くらやみ小学校』

「児童文学」ではなく「□□小説」を使命としている
□□小説。
この□□の中に入る文字は?
推理、時代、恋愛、ファンタジー、社会、等々。
では、『くらやみ小学校』は、何小説か。
タイトルからすると、ホラー小説と思う人が多いかもしれない。「学校の怪談より怖い」と帯にあるし。
だがこれは、「学校の怪談めいたものとは別種の怖さ」という意味。
そう、子供の時代は、恐怖に満ちている。
子供は情報弱者である。経験則が皆無に等しい。
無力なのである。無力ゆえに傲慢でもある。
疑問、不安、怒り、悲しさ、に対処するすべを持たない。
大人が見守り、育む? そんなこと、大人にできるわけない。
なぜなら、大人も子供も、ともに人間だからだ。
自分ではない他人のことは、わからない。
「子供のころはたのしかった」と言う人は、想像力のある大人に、子供のころに出会えた幸運な人である。
その幸運を描くのが「児童文学」であろう。子供のために、大人が読んでやる世界。子供と大人がいっしょに読む世界。
『くらやみ小学校』は、「児童小説」である。
「児童文学」ではない。「児童〝小説〟」。児童が主人公だが、〝大人のための〟小説。
姫野カオルコという、バカそうな名前の、おステキな恋愛小説そうな名前の、老年作家が、何十年の間、何を頼りとして書いてきたか。
ほとんどの人に気づいてもらえないが、子供を描くこと、であった。
子供を描くことが、私の書く動機であり、怨みであり、励ましであり、冷静であり、希望であった。
「児童文学」ないし「児童文学と同じ方向性のアニメや漫画や映画」から、夢や希望を与えられた人は、とても多かったと思う。私も与えてもらった。
しかし「児童文学」が決して掬いとらなかった人がいる。掬いとらなかった部分がある。
自分の任務は、それを掬うこと。そう思っているのである。
『くらやみ小学校』。カバーのタイトル文字はチョークで黒板に書いたようにデザインされている。「児童文学」ではなく「児童〝小説〟」を求める人の手に届いてくれ。祈る。
姫野カオルコ(ひめの・かおるこ)
作家。姫野嘉兵衛の表記もあり(「嘉兵衛」の読みはカオルコ)。1958年滋賀県甲賀市生まれ。『昭和の犬』で第150回直木賞、『彼女は頭が悪いから』で第32回柴田錬三郎賞を受賞。他の著書に『ツ、イ、ラ、ク』『ハルカ・エイティ』『リアル・シンデレラ』『謎の毒親』『忍びの滋賀』『青春とは、』『悪口と幸せ』『うわべの名画座』などがある。



