卑屈さを原動力に 姫野カオルコ おすすめ4選

2014年、『昭和の犬』で第150回直木賞を受賞した姫野カオルコは、社会派小説からコミカルなエッセイまで、読む人の心にざらつきを残すような作風で知られています。そんな著者のおすすめ小説・エッセイ4選を紹介します。

『彼女は頭が悪いから』――東大男子5人による、女子大生へのわいせつ事件。悪いのは女子大生、とされたのは何故か。


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 2016年、東大の男子学生5人が、女子大生への強制わいせつ罪で逮捕されたという事件。本作は、実話から着想を得て書かれた小説です。2019年、東大入学式の祝辞で、同大名誉教授の上野千鶴子ちづこが取り上げたことでも話題になりました。
 複数の男子学生が、1人の女子大生に大量に飲酒させ、下宿へ連れて行き、全裸にして胸などをさわった。これを聞けば、加害者は男子だと思います。けれど、本件において、世間から誹謗中傷されたのは、偏差値が50弱の私立大学に通う女子の方でした。小説内でのネット上の反応は以下のようなものです。

東大生に非があるとは思えません。通報した女、東大生の部屋に行ってるじゃないですか。どうせ東大狙いの女だったんでしょうね。なにを被害者ヅラしてるんでしょうか。尻軽の勘違い女です。東大男子らが可哀想すぎる。

部屋に自分で行っておいて被害者ヅラの女子大生の親より、せっかく東大まで行かせたのにこんなことで実名出された男5人の親のほうが、すごく怒っていると思う。

 現に、東大生の息子を持つ親たちは、憤ります。曰く、「その女子大生は、東大男子に近づきたいという下心を持っていたが、当てが外れて、腹いせで通報したのだ」、「東大生の親は高所得だというのを知っていて、最初から慰謝料が目的だったのだ」。事実、本作に登場する東大男子たちは、東大ブランドに群がる女子たちに言い寄られるのが日常のようです。東大男子は、自分たちと他大学の女子が知り合える場を作り、女子からお金を徴収したり、東大男子を前にすると、自ら服を脱ぎたがる女子大生のAVを作成してネットに流し、ギャラを得たり、彼らにとっての効率的なバイトをしています。その反面、年長者の前では礼儀正しくする要領の良さももっており、大人は、東大生というだけで、無条件に信用しています。優秀で、家庭的にも恵まれた彼らのなかには、冷酷なまでの合理主義かつ拝金主義で、心の襞や内省といったものがなく、犯した罪の重さが理解できない者もいたようです。
 他方、「身のほどしらずなビッチ」扱いされた女子学生の実像も、著者は生育歴から丹念に紐解きます。そこにあったのは、世間から押された烙印とはかけ離れた、素朴で優しい少女像でした。
 もし、本件の男子学生が無名大学の学生だったら、世間の反応は違ったのかもしれません。学歴というフィルターによる社会の偏見を突いた、第32回柴田しばたれん三郎さぶろう賞作です。

『謎の毒親』――「毒親」への対処法を自身の経験から語る、カウンセリング小説


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 最近、若い人を中心に使われる「毒親」という言葉。虐待やネグレクトとまではいかないものの、子どもに心ない言葉を吐いたり、子どもを自分の支配下におこうとしたりする親のことを、こう呼ぶようです。本作は、自身も「毒親」に育てられた著者が、体験談を語り、「毒親」を持つ人が、いかに生きたらよいかを模索した小説です。
 昭和33年、滋賀県の農村で生まれた著者。地域の名士だった両親が高齢になってから生まれた1人っ子で、世間からは、さぞ可愛がられ、十分な教育を受けたのだろうと思われてきました。しかし、実態は違います。

つねづね母親は私に言うのです。「あんたは、わたしが年をとって産んだ子だから悪い遺伝をしている。もっと早く産んでたら脳がよい遺伝をしたけれど、遅くできた子だから劣った遺伝をした」と。(母親に)悪気はないのです。ただ、子供ですから、大人から受けた言葉は「絶対」です。私の耳にはいつも、どこかからこうした呪文が聞こえました。劣った脳の自分を、私は嫌いになってゆきました。ひたひた、ひたひたと雨漏り水が石に窪みを作るように、ゆっくり時間をかけて、深く。

この他にも、子供の頃の写真がない、運動会や学芸会に親が来たことがない、出先で行き違っただけなのに、親の目を盗んで逃走したと怒鳴る、容姿を、立ち直れないほどけなす、「私」が男だったらよかったと言い、結婚を禁じるなど、この両親は、娘への無関心と理不尽な言動であふれています。けれど、「私」は、長年、その悩みを自分のなかに収めてきました。家父長制が強く、子どもに人権がないも同然の時代のせいだった、女子が大学に行くのが当たり前ではなかった当時、東京の私立大学にまで行かせてもらったのに、親に不平を言うのは恩知らずだ、などと自分をなだめて。
 そもそも、「私」は、両親を「毒親」などと、強い語感の言葉で名付けることに抵抗があったようです。けれど、あえてそうしたのは、世の中には、定義づけが行われてはじめて、問題の所在が世間に認知されることも多いためだとか。例えば、「花粉症」や「セクハラ」という言葉が確立するまで、それは気の持ちよう、とか、本人の思い過ごし、と取り合ってもらえなかったように。
 本書の目的は、親への恨みを述べ立てることにではなく、同じように「毒親」に悩んでいる人が、いかに親と適切な距離をとって、自身の人生を取り戻していくか、という「実践講座」にあります。子どもの努力では何ともできない親の問題。「脱却はできなくても、軽減することはできる」という実体験者による心強いアドバイスに、勇気づけられる人も多いのではないでしょうか。

『結婚は人生の墓場か?』――誰もが羨むお嬢様の妻は、実はトンデモ妻だった。


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 小早川こばやかわ正人まさとは大手出版社社員。社にアルバイトに来ていたゆきと、23歳で結婚。雪穂は、ミッション系の女子校を幼稚園から大学までエスカレーターで卒業した1人っ子のお嬢様。2人の娘を授かり、妻と同じ学校に入れ、誰の目にも恵まれた家庭に見えて、正人には人知れず悩みがありました。それは、妻の言動が支離滅裂なこと。結婚前、「カトリックでは、避妊や堕胎は禁じられている」と言うので、それに従っていたところ、雪穂が妊娠したので、出来ちゃった結婚しましたが、2児を授かった後は、急に避妊を要求するようになり、正人は、「自分は、雪穂の仕掛けたカトリックのトリックに引っかかっただけなのでは?」と疑心暗鬼になります。他にも、妻の希望で住居を購入したのに、娘の出産前になると、ブランド産院の近くに転居したいと言い、娘が成長すると、今度は学校の近くがよいと言い、度重なる引っ越しを繰り返します。

雪穂のいまは、雪穂の1日前、いや5分前とも異なる。彼女のいまは、いまなのである。いま以外は、治外法権であり、警察も論理を介入できない。彼女のいまは、それぞれ独立して存在しているのである。

 また、雪穂は、金銭感覚がずれており、雪穂の言うところの「腕によりをかけた家事」とは、単にお金をかけているだけで、「子育てに忙しい」とは、単に娘とのお出かけや、デパートでの買い物などの消費活動に明け暮れているだけでは、と正人は思うのですが、恐くて指摘できません。そして、「子育てに疲れた」妻に代わって、家事雑用をこなし、義母や、妻が衝動買いしたペットの面倒まで見る始末。けれど、困ったことに、雪穂に悪気はなく、お嬢様ゆえの天然さからくる行動なのです。
 正人は、この悩みを周囲の人に漏らします。けれど、誰もまともに取り合ってくれません。それは、「愚妻」という言葉が示すように、日本には夫が妻を謙遜して言う風習があるからで、正人が、自分の妻は鬼嫁だと誇張して面白おかしく話しているだけだと思うからでしょう。そんな中、正人が仕事で知り合った、大学の社会学の教授は、結婚制度の疲弊という観点から、正人夫婦をモデルに新書を書こうと試みます。正人が離婚を希望した場合、慰謝料を支払うのはどちらか。夫婦間のDVに民事介入できるようになった現在、妻のモラハラは、いかに扱われるべきなのでしょうか。
 教授が、酒井順子著『負け犬の遠吠え』(どんなにハイスペックでも美人でも、30歳以上で独身・子なしの女性は「負け犬」であるという言説で、社会論争を起こしたエッセイ)を引き合いに出し、一見「勝ち犬」である雪穂の立ち位置を再考していたり、「負け犬」と自虐している女性たちが、本音では負けているとは思っておらず、世の読者は『負け犬の遠吠え』を「誤読」していると指摘したりする箇所は、2冊を併読すると、より面白さが増すことでしょう。
 コミカルな夫婦小説を装って、現代社会における結婚とは何か、ということについて考え抜かれた1冊です。

『忍びの滋賀 いつも京都の日陰で』――マイナーな出身県の悲哀と隠れた魅力を、自虐ユーモア交えて語る


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 大学入学で上京するまで過ごした故郷・滋賀県。同県出身者で初の直木賞に輝いた著者が、印象が薄く、他県の人から認知されない滋賀県の「あるある」をコミカルに綴ります。
「琵琶湖のあるところの出身」と言ったら、「京都の郊外ですか?」と訊かれた。昭和天皇や渡辺淳一も訪れた名料亭「しょう福楼ふくろう」は、滋賀県という田舎にあるのでは信用してもらえず、「京料理」として売り出さないと、箔がつかない。JRのCM「そうだ京都行こう」で映された比叡山は、実は滋賀県の山なんですけど……。日本一の観光都市・京都に隣接し、京都に搾取され続ける植民地のような県だと、著者は言います。
 例えば、滋賀県大津市にある石山寺。紫式部がここで『源氏物語』を書いたという伝説で集客しており、2千円札のモチーフにもなったのですが、著者に言わせれば、当の紫式部は滋賀県を小馬鹿にしていたのでは、とのこと。

(『源氏物語』に登場する)滋賀県生まれの近江おうみの君は、げんのないしのすけ(色狂いのお婆さん)、末摘すえつむはな(時代遅れの醜女しこめ)と並ぶ「笑われキャラBEST3」の1人である。近江の君は、滋賀県で生まれ育ったので話し方や所作が下品になった、と説明されている。理由は、(滋賀県が)都ではないから。『源氏物語』は京都が都だったピーク時に書かれた。都から離れているとは、そのままイコールダサいであったのである。

 京都以外の土地は野蛮である、という平安貴族の中華思想。当時は、地方分権や平等といった概念自体がなかったので、紫式部のナチュラルな差別意識は仕方なかったとはいえ、ここまで見下されながらも、彼女を観光資源としてありがたがっている滋賀県民のお人よし加減には、少し哀しいものがあるかもしれません。
 本書では最後に、滋賀県の地方再生への展望が示唆されます。いつも割を食っているという思いがぬぐえない、滋賀県民必読の1冊です。

おわりに

 前出の『彼女は頭が悪いから』のなかに、“卑屈の精神も、不屈の精神で磨いていると、卑屈のかさぶたがとれ、新たな境地になるケースもおおいにあり、それが人文なのだ”という言葉が出てきます。この言葉は、小説を読むのは時間の無駄だと考える東大生へ向けての言葉ですが、そのまま姫野カオルコ作品の特徴と言ってもよいかもしれません。卑屈さをいかに文学へと昇華させているか。それが、彼女の小説の読みどころのひとつと言えるでしょう。

初出:P+D MAGAZINE(2022/04/12)

◎編集者コラム◎ 『いつでも母と 自宅でママを看取るまで』山口恵以子
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