採れたて本!【歴史・時代小説#37】

生涯成績275勝10敗、勝率9割6分2厘の記録を残した雷電為右衛門は、史上最強の力士とも呼ばれる。雷電を取り上げた作品には、好角家で横綱審議委員も務めた尾崎士郎が雷電の生涯を追った『雷電』、多視点で物語を進め雷電が生きた時代そのものを描いた飯嶋和一『雷電本紀』など名作が多い。梶よう子の新作は、松江藩士の視点で雷電をとらえることで新機軸を打ち立てている。
多平太は、松江藩江戸留守居役・石積家の養子になり江戸へ出た。藩主の松平治郷は多くの有力力士を抱える相撲好きで、松江藩には相撲藩の異名があるほどだった。江戸留守居役はお抱え力士の世話係でもあるが、多平太は相撲が嫌いだった。
苦手な仕事を割り振られても断れず、お抱え力士の成績が評価に影響するかもしれない理不尽にも直面する多平太の境遇は、宮仕えの経験がある読者にはリアルに感じられるのではないか。仕事ゆえにまったく知識がない相撲の世界に飛び込んだ多平太が、親方や相撲会所とのやり取り、将来有望な若手力士の発掘、雷電の世話などを覚えていく展開は、良質なお仕事小説になっている。
仕事の大変さは、力士も同じである。相撲は体が大きい方が有利なので、小兵は最初から不利だが、巨漢も真剣に稽古をすれば必ず大関(当時の最高位)になれる訳ではない。強ければ大名家に召し抱えられ、贔屓も増えて生活は安定するが、お抱え力士同士の取組はそれぞれの藩のメンツもからみ、力士のプレッシャーはさらに大きい。才能がないので相撲をやめるか、それでもしがみつくか、出世は嬉しいがお抱え力士になると自由に相撲が取れないなど、実力の世界だけに将来の選択に悩む力士たちに我が身を重ね共感する読者も少なくないように思える。
雷電は花頂山に敗れ、それ以降、二人の取組がないことから雷電が逃げているとも噂されていた。ようやく決まった雷電と花頂山の取組に向けて進む物語には、多平太が相撲嫌いになった原因、やはり有力力士を抱える他藩の動向、相撲好きの江戸っ子たちのファン心理などもからみ、スリリングに展開していく。
当時の相撲は、怪我をせず長く続けるため星の貸し借り、お抱え力士同士の取組は波風が立たないように勝敗をはっきりさせない「預かり」にすることなどが慣例だった。また名誉職の横綱になるには、かつては宮中行事の相撲節会を取り仕切り、上覧相撲で現在まで伝わる相撲の様式を作った吉田司家の許可が必要だった。土俵の外に複雑な思惑と利害が渦巻いているだけに、自分の体、磨いた技と力だけで真剣勝負をしたいと望む雷電と、その想いを知り職務を離れて雷電に寄り添いたいと考えるようになる多平太の純粋さは強く印象に残る。
評者=末國善己






