ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第159回

出版界には「描くものが面白ければ
多少社会性が崩壊していても
かまわない」という面がある
今年、この連載をまとめた本を出版したのだが、最近それに関するインタビューをまた受けた。
だが、この連載はテーマの時点で「漫画家の生活エッセイ」という極狭だし、さらにそのワンテーマのみで何も与えられないまま150本も書かされている。
それに「漫画家の生活」といっても「この生活は漫画家か無職か」という10問クイズが成り立つレベルで家にこもったまま何も起こらないのが普通である。
どう考えても改めてインタビューを受けるような内容ではないはずなのだが、どうやらインタビュアー側はこれを働く人たちに向けた働き方本の側面があると捉えたようだ。
「本当に読んだのですか」
思わずこちらからの逆インタビューで開幕しそうになったし、2問目が「誰かと間違えてないか」になるところだったが、確かに何の追加案もないまま書かされ続けた結果、内容のほとんどが〆切を破るか破らざるかの話になり、本のタイトルさえ「〆切は破り方が9割」になってしまった。
タイトルの時点で何かを指南しようとしている感があるし、そういえば以前別のインタビューを受けた時に「この本を誰に読んで欲しいですか」との問いに「働いてる人やこれから働く人」と答えたような気がする。
実際はあなたの理想不動産で紹介されそうなほどのターゲット極狭本である、しかしここで対象が狭い、むしろいないと言ってしまったら、売れないものがさらに売れなくなる。
よって「誰でもいい」という意味で言ったのだが、自分で働く人向けと言ってしまったのなら仕方がない。
しかし、元々そんなつもりで書いていないので「どうしてこのようなメッセージを読者に届けようと思ったのか」と聞かれても「どこにメッセージがあったのか」という、杜王町に死体が増える逆質問ばかりになってしまう。
しかし未だに「解釈は読者に任せる」が許されているのだから、書いている奴にそんなつもりがなくても、読者がそこからメッセージや電波を受信するのは自由である。
確かにこの本の中では、〆切が異常に軽んじられている。これは一般企業どころか一般常識からもかけ離れた異世界だ。
そして、存在を耐えられないほど軽くされた〆切は「消滅」という悲しい結末を迎える。
- 1
- 2





