安壇美緒『イオラと地上に散らばる光』◆熱血新刊インタビュー◆
邪悪さから距離を取れ

著作権を管理する団体に勤める青年が、演奏権侵害の証拠を集めるべく身分を偽り、大手音楽教室に潜入する『ラブカは静かに弓を持つ』。バレる・バレないのスリルを軸にしながらも、チェロに関するトラウマを持った主人公と講師らとの繫がりは尊さに満ちていて、読後感は過去最高にあたたかかった。しかし、同作以来となる長編『イオラと地上に散らばる光』は、過去最高に真っ黒だ。
「『ラブカ』を出した後は、これまで試したことのない方向性を自分なりに探ってみたいという思いもあり、小学館さんの『GOAT』を始めいろいろな文芸誌で短編を発表していました。短編は正直なところ思いつきやワンアイディアで書けるんですが、長編となるとものすごく時間がかかる。自分の人生の時間がごっそりと削られる感覚があり、なかなか踏み出せなかったんです。でも、今回の作品に関しては、ちゃんと完成させられるという自信のようなものは全くなかったにもかかわらず、自分の人生の時間をたくさん割いてでも書いてみたいし考えてみたいと思わせてくれる力がありました」
執筆を決断する遠因となったのは、第30回(2017年度)小説すばる新人賞を受賞したデビュー作『天龍院亜希子の日記』の存在だ。人材派遣会社に勤める27歳の会社員男性の主人公が、長らく会っていない元同級生が書くブログにささやかに勇気づけられて……。同作を読み返してみた時に、浮かんできた感情があったという。
「主人公は相手と直接繫がっていないけれど、出会わないんだけれども、ネットのおかげで人との繫がりの実感のようなものを取り戻します。あの小説を書いた頃は、ネットとの付き合い方が牧歌的だったんですよね。今って、全くそうではないなと思ったんです。昔はみんなある程度主体的に、ネットの海に自分が欲しい情報を取りに行く感覚だったと思うんですが、今は過激だとか怖いなとか、大きな感情を揺さぶられる情報が勝手に入ってくる。情報に〝侵襲〟される感覚があるんです。それって、SNSのアルゴリズムだけの問題ではないですよね。裏にはやっぱり、人間がいる」
本作が探り当てようとしたものは、その存在だ。
イオラその人についてはほとんど書いていないんです
「以前からワンオペ育児という言葉は知っていましたし、社会問題になっているなぁとは思っていたんですけれども、実際に自分が体験してみるとこれはあまりにもしんどすぎるよ、と。なんとなく知っていたつもりでいたことと、現実との違いに打ちのめされたんです。その感覚が、この話の出発点の一つだった気がします」
物語の核にあるのは、東京・西新宿で起きた事件だ。ワンオペ育児で追い詰められた母親が、赤ん坊をだっこ紐で抱えながら、夫の上司に刺傷を与えた。女の名前は、萩尾威愛羅。
「リスキー」という弱小ネットメディアの編集者・岩永清志郎は、専属アシスタントの青年を顎で使って手に入れた事件現場の写真を添えて、第一報をネットの海に投下する。
ワンオペ育児女性による衝撃的な刺傷事件 「彼女は私だ」 SNSで同情が広がったワケとは? 岩永清志郎(リスキー編集部)
このニュースをきっかけに、事件は大炎上状態となっていく。第三者が事件について、詳しく知らなければいけないという感情はいったい何なんだろう? ましてや、何かひとこと物申さなければいけないという感情は。SNSの存在が、そうしたユーザーの感情をせき立てていることは間違いない。
「みんなで勝手に憶測を繰り広げているんだけれども、犯行時にその人がどういう状況だったのか、どういう環境にいたのかは誰にも分からないんですよね」
イオラ事件の「分からなさ」は、意識したポイントだったという。
「イオラという存在を生々しくはしたくなかったんです。ですから、イオラその人についてはほとんど書いていないし、刺されたのはどういう人だったのかということは一切書いていません。ほんの少しの事実から、雪だるまのように解釈が膨れ上がっていくSNS社会の怖さを書きたかった」
そうした解釈の方向付けを、発信者側が意図的に行なっている点が現代の怖さだ。「俺らは小さなマッチを擦り続けて、放火してやる側に回らないと」。岩永は炎上に新たな燃料をくべるべく動き回る──。
「このお話には章ごとにいろいろな登場人物が出てきて、各々の視点からそれぞれの人生が描かれていくんですが、本当に重要なのは岩永をどう書くかだなと思っていました。彼は、会社とか組織の中ではいい感じに振る舞うし、実際に仕事がすごくできる人だし、憧れの先輩みたいな立ち位置でもある。プライベートではいい夫、父親であると周囲に見せかけている。でも、見えないところで自分が上の立場になれるような状況を作って、弱い人に対して心理操作を繰り返しているんですよね。支配欲を満たすためには、なんでもやる人間なんです」
どこまで情報が入ってくるのを許すのか
「最初はイヤな人物だなあというところから入ったんですけども、書き進めていくうちに、岩永は悪魔という概念の原型になるような人間なのかもしれない、と思うようになりました。この社会に普通に存在している、邪悪さを煮詰めたような存在なんです」
岩永の邪悪さを多面的に表現することは、SNS社会の闇を描くことにも繫がる。
「この小説は最初、全て岩永視点で書いていこうとしていたんです。途中まで書いたんですが、ボツにしました。岩永から見えている世界は、他者視点から見るとどうなのか。そこを描くことが、岩永という人物を表現するうえで重要だと思ったんです」
残された最も大きな課題は、その邪悪さといかに対峙するか、だった。
「例えばニュースがフェイクだったことがバレて世間に糾弾されるとか、法的な問題に問われるといったアプローチは、このお話にはふさわしくないと思いました。ウソ臭くなるからです。正直なところ、彼の〝勝ち逃げ〟っぽい結末になるのかなと思っていたんですよ。でも、最終章を書き始めてみたら〝あれ?〟と。最後の数ページで展開されたことは、岩永にとって一番の罰なのではないかなと思います」
スマホやSNSの存在が前提として回っているこの社会では、岩永の持っているような邪悪さが、身の回りから完全に消えてなくなることはない。ならば、どうするか。この物語を書き継ぎ、そして書き終えたことで、作家の中に芽生えたリアリティがあったという。
「情報が絶え間なく入ってくることが当たり前になったシステムの中でも、どこまで自分から情報を取りに行くか、どこまで情報が入ってくるのを許すのかは、全てではないにせよコントロールできる部分もある。ブロックしていくことが大事だと思うんです。そして、明らかに自分に害を与えてくるような存在からは、距離を取る。そこの見極めが難しいんだとは思うんですが、離れていく権利が自分にはあるんだと意識するだけでも、少し息がしやすくなるはずですよね」
安壇美緒(あだん・みお)
1986年北海道生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2017年『天龍院亜希子の日記』で第30回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。22年『ラブカは静かに弓を持つ』で第6回未来屋小説大賞、23年同作で第25回大藪春彦賞を受賞、第20回本屋大賞第2位。その他の著書に『金木犀とメテオラ』がある。




