著者の窓 第51回 ◈ 麻宮 好『ひまわりと銃弾』

いつか戦争を書かなければ、と思っていた
──麻宮さんといえば『恩送り 泥濘の十手』など江戸時代を舞台にしたミステリーのイメージが強いですが、『ひまわりと銃弾』は第二次世界大戦前後の時代を描いた昭和青春小説です。新境地に挑んだ経緯を教えていただけますか。
戦争の時代はずっと書きたい、書かなければいけないと思っていました。そう思うようになったきっかけは10年ほど前、わたしの母が亡くなる直前にぽつりと「寂しかったんだよね」と口にしたことです。えっと思って聞き返すと、母は戦時中、10歳の時に東京の家をひとり離れて、栃木の親戚のもとで疎開生活を送っていたそうなんですが、それがとても寂しかったんだって。それまで戦争の話をほとんどすることのなかった母が、死を前にして「寂しかった」と口にした。どれだけ心細い体験だったんだろうと、とても衝撃を受けたんです。母の葬儀には母の8歳上の姉が来てくれたんですが、彼女は両親ともう一人の姉と一緒に、東京空襲を経験しています。燃えさかる街の中を逃げ惑って、一時は家族と離ればなれになってしまった。もう二度と会えないと覚悟したそうです。そんなことを伯母が淡々と話しているのを聞いて、戦争は決して遠いものではない、一世代、二世代前の人たちにとっては逃れがたい現実だったんだということに、あらためて気がつきました。

──そうした近しい人たちの戦争体験が、創作のモチベーションになったわけですね。
この話にはさらに続きがあって。本好きだった母の蔵書を整理していたら、実家の隣で自転車屋さんを営んでいた方の戦争体験記が見つかったんです。ご自分の従軍体験と、同じ部隊にいた人たちの寄稿を集めた自費出版の本だったんですが、いつも優しく自転車のパンクを修理してくれていたおじさんが、戦時中はノモンハン(モンゴル東部)に行っていたことを初めて知りました。その本に出会ったことで、さらに背中を押された気がしたんです。戦争という大きなテーマに、いつかは正面から向き合おうと。それでも戦争を書くのはやはり大変で、事実の重さに物語を動かすことができませんでした。完成まで何度も原稿を書き直したんですが、初稿はほとんどあらすじ状態だったと思います。編集さんに助けてもらいながら、少しずつ物語を育てていったという感じでした。
大衆文化が花開いた戦前の浅草での青春記
──物語が幕を開けるのは昭和4年の浅草。ある事件を起こして矯正院(今の少年院)に入っていた主人公の原口ハジメは、親切な牛飯屋に声をかけられ、その店で働き始めます。ハジメは大正12年の関東大震災で両親と弟を失った、孤独で行く当てのない少年です。
大切なものを失った人が、それでも諦めずに自分の手で命より大事なものを作りあげていく。でも戦争がそれを容赦なく奪っていく、という物語を構想していました。それでハジメは、関東大震災によって家族を奪われたという設定にしています。現代人もさまざまな自然災害に見舞われていますから、共感できる部分が大きいと思いますし、そんな時でも前を向いてほしいという気持ちを込めて書いたところもあります。
──やがてハジメは店に通ってくる早稲田の学生・東卓三と知り合います。同い年ながら生まれ育った環境も、外見のタイプも異なる二人。しかしすぐに打ち解け合い、演劇という夢に向かって歩き出すことになります。
ハジメと卓三はあえて対照的なキャラクターにしようと思っていました。背丈も異なるし、ハジメと違って卓三はインテリタイプ。卓三を仙台出身という設定にしたのは、帝国陸軍の第二師団がおかれていた町だからという理由が大きいです。当時の詳しい資料が残っていて、戦争について調べるうえで助けられました。
──卓三はゴッホの画集をハジメに見せ、「その絵みたいなものを作りたいんだ」と語ります。ゴッホのひまわりの絵を、作品のモチーフにしたのはなぜですか。
戦争を書くと決めた頃から、空襲で焼失したゴッホのひまわりの絵のことは頭に浮かんでいました。焼けてしまったので現存していないのですが、レプリカの画像を見ると、背景がなんとも鮮やかな青色で、これをモチーフにしたいと強く思いました。そんな思いを抱いていた時に、ゲーテが「黄色は闇によって弱められた光。青色は光によって弱められた闇」と書いているということを知り、これは二人にぴったりだなと。ゲーテのこの言葉に出会えたことで、物語の方向性が決まったと言っていいかもしれません。

──当時の浅草はエノケンこと榎本健一、古川ロッパや徳川夢声などのスターが活躍していた演劇の中心地。小さな劇団・一三座を立ち上げたハジメと卓三は、団員の冨美の家に居候しながら、ひょうたん池のほとりで芝居を演じ、少しずつ人気を博していきます。
これを書くまで当時の浅草やお芝居について詳しいわけではなかったのですが、資料に当たってみるとすごく活気があって面白い。わたしが子供の頃に見ていたドリフターズのコントなども、ルーツはエノケンにあるんだなと気づきました。そんな土地でハジメと卓三も喜劇に打ち込む。彼らを取り巻く人々には何人かモデルがいて、冨美の母親の克子は、踊りの名取をしていた伯母のイメージです。下町育ちで克子みたいにきっぷがよくて、耳に心地いい東京弁を話す人でした。タクシーの運転手である裕次郎は母方の祖父がモデル。警視庁の高田というカメラマンは、東京大空襲の惨状を記録した写真家の石川光陽が下敷きになっています。
──ほどなく一三座には藤田冴子という新メンバーが加わります。やはり震災で孤児となり、辛い人生を歩んできた冴子を、劇団や冨美の一家はあたたかく迎え入れます。
冴子の人生を通じて伝えたかったのは、諦めなくてもいいんだよということですね。どれだけ辛い目に遭っても、手を差し伸べてくれる人はいるし、光は見えるんだということを思いながら書いていました。それは血の繋がった肉親ではないかもしれない。たとえば夫婦ってもともとは赤の他人同士ですよね。でも気がついたら同じ屋根の下にいても、違和感のない関係になっている。冴子も震災によって家族を失いましたが、ハジメや卓三、冨美一家という大切な存在を得た。そういう縁の不思議さも書きたかったことのひとつです。
時代の空気に流されることの怖さ
──野球ネタの芝居が当たり、一三座の活動は軌道に乗り始めます。しかし時代とともに戦争の足音が大きくなり、創作活動の自由が奪われる時代がやってくる。戦前・戦中の時代の空気が、リアルにすくい取られています。
作中にも書きましたが、当時は芝居の台本を警視庁に提出して、検閲を受けなければならなかったんです。舞台上でアドリブをすると取り締まられてしまう。そのうちに「ホームラン」などの外国語も禁止されるようになっていく。そうした時代の空気を作ったのは、政府や軍部であり、大衆自身です。舞台に生きるハジメたちにとって、大衆は味方にもなるし敵にもなる。その両面があったことを意識しながら書きました。
──時代の空気に流されてしまう怖さですね。冨美の弟・健太も、華々しく戦死するのは名誉なことだと口にして、父・裕次郎を悲しませます。
子供って素直で頭が柔らかいですが、だからこそ洗脳されやすいとも言えます。健太も当時の価値観に染まって、戦争は悪くないと考えている。わたしは学習塾の講師をしていて、普段小学生に国語を教えているんですが、去年ショックなことがありました。「反語表現」を教える際に「戦争をやってもいいのだろうか、いやいけない」という例文をよく使うんです。戦争をしてはいけないのは自明の理だから、反語の例文にはちょうどいいんですが、この文章を板書していたら、「やってもいいんじゃね?」と言った子がいたんですよ。冗談だと思いたかったけど、他にも2人くらい「自分もそう思う」という子がいて。彼らは知識があってそう言っているわけではないんですよね。戦争について何も知らないから、どこかで聞きかじったことを口にしている。この小説を書きながら、「これでも戦争をしてもいいの?」と何度も彼らに問いかけていました。

──やがて卓三も召集されて戦地へ。戦争は年々激しさを増し、東京も空襲に巻き込まれます。後半では戦争の悲惨さを、正面から描かれていますね。
やっぱり書いていて辛いものがありました。卓三が所属した陸軍の第二師団は、マレー半島などで激しい戦いをくり広げたんですけど、その資料を読んでいてうなされましたね。空襲で亡くなった方の遺体をそのご家族が焼いたというのも石川光陽さんの手記に書かれていた史実で、大事な家族をそんな形で弔うしかないなんて、どんなに悲しかったことか。それでも目を背けずに、しっかり書かなくてはと自分に言い聞かせました。
本好きだった母に読んでもらいたかった
──暗い世相の中でも、ハジメと冴子は芝居を諦めない。そして浅草で暮らす人たちも、楽しい舞台に希望を託します。
当時の浅草ではシミキンこと清水金一というコメディアンが大人気だったんですが、彼は憲兵に目をつけられていて、出番がよく遅れるんです。それでもお客さんは1時間でも2時間でも、シミキンが出てくるのを待っていた。舞台が心の支えになっていたんでしょうね。わたしは小さい頃病弱で、よく寝込んでいたんですが、そんな時救いになったのはやっぱり物語でした。体は不自由でも、本があれば別の世界に行ける。映画やお芝居も同じで、物語が希望を与えてくれたり、光を見せてくれたり、ということはあるんじゃないでしょうか。
──物語は戦地の卓三と、東京に残ったハジメと冴子との視点から、激動の時代を描きます。作品の着地点はあらかじめ決めていたのでしょうか。
大きな流れはプロットの段階で決めていましたが、改稿する過程で変わった部分もかなりあります。一番大きく変わったのは後半数十ページですね。たとえば卓三がサイゴン(現在のベトナム・ホーチミン)を訪れる場面は、当初の予定では書くつもりがなかった。そこを書いたら本が厚くなってしまうと、自分なりに気を遣っていたんです(笑)。でも編集長が「何ページになっても構わないから、いいものを書いてください」と言ってくださって。そこで卓三の体験したことをしっかり書こうという覚悟が決まりました。ありがたかったですね。

──昭和の光と影に向き合いながら、希望を胸に生きた若者たちの姿を描いた『ひまわりと銃弾』は、麻宮さんの新境地と思います。書き上げてのお気持ちは。
やっと書けたなという思いですね。叶わない夢ですけど、本が好きだった母にも読んでもらいたかった。それはデビューした時からずっと思っているんですけど、母にわたしの本を読んでもらいたかった。自転車屋さんの息子さんには本をお送りしました。執筆中は母や伯母や祖父母やお隣のおじさんが、ずっと近くにいるような気がしていましたね。
──ではこれから本書を手にする読者にメッセージをお願いします。
これも学習塾での体験なんですが、国語の論述問題で戦争についての文章を読んだ子が、「戦争をしたい人としたくない人が、共存できる世の中になるべきだと思う」と書いてきたことがあったんです。戦争がどんなもので、なぜしてはいけないのか。それを知るために本を読んでほしい。知ったうえで自分の頭で考えてほしいと思います。もちろんハジメと卓三の友情を描いた青春小説としても楽しんでください。書いているうちに登場人物のことが大好きになって、書き終えるのが寂しいくらいでした。読者の皆さんにもそんな気持ちになってもらえたら嬉しいです。
麻宮 好(あさみや・こう)
群馬県生まれ。津田塾大学卒業。2020年、『月のスープのつくりかた』でデビュー。22年に、『泥濘の十手』(刊行時、『恩送り 泥濘の十手』に改題)で、第1回警察小説新人賞を受賞。25年に『お内儀さんこそ 心に鬼を飼ってます おけいの戯作手帖』で、第14回日本歴史時代作家協会賞文庫書き下ろし新人賞を受賞。他著に『母子月 神の音に翔ぶ』『月のうらがわ』『龍ノ眼』『天がたり』などがある。







