辻堂ゆめ『十の輪をくぐる』

辻堂ゆめ『十の輪をくぐる』

祖父の日記と、祖母の方言


 2016年9月、母方の祖父が亡くなった。80歳だった。

 幸か不幸か──いや、きっと幸いなことなのだろう。私は23歳になるまで、身近な人の死に接したことがなかった。小さい頃から自分を可愛がってくれた祖父の死に、言葉を失った。

 それから立て続けに、物心つく前から当たり前のように存在していた命が、この世を去った。父方の祖父、母方の叔母。最初は「死」という現象そのものに動揺していた私も、徐々にその感覚に慣れていった。慣れている自分に気づき、また恐怖した。

 生前、母方の祖父はまめに日記をつけていた。3年日記だか5年日記だか、とにかく分厚い日記だった。

 私が作家デビューした年には、祖父はすでに癌に侵されていた。あるとき、祖母がいないときを見計らって、祖父は私にこう尋ねてきた。

「もし、ゆめちゃんが作家として興味があるなら、だけど……結婚前から書き続けてきた日記が、残ってるんだ。内容は大したものじゃないけど……読みたいか?」

 大したものじゃない、はずがなかった。祖父が結婚したのは、1962年。20代半ばの頃だ。そんな時期から祖父が日記をつけていたとは知らなかった。

 私は迷わず頷いた。自分と同じ年代の祖父が、そのころ何を考え、どういう生活を送っていたのか。作家でなくても、興味があるに決まっている。

 すると、祖父ははにかんだ笑みを浮かべて言った。

「青春時代のこっ恥ずかしい文章も、中にはあるからね。全部読み返して、大丈夫そうなところだけを渡すよ」

 すぐにノートの束を渡してくれるものだと思ったら、そういうわけではなかったらしい。私は「よろしく!」と能天気に返事をし、日記を読むのを楽しみにしていた。

 そして祖父は、天国へと旅立った。

 日記はもらえないままだった。読み返す時間など残されていなかったことを、祖父も私も知らなかったのだ。

 結局、祖母の許可を得て、遺品の中から見つけた日記を読ませてもらった。当時の若手社員の仕事の内容や、「先輩に連れられてハンバーグというものを初めて食べた。120円もしたのに全然美味くない。いつも食っている50円のうどんのほうがよっぽどましだった」ことが、軽妙な文章で綴られていた。驚いたのは、祖父と祖母が結婚前に交わした手紙のやりとりが、すべて書き写してあったことだ。

 祖父は筆まめだったから、60年前の思い出を私に残せた。

 だが、これがもし言葉でしか伝えられないことだったとしたら。その人の命とともに消えてしまうものだったとしたら。

 そうして私は『十の輪をくぐる』を書いた。作中に出てくる大牟田弁は、祖父の愛した祖母に監修してもらった。

 1960年代に、私はまだこの世に生まれていない。それでも臆せずに書こうと思った。祖父の日記から学んだ「時代」を、祖母の方言に乗せて。


 
辻堂ゆめ(つじどう・ゆめ)
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』など多数。最新刊『あの日の交換日記』は「王様のブランチ」で特集が組まれ、大きな話題に。

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