森見登美彦さん『熱帯』
小説好きにとって、"小説をめぐる小説"と聞けば心が躍る。しかも著者が、荒唐無稽な世界を描かせたら天下一品の森見登美彦さんと聞けば、なおさらだ。はたして、新作長篇『熱帯』は、読書と執筆の本質に迫り読み手を圧倒する、深遠な書物である。
小説をめぐる小説を書こう
「小説家には"いずれは書いてみたい小説"がいくつかあるものだと思うんです。僕も、たとえば『恋文の技術』はいつか書簡体小説をやってみたいと思って書いたもの。そうした"いずれは書きたいもの"のひとつに、本の中に本が出てくるような、入れ子になっている小説、というのがありました」
と、森見登美彦さん。最新長篇『熱帯』は、まさに本の中に本が登場する、予想以上の広がりと深みを見せる作品。執筆開始は二〇一〇年。当時はamazonのサイト内にリンクが貼られていたウェブ文芸誌『マトグロッソ』で連載がスタートした。ただ、その頃は連載を何本も抱え、度が過ぎる忙しさだった。
「みんなで謎の本を捜すという設定だけで見切り発車してしまったこともありますが、あまりに連載を抱え込みすぎて、次の年に自分がパンクしてしまって。他の連載も中断してしまいました。そのまま終了させたものもありますが、その時の連載で後から完成させたのが『聖なる怠け者の冒険』、『有頂天家族』の続篇、『夜行』、そしてこの『熱帯』です。これで二〇一一年の後始末がようやく終わりました」
中断時期があったからこそ、この『熱帯』はここまで「読書」と「創作」に向き合う内容となったのかもしれない。
誰も最後まで読んでいない幻の本
タイトルは「京都の腐れ大学生の話ばかり書いてきた僕が絶対に書かなさそうな言葉を選びました」と言い、その時点では、特別大きな意味を持っていたわけではなかったそうだ。
「連載していたのは第一章から第三章まで。ただ、登場人物も同じだし原型は残っているものの、話の流れはかなり変わっていますね」
最初に登場するのは作家の森見登美彦氏である。ある時、学生時代に佐山尚一という作家の『熱帯』という題名の小説を途中まで読んだことを思いだした彼だったが、ネットや古書店街を捜してもその本は見つからない。だがある日、「沈黙読書会」なる不思議な集まりで、『熱帯』という本を持つ女性を見かける。その女性が語るところによると、どうやら『熱帯』を結末まで読むことができた人間はおらず、その内容と謎を追い求める「学団」がいて──。
最初の舞台は東京で、神保町や茗荷谷などといった地域が細やかに描かれる。
「連載を始めた頃は東京に住んでいたので、実際にうろちょろしているあたりをできるだけ出しました。"脱・京都!"という感じで(笑)」
が、「学団」のメンバーを追ううちに主要人物たちはほどなく京都へ移動。
「やはり京都に戻ってしまいますね。不思議なことが起きる時、京都が舞台のほうが読者が信じてくれる気がして。自分が困った時の京都頼みでもあります(笑)」
幻の本をめぐって幻想的な冒険が繰り広げられるだけでも充分楽しめるが、驚くのは後半になって『熱帯』の内容が明かされることだ。しかも、とんでもない大風呂敷を広げている。
「『熱帯』の中味は出てこないと思っていた、と言う方が多いのですが、僕としては中味が出てこないのは寂しいと思っていました。中味は最初から考えていましたが、一体その作中作を通して、どういう現象が起きているのかは、後から出来上がっていきました」
この『熱帯』という本、そして作中の『熱帯』がどういう作りのものか、それが深遠なテーマを含むこととなったのは、先述の通り、執筆中断時期があったからこそ、といえそうだ。
読む時、書く時に自分の中で起きていること
「ストップしていた頃は、小説をどうやって書いていたのか分からなくなっていたんです。自分にとって小説ってなんだろうとまで考えて、迷宮に迷い込んでいました。執筆を再開して『熱帯』を単行本にまとめようとした時、その日々にいろいろ考えてきたことと、謎の本の正体が重なったんです。それで、自分にとって小説とは何か、そして小説を読む時と書く時、自分に何が起こっているのかを『熱帯』で書こうと思いました。だからこそ、『熱帯』の中味も書かないと駄目だ、という気持ちでした。でもそれがために、あのような展開となり、あのような終わり方になったのですが……」
言わんとしていることが何かは、実際に『熱帯』を手にして確かめるのが一番。だが、理解の一助として、試みようとしたことを著者の言葉で説明してもらうと、
「まず、同じ本を読んでも読書体験は一人一人違うし、同じ人間でもコンディションによって違うものですが、自分が本を読んで体験していることを立体的にしようと思いました。それで、前半は読者として経験することを物語にし、後半は物語が生まれる過程、つまり作者の中で起きていることを小説にしてみたんです。この本を読む人は、読者として入って作者として出ていくことになりますね」
それは、創作の秘密に触れる内容。作中の『熱帯』の世界を作り上げているのは、絶対的な創造主というわけではないことも見えてくる。
「自分が小説を書く時に、もちろんあれこれ考えて書いていますが、それだけではうまくいかないんです。もっと感覚的に書いたほうがうまくいったりする。そこに完全に身を委ねているわけではありませんが、小説を書く時に"自分が作者ですよ"といってすべてをコントロールして書いているわけではないという、その感覚が反映されているかと思います」
作中作は、小説を作る作者の頭の中が小説化されているともいえるわけだ。
「どのような書き方もできたわけですが、自分にとってはこのラインだということを書いたら、あのような話になったんです。ほぼ、自分の分身たちの争いでしたね。ただ、作中作の書き手が誰なのかははっきりしているけれど、他の人物に関しては、あまり立ち位置を考えすぎると、計算で書いていることになってしまうので厳密に決めてはいませんでした」
展開の読めない実に不可思議な世界が繰り広げられていく。それがどういう構造なのかは最後に読者も納得するはずだが、ただ、作中作も、全体を通しても、謎がすべてきっちり解明されるわけではないのは確か。
「『夜行』もそうでしたよね。どこまで読者が納得してくれるのかは心配ですが、これ以外のやり方はなかろう、というのは作者として思います」
説明しきれない部分を残すことは、読者に想像の余地を残すことでもある。だからこそ、その先を広がりを感じて圧倒されるわけだが、
「僕自身、そのほうが安心するというか。僕は、今生きている現実に対しては、スピリチュアルなこととか不思議なことを認めないほう。でも、その世界を見ている自分の心はよく分からないものだと思っているんです。小説とは、そのよく分からない自分の内側から作り出されている。だからすべてが説明のつくものでないほうが安心するというか。今回は、そういう自分の心の中の謎をほじくっていく作業でもあったので、だから大変だったんですけれど(苦笑)」
『千一夜物語』と虎
作中にはいくつかの先行作品が登場する。なかでも、『千一夜物語』はその内容はもちろん、成立過程についても言及され、何かを象徴しているように感じさせる。
「『千一夜物語』は仕事がストップしていた時期に、父親と京都の古本屋に一緒に行ったら、父親が岩波書店のハードカバー全十三巻を買ったんです。そのまま実家に置きっぱなしになっていたので一冊借りて読んだら面白くて、結局自分も同じものを買いました。読むといろいろ考えるところがあって、それで、『熱帯』を単行本化する時に合流させることにしました。それは別にパロディをやるということではなくて」
「アラビアンナイト」でも知られるこの物語、ご存知の通り、夜ごと女性と過ごしては朝には相手を殺していた王のもとに聡明な女性シャハラザードが訪れ、夜な夜な彼にお話を聞かせ、朝が来ても先をせがむ王に「続きはまた明日」と言い続け、命を長引かせる。彼女が語る物語を収めて膨大な量となった作品だ。
「命を救うために語り続けるところや、近代小説とは違い、登場人物もみんなそれぞれの役割を果たすだけで、あっけらかんと生きて死んでいくといった、物語の感触が面白い。それに、実はその後に話が付け加えられていろんなバージョンがあり、"完全なアラビアンナイト"は存在しないなどといった側面も面白いと思いました」
他にも、『ロビンソン・クルーソー』などが登場するが、人が虎へと姿を変える『山月記』は過去に『【新釈】走れメロス 他四篇』でも取り上げていただけに、著者の思い入れが感じられる一作だ。
「作品として好きだということもありますが、自分が小説を書く時の、頭で考えている以外の、感覚で書いている部分が、虎のイメージなんです。全部自分で考えていると面白くない、しょうがないから虎とうまく付き合わなくてはいけない。でも付き合い方を誤ると食い殺されてしまう、というイメージです。僕、映画『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』を観て、まさに小説を書いている時の話じゃないかと思って感動したんです。虎と漂流して、ようやく陸地にたどり着くと、虎は自分のほうを見向きもせずに去っていく。『聖なる怠け者の冒険』をようやく書き終えて弱っていた頃に観たせいか、最後のほうはボロボロ泣いて字幕が読めなかったほどでした(笑)」
創作の虎と付き合いつつ、刊行直前まで改稿を重ねた本作。
「単行本化の作業の間、夏が二回ありましたからね。窓の外の雲を眺めて"夏だな"と思って、あ、去年もこれを書きながら同じこと思ったと気づきました(笑)。大きな山を越えたと思ってもその向こうにまた山があったり、間違っていると気づいて引き返したり。その辻褄を合わせるために、最後の数か月は、虎ではない領域で書いた部分も多かった気がします。自分の中心にあるものを突き詰めるという、こんなしんどいことはもうしたくない気持ち(笑)。なので次は虎の領域でフワフワと、でたらめなことを書きつつ無理やり着地させるという、原点である『太陽の塔』に戻った書き方も目指したいです」