滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第1話 25年目の離婚 ④
気づけば25年の月日が経ち……。
時々、ポールは、大学時代に付き合っていたスーザンみたいな女性と結婚していたら、と思うことがある。子供を四人作って、わいわいとにぎやかな一家団欒(だんらん)のある、明るく開放的で楽しいアメリカン・ホームを作り上げることができたかもしれない。そして、スジョンにしても、「韓国人の男はまっぴらだ」とは言っているものの、自分と片言の英語で話すよりも、自由に操れる母国語で付き合う同胞といるほうが楽しいみたいだから、本当は、しっかりコミュニケーションが取れる韓国人の男と結婚すべきだったんだとポールは言う。愛情さえ期待しなければ、いい主婦ではあったけれど、子供が巣立ち、退職してからは、老後を心の通じないスジョンと顔を突き合わせて息苦しい思いをしながらいっしょに生活することはできないとポールは言う。
一人息子が大学を卒業してから、ポールは離婚手続きに入った。ほかの多くの離婚調停中の夫婦のような修羅場にはなってはいないけれど、それでも時々スジョンと折り合えず、そんなときポールから電話がかかってくる。
「離婚したら友達がどう思うだろう」とスジョンは体裁ばかり気にしている、とか。速やかに離婚調停を進めるはずだったのに、こっそり弁護士に相談に行っていた、とか。離婚手続きを取るまでポールの正確な年齢を知らなかった、とか。請求してきたのは、財産分割のほかに、五十万ドルの慰謝料と、今後十年間毎年韓国へ帰る旅費で、「僕の老後はどうなるんだ、これじゃ僕は貧乏になるじゃないか」とスジョンに訊くと、「あなたが先に死ぬわけだから、わたしのほうがもっとお金が要る」と言った、とか。
「先週末、シルク・ドゥ・ソレイユを見に行かないかとスジョンに誘われた。この二十五年間、いっしょに何かしようと彼女のほうから言い出したのは、これが二回目だ。どっちも友達から話を聞いて行きたくなったからなんだ」この前の電話でポールが言った。「でも、断った。今さらもう遅い。もう遅いよ」
そんなことをポールから聞かされると、心の奥からため息がほうっと出る。ポールの言い分がよくわかる、わかるけれど、スジョンの立場も、やっぱりよくわかるからだ。
外国にあこがれて、高校を卒業したあと、進学せずにすぐに働き始めたスジョンは、同棲(どうせい)も中絶も十代のうちに経験していたけれど、世間体やメンツを気にする保守的なところもあったし、生まれ育った韓国の儒教思想に影響された価値観も持っていた。ポールをだまし討ちして結婚式に臨んだのは、結婚もしていない男と海外へ飛んで親を悲しませたくなかったからだった。
「こそこそ隠れるみたいにしてでなくて、親の納得するきちんとした形でアメリカに渡りたい」と、仕組まれた結婚式を前にして狼狽(ろうばい)したポールに、スジョンは泣きついた。
その後、きちんとした形で妻の座におさまることになったスジョンは、韓国から持ってきた価値観に従って、家を片づけて家事をし、帰宅する夫には食事を用意して、妻としてすべきことはしているつもりだった。
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