近藤史恵さん『インフルエンス』
第一〇回大藪春彦賞を受賞し二〇〇八年本屋大賞二位に輝いた『サクリファイス』で、 近藤史恵は自転車ロードレースを題材に、男達の物語(サスペンス)を書き上げた。 最新長編『インフルエンス』で取り上げたのは、特別な関係性で繋がった女達だ。 そこにはミステリーならではのトリック、サプライズと共に 今だからこそ書くことのできたメッセージがぶ厚く書き込まれていた。
小説家の「わたし」が、手書きのファンレターを読むシーンから物語は始まる。〈実は、お手紙を書いたのは、先生がわたしたちの話に興味を持つのではないかと思ったからです。(中略)わたしと友達ふたりの、三十年にわたる関係は絶対あなたの興味を引くと思います〉。どこか心惹かれた「わたし」は、手紙の送り主・戸塚友梨に連絡を取り、大阪のホテルで初対面を果たす。友梨が語り出したのは、幼少時代に萌芽し、中学二年生で決定付けられた、女三人の特別な繋がりだった──。
物語の中で別の物語が語られる「入れ子構造」も含め、近藤史恵にとって『インフルエンス』は、さまざまなチャレンジが試みられた作品となっている。
「私がこれまで書いてきた作品は、短い期間の話が多かったんです。作中時間が長くても一年ぐらいしか経過していないですよね、ということをある人に指摘されて、じゃあ数十年に及ぶ期間の話を書いてみるのはどうだろうと興味が湧きました」
女同士は本当にドロドロなのか
そのうえで、まず最初に決めたのは「女性の話」にすることだったと言う。
「構想を練り始めた当時、女性同士の関係性にまつわる世間のイメージに、違和感を覚える機会が多かったんです。例えば、男性の方は〝女同士ってドロドロしてるんでしょ〟とよく言いますよね。女性でも〝女同士のベタベタした関係って私ちょっと合わないんだよね〟と言う人がいる。そこで言われているドロドロとかベタベタって、ネガティブなだけでは決してなくて、愛情や純粋さといったいろいろな感情を含んでいるはずなんですよ。長い期間に及ぶ話を書くということは、おのずと登場人物達の関係性を見つめることにもなります。この機会に女性同士の関わり方について、私なりに気付いたことをたくさん入れていこうと思いました」
ただ、「二人」の関係性では、物語のうねりが小さい。もう一人を加えて「三人」にしたことで、想像力にブレイクスルーがもたらされた。
「AとBの関係性がCに影響を与え、BとCの関係性がAに影響を与え……というふうに、それぞれの一対一の関係が変化することによって、三人の力関係のバランスが変わっていく。そんなイメージから、インフルエンス(影響)という題名も決めました」
かくして「わたしと友達ふたりの、三十年にわたる関係」という設定ができあがったのだ。
「ミステリー作家なので、普段は結末を決めてから書き始めるんです。その結末から逆算する形で、お話を作っていくことが基本なんですね。この作品に関しては、ミステリーとしての全体的な構造はなんとなく考えていたんですけれども、とにかく彼女達の人生を、順を追って描いていく、お話を頭から転がしていく形にしました。どこで終わりにするか、彼女達の関係性がどんな結末に辿り着くのかは、実際に書き進めてみなければ自分でも分からなかったんです」
友達との関係が学校生活の全て
三人の女性が出会ったのは、十数棟の団地が建ち並ぶ大阪郊外のニュータウンだった。戸塚友梨は、自分と同じ「団地の子供」である日野里子と仲良くなる。小学校に上がってからも蜜月期は続いたが、里子の秘密を知り、二人に微妙な距離が生じてしまう。そのことに負い目を感じていた友梨がすがったのは、中学校で出会った坂崎真帆との関係だ。〈小さい頃、いちばん仲のいい友達は宝物だった〉。その一文に象徴される関係性が、序盤は丁寧に描写されていく。
「私自身は団地住まいではなかったんですけれど、近くに団地がたくさんあった地域で生まれ育ったんです。小学校に入る時ってすごく心細かったのに、団地の子たちは既に仲良くなっているんですよ。それを見てうらやましいなと感じたり、疎外感を抱いていた記憶が反映されていると思います。友達を全部自分のモノにしたいという、節度のない愛情というか独占欲の発露も、子供の頃によく見た光景だった気がしますね」
真帆と仲良くなった友梨は、不良グループとつるむようになった里子とはもう「交わることなどない気がした」。そんな三人の関係が変わったのは、中学二年の冬に起きた事件がきっかけだった。
「例えば〝帰り道は明るくないとダメだ〟という感覚は、男性よりも女性のほうが切実に抱いているし、そう感じ始めるのも女性のほうが早い。女性ならば誰しも、人生の中で〝自分の身は安全ではない〟と分かってしまう瞬間があると思うんです」
団地で暴漢に襲われそうになった真帆を助けようとして、友梨は男を包丁で刺してしまった。その場から逃げてしまった翌日、警察に逮捕されたのは友梨ではなく、無関係であるはずの里子だったのだ。いったい何が起きたのか? 一年後に真相が里子の口から語られた時、第二の事件が起こる。やがて時間軸は未来へと大きくジャンプし、過去の事件にまつわる「後悔」を抱えたまま大人になった、友梨の姿が描き出されていく。
「大人だったら対処の仕方が違ったかもしれないけれど、子供だったその時の自分は、言うべきことを言えなかった。間違った行動を取ってしまった。その悔恨が、大人になった後も友梨の人生観を規定してしまう。〝自分は孤独だ〟と、自分に言い聞かせながら彼女はずっと生きていくんです」
そして、ミステリー作家としての面目躍如たる第三の事件が勃発する。その事件が、この三人にしか築けなかった関係性をさらに強固なものへと変化させるのだ。
「たとえ実際に会っている時間は少なくても、離ればなれでも、三人の女性達は強く影響を与え合って生きていた。〝本当は孤独じゃなかった〟って友梨自身が気付いて欲しいと思いながら後半は書き進めていきました」
新しい出会いよりも今あるものを大切に
本書で行われたもうひとつのチャレンジは、作中人物である小説家「わたし」の年齢や居住地、趣味の情報を盛り込むことで、この人は近藤史恵自身かもしれないと感じさせる演出だ。
「Twitterで一万五千人の方が私をフォローしてくださっているので、そういう演出をしても面白いのかなと思いました。このお話って、客観的に考えるとあり得ないなって事件が描かれているんですよ。私に似た小説家を作中に出すことで、虚構がリアルなものとして感じてもらえるんじゃないかとも思ったんです」
事実、読者から熱い反応が返ってきている。
「私自身はこの小説を書いている時、子供時代の自分の内面に〝潜る〟ような感覚がありました。その作業はすごくしんどかったし、実際にしんどいことしか書けなかった。嫌がられないか不安もあったんですけど、〝まるで自分のことを書かれているかのように思った〟とおっしゃる読者さんがたくさんいたんです」
だからこそ、読者はラストで「わたし」の心に浮かぶ言葉に揺さぶられるのだ。〈友達も、自分自身も、喜びも、今、手の中にあるものを大事にしながら生きていくしかないのだ〉。小説の中に書かれていることの全てが、書き手の考えではない。しかし、この一文に関しては、己の実感を込めた。
「四〇代後半になった今だからこそ書けた一文だと思います。それまではまだ何か新しいものが手に入れられるんじゃないか、まったく新しい自分になれる可能性が転がっているんじゃないかとどこかで思っていた。その可能性を、ゼロだと断言することは誰にもできません。でも、既に出会っている人や、今自分の手の中にあるものを大事にするところから、全ては始まっていくと思うんですよ」