映像クリエーターの制作ノート 「幼な子われらに生まれ」 三島 有紀子さん
重松清さんが1996年に書かれた原作小説は元々読んでいました。映画にしたいけど自分では脚本書けないなあと思っていたんです。でも、脚本家の荒井晴彦さんとの出逢いで一変しました。私は萩原健一さんと倍賞美津子さんが共演した『恋文』(85年)が大好きで、男女の立場を入れ替えた現代版を撮りたいと考えていました。大人の男女の関係を描く脚本家で、いつかご一緒したいと思っていたのが荒井さんだったので、会いに行ったんです。新宿で朝まで呑み明かし、自分の映画に対する想いを伝えたのですが、別れ際に「男女を入れ替えた『恋文』をやるなら、女性のお前が書いたほうがいい」と言われ、「それよりさ」と、手渡されたのが『幼な子われらに生まれ』の脚本でした。そんな奇跡的なことがあるんですね。
荒井さんの脚本はとても面白くてすぐに撮りたいと思いました。反面、私がこんなことを言うと荒井さんに怒られそうですが、荒井さんの脚本の素晴らしさは文学的なところにあるものの、文学的であるがゆえにリアリティーから離れてしまう一面もあると感じるんです。生活に根づいたリアリティーとのバランスをとる必要もあるなと考えました。NHK時代にドキュメンタリー番組の企画・監督をしていたこともあり、今回は基本的に順撮りで、しかもフィルムでのワンテイクで撮影することを目指しました。
ドキュメンタリータッチで撮ることのよさが出たのは、信(浅野忠信)が追い込まれて子ども部屋に鍵を取り付けるシーンです。最初は脚本に従って芝居をやってもらったんですが、どうしても感情が爆発するまでには至りませんでした。そこでキャストのみなさんに「台詞は一度すべて忘れてください。逆に感じたことを言葉にしてみることをやってみましょうか」と。それから少しずつ元の台詞を入れていく方法をやりました。台詞に囚われずに、キャストの動きにそれぞれが素直にリアクションすることで、俳優同士が化学反応を起こすスリリングな場面になっていったんです。
浅野さんと別れた妻役の寺島しのぶさんとのやりとりも、脚本から振り切ったものとなっています。寺島さんから「あなたは理由は聞くけど、気持ちは聞こうとしない」と投げ掛けられた瞬間の浅野さんの表情がすごく良かった。クライマックスに信が妻の奈苗(田中麗奈)の連れ子である薫とふたりっきりで話すシーンがあります。このとき浅野さんは「どんな気持ちになった?」という台詞を口にされたんです。これは脚本にはなく、浅野さんが寺島さんとのやりとりと、その時の薫のお芝居を受けて、ご自身の肉体から発された言葉でした。この瞬間、撮っていた私も「なんて、すごい俳優だろう」と鳥肌が立ったほどです。
これらの瞬間が撮れたのは、やはり、重松さんの原作、そして荒井さんの脚本にリアルなキャラクターがしっかりと描かれていたからです。完成した映画を見た重松さんが「作品が喜んでます!」と手を握ってくださったこと、荒井さんが「泣いちゃったよー」と笑顔で言ってくださったことが本当に嬉しく思いました。
*キーワードの列挙と演劇鑑賞
企画を生み出す秘訣としては、自分が引っ掛かっているキーワードをメモ帳に書き並べるということです。例えばNHKにいた頃に阪神・淡路大震災を取材し、そのとき強く感じたキーワードが「分けあう」でした。北海道のパンカフェを舞台にしたファンタジー色の強い『しあわせのパン』は、「分けあう」というキーワードから生まれた企画だったんです。キーワードを書き並べることで、自分が向き合おうとしているテーマが見えてくることもあるように思います。
また忙しいときほど、芝居を観に行きます。劇場の適度な暗さと役者さんの発するエネルギーとがうまくクリエイティブなものと結びついて、その舞台とは全然関係ないアイデアが閃くことが多いような気がするんです。
(構成/長野辰次)