ロスねこ日記 ◈ 北大路公子

第1回 猫が足りない(後篇)

●九月十五日

 K嬢が手配してくれた「もりのしいたけ農園 栽培容器付」が届いた。一見すると普通のダンボール箱であるが、この中に今日から私の猫となる椎茸の素的な何かが入っているのだ。出会いの楽しさを満喫しようと、事前にネットで検索するなどの野暮を控えていたため、今日が正真正銘の初対面である。

「こんにちはー。はじめまちてー。どんなお顔かなー」

 テンションを上げるべく、心の中で明るく語りかけながら蓋を開ける。

「どれどれ……うわあああ」

 緩衝材の奥から現れたのは、猫とはかけ離れた(そりゃそうだ)風貌の、初めて目にする奇妙な物体であった。茶色の筒状で、一見すると木の切り株。しかし持ち上げてみると切り株よりはずっと軽い。なにより目を引いたのはその表面で、白い染みというか蕁麻疹のような何かがみっしりと浮き出ている。

 さ、最高に、き、気持ちわる……いや、なんでもない。愛情を注いで育てねばならぬ椎茸である。偏見を持ってはいけないのだ。

 猫なら皮膚病を疑い、すぐさま動物病院へ連れて行くところだが、椎茸の素の場合はこれが正常な姿のようで、説明書の見本写真にも同じような斑点が見える。ちなみにこの椎茸の素、正式には「国産広葉樹を粉砕したおがくずと穀物を主原料とした栄養と水、それに『シイタケ菌』だけででき」た椎茸専用の栽培ブロックであり、「有害となるような物質は一切使用してお」らず、使用後は「土壌改良材」(腐葉土)の代用品としても使うことができるという、開発者の高い技術とキノコへの愛情が伝わる優れものである。

 説明書の手順に従って、まずは椎茸の素をビニール袋から取り出す。表面は直に触ると若干ぬめぬめしていて、さらに気持ちわる……いや、なんでもない。それを水道水で優しく洗う。猫も椎茸も、やはり清潔が大事ということかもしれない。ちなみに「高温期(六〜九月)」は、この時点で三十分ほどゆったり水風呂に浸けるといいらしいが、同じ九月でも北海道はまったく高温期ではないと判断して、シャワーだけで簡単に済ませておいた。

 さっぱりしたところで、付属の栽培容器に収める。ドーム型の透明ポリ容器で、どことなく繭っぽい雰囲気が醸し出されている。その真ん中に鎮座する椎茸の素。

「もう安心でちゅよー! 悪いヤツから守ってあげまちゅからねー」

 と、相手が猫なら声をかけるところだが、実際は茶色い椎茸の素なので、さすがにそこまで気分は盛り上がらない。説明書の指示どおり霧吹きで水を掛けながら、

「…………」

 と無言で見つめるにとどめた。

 

●九月十六日

 椎茸栽培の最大の注意点は、表面を乾燥させないことらしい。常に「しっとりとしている状態」を保つことが大切だそうだ。仰せのとおり、日に数度、霧吹きで水を掛ける。何の感慨もない作業であったが、ドーム繭が水蒸気で曇りはじめ、「椎茸だって生きているんだ! 呼吸しているんだ!」という気配を出してきたあたりから、生き物を相手にしている実感がかすかながら湧いてきた。喋らずとも動かずとも、やはり命である。そう思って、水やりの時にしみじみ観察すると、例の白い斑点部分が何かの発疹のようにぼこぼこと盛り上がっていた。「う……」と思わず息を呑む。正直言って非常に気持ちわる……いや、なんでもない。

 

●九月十七日

 当たり前のことだが、椎茸の生育には気温も大きく関係している。説明書によると「お勧め栽培温度」は、日中が二十〜二十三度、夜間は十八度以下らしい。最近の札幌の最高気温はだいたい二十度前後、最低気温は十五度以下あたりであるから、室内に置いていることを考えると、ほぼ理想的ではないかと思う。全然知らなかったが、九月の札幌は椎茸栽培に向いている。

 それを証明するかのように、白い斑点部が猛スピードで椎茸化してきているのがわかった。発疹は今や突起となり、その中心に茶色い円が出現している。おそらくはそこが傘になるのだろう。何かに似ているとずっと考えていたが、フジツボがびっしり付着した壺であると、ようやく思い至った。斑点から発疹、フジツボを経てやがてキノコへ。生物の進化というのは不思議なものであり、同時に実に気持ちわる……いや、なんでもないです。

 その進化の最先端を見ると、案の定、一番大きなものが既にキノコへと成長していた。キノコというか、今はまだ「きのこの山」そっくりだが、それにしても速い。猫でいうと、生まれて三日くらいで人間の言葉を理解し、「ごはん」と耳にしただけですっ飛んでくるようになるイメージだろうか。この調子ではすぐに猫又になってしまう。

 

neko

 

●九月十八日

 昨日までのフジツボが、ほぼ「きのこの山」への進化を終えていた。本当に驚くべきスピードである。昔、「あんまり早く大きくならないでねー。大きくなったらすぐにおじいさんになって死んじゃうからー」と事あるごとに飼い猫に頼んでは、「縁起でもないこと言わないの!」と家族に叱られたものだが、今回ばかりは家族も私の言葉に異議を唱えることはできまい。とにかく成長のスピードがものすごい。最先端キノコは、ほぼ椎茸の形状を獲得している。写真を撮ってK嬢に送ると、K嬢が私の椎茸に名前をつけてくれた。

 けめたけ。

 けめこ(の異名を持つ私)のキノコである。

 けめたけよ、頑張って美味しくなっておくれ、と初めて優しい気持ちで語りかけた。

 

●九月十九日

 ほとんどのけめたけが椎茸となり、あれほど気持ち悪かった(言っちゃった)椎茸の素が、今は完全に命を支える「ほだ木」にしか見えなくなった。ほだ木から生えた赤ちゃん椎茸たちが、上に向かってにょきにょきと枝……じゃなくて傘を伸ばしている。

 

●九月二十日

 けめたけの成長が止まらない。一夜にして赤ちゃんの気配は消え、大人の食べ頃椎茸だ。怖いくらいの急成長である。収穫の目安は「傘が開いて、傘の裏側にヒダが見えるようになったら」ということなので、インド舞踊だかタイ舞踊だかの名手のように首をくねくねと回しつつ裏側を覗いてみたところ、大きさはまちまちであるものの、多くが収穫時期を迎えていることがわかった。果物ナイフで軸の根本を次々と切った。ついにこの日が来た、と感慨にふけるほど長い時間をともに過ごしていないので、自分でもどうかと思うほどあっさりと収穫を終えた。その数、二十五個。市販のものに比べると全体的にこぶりであるものの、調理用のバットに並べると、どこへ出しても恥ずかしくない立派な椎茸である。

 今晩、これを夕飯のおかずにするのだが、それにしても五日。しつこいようだが、初めて会ってから五日でこの完成形である。映画『エイリアン』で、体内に産みつけられた幼虫が腹を食い破って現れ、あっという間に脱皮したかと思うと、すぐさま別の人間を食いちぎるような……いや、なんでもない。

 いずれにせよ、初めての収穫である。何か特別な気持ちになるかと、しばし眺めていたが、

「椎茸……」

 という感想しか出なかった。とりあえず、ほうれん草と一緒にソテーにしようと思う。

 

(「STORY BOX」2018年1月号掲載)

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