ロスねこ日記 ◈ 北大路公子

第2回 猫穴は埋まる?(後篇)

●九月二十四日

 丸裸の椎茸の素に水をやる。

 

●九月二十五日

 丸裸の椎茸の素に水をやる。飽きてきた。

 

●九月二十六日

 椎茸の素に水をやる。椎茸の素は全体的に少し縮んだように見え、さらにどこからともなく茶色い汁が染み出してきている。本当にまだ生きているのだろうか。死んでしまったのではないだろうか。

 

●九月二十七日

 けめたけの栽培が一段落したことを知ったK嬢から、今度は「まいたけ栽培キット」が届いた。みるみるうちに育ってしまった椎茸では私の猫穴を埋め切れないと判断したのか、「今度はちょっと本格的な感じになります」との言葉どおり、大小二つのダンボールの到着である。大きなつづらと小さなつづら。なんとなく怖気づいて、そのまま放置してしまった。

 

●九月二十九日

 いつまでも放置しているわけにはいかないので、箱を開けることにした。事前情報として、大きな箱には栽培に必要なプランターや土が、小さな箱にはまいたけ栽培キットが入っていると聞いていたので、まずは小さい方から開封する。やはり本体を見なければ、愛情も湧きようもないからだ。

 中から現れたのは『ドクターモリのまいたけ原木ホダ木(完熟)』が三本。ドクターモリがどなたかも知らず、何が(完熟)しているのかもわからない。わからないが、とにかく私はこれを育てなければならないのだと、身の引き締まる思いがする。

 大きな箱から取り出したプランターに土を敷き、そこに原木ホダ木(完熟)を並べる。「まいたけはホダ木を寄せ集めた方が、大柄のキノコになります」とのことなので、三本をぎゅっとまとめて置いた……と言いたいところだが、実はその事実についてはこれを書いている今、確認のために読み返した説明書で初めて知った。全然気づかなかった。等間隔に並べて置いてしまった。でももうどうしようもないので先を続けるが、並べたホダ木の上にさらに土を盛り、遮光ネットで全体を覆った。

 この土の表面が乾かないように、これまた日に何度もじょうろで水を与える。すると、来年の九月頃には、美味しいまいたけが生えてくるのだそうだ。

 一年後かよ。

 椎茸の五日もすごいが、まいたけの一年後も別の意味ですごい。いや、すべてのまいたけが発生までに一年かかるというわけではなく、植えた時期によるらしいのだが、それにしても一年。このクソ寒い北海道の地で越冬は大丈夫だろうかとK嬢に尋ねると、「まいたけ菌が寒さで死滅することはございません」と、謎のドクターモリが憑依したかのような物言いである。「直接、雨が当たらなければ外に置いておいてかまわないそうです」とのことだが、これからの季節は雨ではなくて雪である。失敗の予感しかない。

 

●十月四日

 毎日世話をしているうちに、まいたけのことが少しずつわかってきた。何がわかったかというと、プランターの深さが足りないことと、プランターには受け皿が必要なことである。水をやろうと遮光ネットを剥がすたびに盛った土がぽろぽろと落ち、じょうろで水をかけると下から茶色い水がだだ漏れるのだ。

 慌ててプランターと土との間にボール紙を差し込んで壁を作り、園芸用の支柱でアーチを作って直接遮光ネットが土に触れないようにした。さらに、ホームセンターで購入した受け皿を設置。完成してみると、今までの仮住まい的な雰囲気が一気に新築一戸建て風へと変化した。K嬢に写真を送るととても喜んでくれ、まいたけに名前をつけてくれた。

「きせのさこ」

 私の好きな稀勢の里を彷彿とさせる中に、「きのこ」の三文字が隠れている労作である。

 

●十月十日

 日々、椎茸の素とまいたけに水をかけている。猫から遠ざかっていると感じるのは気のせいだろうか。

 

●十月十六日

 最後のけめたけ収穫から三週間余り、いよいよ第二回の栽培に向けての浸水作業に取りかかる。椎茸の素はこの三週間ですっかり軽く小さくなってしまった。毎日水を吹きかけてはいたのだが、どう見ても干からびている。見た目は完全に切り株のミイラだが、それを八時間から十五時間のあいだ水に沈めると、再び元気になって椎茸を生やすのだそうだ。そんな魔法のような話があるのか。昔、飼い猫と別れるのが嫌で死なない猫がほしいと願ったものだが、ひょっとするとこれが憧れの死なない猫なのだろうか。

 プラスチックの樽に椎茸の素を入れて水を張る。そのままではぷかぷか浮いてきてしまうので皿を被せて押さえ、さらに漬物用の重しを載せた。猫だと思うと虐待している気になるので、今だけ便宜上の魚として捉えることにした。水を得た魚。というか、素直に椎茸の素として捉えればいいと思う。

 

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●十月十七日

 干からび具合が顕著だったので、説明書より長めの二十四時間ほど浸けてみた。水からあげると明らかに重くなっており、しっとりと濡れた表面が黒く輝いている。魂が宿った感じがなんとも頼もしい。再び部屋へ運んで栽培容器に入れた。ほどなく容器の内側がみっしりと曇り始め、いよいよ始動である。

 

●十月十八日

 椎茸の素に見慣れた発疹が現れていた。早くもけめたけが発生しはじめたのだ。私も二度目であるから、この後の経過は予測がつく。この発疹がフジツボとなり、きのこの山を経て、椎茸へと成長するのだ。

 

●十月十九日

 フジツボ現る。

 

●十月二十日

 きのこの山が出現。

 

●十月二十一日

 きのこの山の一部が椎茸化。予想どおり過ぎてつまらない。

 

●十月二十二日

 目が覚めて驚いた。けめたけが一晩で一気に成長しているのだ。数が増えたばかりか、一つ一つの傘も大きくなり、ほとんど重なり合うような形になっている。前回はこんなことはなかった。部屋にきのこ臭がするくらいの勢いである。

 

●十月二十三日

 けめたけはもう手に負えないほど大きくなってしまった。予想どおり過ぎてつまらないと言ったことが、椎茸の精を怒らせてしまったのだろうか。猫だと思って飼ったら実は虎だった、という時はこんな気持ちかもしれない。おしくらまんじゅうのようなけめたけを三十三個収穫した。やはり美味しい。

 

●十月二十五日

 二十七個を収穫する。夕方、妹が来たので今晩中に食べるように言い含めてお裾分け。「今まで食べたことのない美味しさだったよ!」と連絡が来るかと思ったが、夜になってもナシのつぶてだった。あの美味しさは飼い主の贔屓目だったのだろうか。

(つづく)

 

(「STORY BOX」2018年2月号掲載)

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