北大路公子『ロスねこ日記』

いない猫の代わりに


 我が家から猫がいなくなって十六年、未だに「死んだ猫の年を数え」て暮らしているようなところがある。猫は十九歳で死んだので、生きていれば現在三十五歳だ。三十五歳といえば立派な大人である。自立して家を出て、ひょっとすると結婚もしたかもしれない。お相手は恋女房のミケちゃんだ。二人は幸せな結婚生活を送っている。毛糸玉みたいな子供たちもぽこぽこ生まれ、盆暮れにはみんな揃って里帰りをしてくるのだ。玄関先に声が響く。「お母さん、ただいにゃー」って、ああ、本当にかわいいなああああ!

 と、死んだ猫の年を数えることに余念がなかった私が、「猫以外の何か」を育てたことを綴ったのが『ロスねこ日記』である。椎茸、舞茸、スプラウト、生姜、ヒヤシンス。二年余りに亘って、おもに美味しかったり綺麗だったりするものと一緒に過ごした日々の記録だ。

 正直なところ、最初は軽い気持ちであった。園芸の心得はまったくなかったものの、使用するのは「初めてでも簡単」「自由研究に最適」と謳われている初心者用の栽培キットがほとんどである。説明書をじっくり読んでそのとおりにやれば、誰でも失敗せずに育て上げることができるだろうと思っていたのだ。

「猫の世話よりは楽だよね」

 高を括っていたのだが、それが不遜な考えであることはすぐにわかった。楽どころか、彼らはとても繊細だった。天気や気温、あるいは水やりや日当たりやそれぞれの個性によって、状態は細かく変化した。しかも不具合を自ら訴えることができない。猫はお腹がすけば(かわいい顔で)ご飯を催促するし、どこか具合が悪ければ(切ない顔で)元気をなくす。それができないのであるから、人間がよけいに目と手をかけねばならないのだ。

 実際、連載中は思いがけないことがいくつも起きた。容器内の種が全滅したり、水やりをさぼってしまったり、凍らせてはいけないものを凍らせたり、大風が吹いたり、大地震が来たり、父が亡くなったりだ。そしてそれらは多かれ少なかれ、彼らの成長に影響を与えた。当初は淡々と植物の変化だけを記録しようと思っていた日記は、だから最後にはずいぶん人間くさくなったはずだ。私の日常と密接に絡み合って、彼ら一人一人の人間性(?)が立ち上ってきたのである。

 連載が終わって数ヶ月、今は時々うまく育たなかった種のことを思い出し、その年を数えている。

北大路公子(きたおおじ・きみこ)

北海道札幌市生まれ、在住。大学卒業後、フリーライターに。新聞、雑誌、ウェブでエッセイや書評などを執筆する。著書に『枕もとに靴 ああ無情の泥酔日記』『生きていてもいいかしら日記』『頭の中身が漏れ出る日々』『苦手図鑑』『石の裏にも三年 キミコのダンゴ虫的日常』『流されるにもホドがある キミコ流行漂流記』『すべて忘れて生きていく』などがある。

本の妖精 夫久山徳三郎 Book.67
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